蛙の声を止めるのは⑦
『ああくそ、うぜぇ! どこだ猿どもォ!』
巨大なカエルが太い前脚を振り回すたびに地面がえぐられ、家屋が崩され、景観が破壊されていく。どうやらベルゲルは手当たり次第に攻撃して俺たちをいぶり出すつもりらしい。
短絡的だが、この場合は適切だと言えるだろう。何せ俺とヒガンが息をひそめているのは、あいつの荒い呼吸音が耳障りに感じるほどの距離なのだ。次に狙いをつけられるのが俺たちの隠れている場所かもしれないような、そんな位置。
ドォン、とすぐそばの建物が破壊される音を聞きながら俺はやや慌てた口調で言った。
「おい待て、考え直せ。つーかそれ何だよ?」
「企業秘密。いいから黙って見てなよ」
ヒガンは俺の質問と要求に一切応じず、手に持った小瓶のフタを開ける。
そしてあっさりとその中身を飲み干した。インクと見まごうような墨色の液体をだ。
「ッ……」
「お、おい」
ヒガンが頭痛でもするようにきつく目を閉じて額を押さえる。
ヒガンの背から黒い靄が現れ、それを見た瞬間に俺はぞくりと本能的な寒気を感じた。
そしてーー
『見つけたぜェ! ぶっ殺してやるァァァァ!』
轟音、崩落。隠れていた建物がベルゲルに叩き壊される。瓦礫が雨のように降ってくる。砕ける建材の陰から、爛々と赤く光る眼が俺たちを睨んでいるのが見えた。
建物を轢き潰すようにしてベルゲルの巨体が迫ってきて。
そして。
「……ああ、もう」
『あァ!?』
ヒガンがすぅ、と視線をそちらに刺した。
「うるさいんだよ。さっきから」
『かッーー』
視界を焼き尽くすような勢いで何かが光った。同時に爆音も。俺を思わず目を閉じ、開けると、そこには瓦礫もろともふっ飛ばされたベルゲルの汚い腹が見えた。
寸前まで俺たちを匿っていた建物は跡形もなく、地面も茨が張ったようにえぐれている。俺が無傷なのが不思議なくらいだ。
その中心にいたヒガンを見て、俺は目を疑った。
「……何?」
「いや、……何だよ、それ」
ヒガンの背には蝙蝠を模したような黒い翼が生えていた。
目は鮮やかな紅に染まり、本来は紫色であるはずの髪も真っ黒に変わっている。むき出しの太ももと手首には、今までなかったはずの黒い刺青のようなものが覗いていた。
極めつけは、その華奢な全身にまとわりついて今も火花を散らしている電気の帯だ。
その特徴的な紫色の火花には、俺は見覚えがある。
呆然とする俺に、ヒガンはこう言った。
「ぼくの二つ目の能力だよ。『魔獣の血を飲むことで、その能力を使えるようになる』っていうね」
「ああ!? お、おい、聞いてねえぞ! いつの間にそんな能力手に入れやがった!?」
「最初からあったよ。まあ、シグレたちには内緒にしてたけど」
「お、お前……!」
冗談抜きで初耳だ。こいつの能力はあくまで『敵モンスターを従える』というものでしかないと聞いていた。出会った当初からずっとそっちしか使ってなかったから疑ってすらいなかった。
「何で今まで黙ってたんだよ……」
「手の内が全部バレるのが嫌だったんだよ。何となく」
「お前なあ……」
「まあ、それも今日でおしまいだね。ちぇー、せっかく今まで隠し通してきたのになあ……」
ヒガンはため息を吐いた。こいつの秘密主義も大概だな。
だが、こいつの言っていることが本当なら事態は大きく変わってくる。
「まあ、これ制限時間付きだしさっさとあっちを片づけちゃおうかな。細かい話はその後ね」
ヒガンはゆらりと片手を頭上に掲げた。
ばちばち、と弾けるような音を立てて掲げた手に火花が集まり始める。そしてそれはゆっくりと紫色に光る球体を形成していく。
「それって、アレだよな」
「うん。アレだよ」
モンスターの力を振るえる、というヒガンの異能。
加えて紫色の雷魔法。
これらを合わせて考えれば、今ヒガンが発現させている能力の本来の持ち主は。
『あァ、くそ! 痛ってえなァ!』
ガァン、と巨体のカエルが跳ね起きる。そしてヒガンが生成している雷球を目の当たりにすると、血相を変えて声を荒げた。
『……あぁくそ、やっぱりだ! どうなってやがる!? 意味わかんねえ、何でてめえが『あいつ』の力を使えるんだよォ!』
体中から焦げ臭い煙を噴き出しながら怒声が放たれる。
それにはほんの少しの焦りも加わっているように思えた。
『答えろ、くそったれがァ! どうしててめえがガリオの力を使えるのかって聞いてんだァ!』
ガリオ。俺らで言うところの『レギオン』ーー獅子頭の魔王。
それが今のヒガンの力の源泉になる。
獅子頭の魔王は俺たちが三年前に倒したはずだったが、ヒガンはあいつが死ぬ直前にカーバンクルの能力でその体を匿い、使役獣にした。そしてアリシアの強化薬を与え、つい先日俺たちにけしかけてきたという経緯がある。
つまりヒガンは一時期獅子頭の魔王と行動を共にしたわけだ。それなら、ヒガンの第二の能力を発動するキーとなる血を採取するタイミングはいくらでもあったのも理解できる。
「……そんなこと、聞いてどうするの?」
ーーもうすぐ君は死ぬのに。
言外に乗せられたヒガンの意志は氷の刃を思わせた。紫色に輝く電流は刻一刻とヒガンのかざした手の上に集められ、巨体な雷球をさらに肥大化させていく。
『……ッ』
あれは魔王の持つ中でも屈指の大技だ。対峙するベルゲルがぐ、と喉を詰まらせる。
ベルゲルの皮膚を覆う毒液は鎧のように衝撃を跳ね返す効果を持つが、可燃性という大きな欠点をはらんでいる。それはファフニールの息吹、俺の【炎】魔法が証明している。
当然、雷撃なんぞ食らおうものならその莫大な火花で焼き焦がされてベルゲルは焼死するだろう。
つまり、ベルゲルは、首に死神の鎌をかけられている状態に等しい。
『くそったれがァァァァァアアアアッ!!』
ベルゲルが口腔を開いた。毒と酸、ベルゲルの持つありったけの殺意が砲弾となって吐き出され、空中を埋めた。あれを食らえばいくら今のヒガンでもひとたまりもないーー
「シグレ。少し耳塞いでて」
「は?」
「……ァ、」
ヒガンは大きく口を開いて牙をのぞかせた。
「アァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアッッ!!」
荒々しい絶叫。人間とは思えない威力の咆哮が空気を叩き、眩暈がするほどの刺激が俺の鼓膜を揺らした。思わず耳を押さえる。
直後、酸の砲弾が降ってきて、
「……あ?」
じゅう、と俺の前に立ちはだかる『土の人形』がそれを受け止めていた。
雨のように降り注ぐ毒と酸の塊を、土でできた人形や瓦礫でできたゴーレムが盾になって俺を守っている。
「……こりゃあ」
獅子頭の魔王はもともと咆哮に魔力を乗せ、聞いた相手に『敵意を植え付ける』という能力を持っていた。そしてアリシアの強化薬を投与された結果、その能力は『無機物に魔力を与えて従える』というものに変わっている。土を悪魔や人形に変えたり、巨木や瓦礫をゴーレムに変えたりとか。
つまり今、身を盾にして俺を守っている土の人形や瓦礫のゴーレムは、魔王の力を得たヒガンが作り出したものだと考えて間違いないだろう。
『死ねッ! 死ねッ、死ねェ!』
「……」
絶え間なく酸と毒の塊が撃ちだされてくる。だがそれはほとんどすべてをヒガンが生み出した無機物の魔獣たちが盾となり、俺やヒガンには届かない。
わずかな隙間をかいくぐってヒガンに命中した砲弾もあったが、どれだけ当たろうとも魔王由来の再生能力によって一瞬で完治してしまう。
そして、雷球だけは肥大化を続けていく。
『がっ……ァ』
打ち止め。
毒と酸を凄まじい密度で放出し続けていたベルゲルは、えずくように呻いてその動きを止めた。
そして、今や直径二十メートルまで達そうかという雷球を見上げてベルゲルは戦意をくじかれたように喘いだ。
「もう終わり?」
『……あ、が』
「歯ごたえないなあ。適当に痛めつけてから能力で使役しようと思ってたけど……きみはいらないや」
ばさり、とヒガンは背に生えた翼を広げた。それからゆっくりと空に浮かんでいく。
体高五メートルを悠に超えるベルゲルを見下ろして、ヒガンは目を細めた。
「殺すよ。熱病にされた恨みもあるし」
『ッ……ま、待てェ!』
「まだ何か用?」
ベルゲルは焦ったように叫んだ。
『や、やめろ、殺すなァ! 何だってする、何だって喋る、だからァ……ッ』
「あはは、何? 命乞い? ……いいよ、好きなだけやりなよ。面白いから見ててあげる」
『ぐ……ッ』
……何でも喋る?
「ヒガン! ちょっと待て!」
「え? 何、シグレもこのカエルの肩もつわけ?」
「バカ野郎、情報だよ! コイツに命令したやつのことは聞いといたほうがいいだろ!」
メルヴィの話じゃあこの世界に目をつけてるらしいし、今後接触する機会もあるかもしれない。できるだけ情報は多い方がいい。
「……なるほど。それもそうだね」
『あァ!? ざけんな、てめぇには言ってねえだーー』
「悪いヒガン、交渉決裂だそうだ」
「じゃあ殺そっか」
『待てェ!』
ベルゲルが目を血走らせて喚く。
『わかった、わかったよ、くそったれ共ォ……』
「話が早くて助かる。じゃあ、まずはお前をここに寄越したやつのことから聞こうか」
「嘘とかついてもいいけど、ぼくそういうのはすぐにわかるから。少しでも隠そうとしたら黒焦げね?」
現状、ヒガンの頭上の雷球は天を覆うような規模に広がりつつある。ベルゲルが怪しげな素振りを見せたらヒガンは即座にあれをベルゲルに叩きつけることだろう。本当に、今回ばかりは味方でよかった。
ベルゲルは諦めたように口を開く。
『……主様は、魔族じゃねェ。にんーー』
ベルゲルが言えたのはここまでだった。
突如としてベルゲルの前腕部が破裂した。次いで反対側の前脚、腹、背中が次々とはじけ飛んだ。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
「何だ!?」
「……これって」
ベルゲルの絶叫がわんわんと響いた。これはさっきまでのものとは明らかに異なる。本気で死ぬ直前に上げるような悲鳴、明確な断末魔。
『熱ちィ、ああ、熱ちィいああああッ!!』
「くそ、どうなってんだ!」
目の前の光景が理解できない。ベルゲルは今も体のあちこちが爆破され、俺たちが手も触れていないような場所から発火を繰り返して死に向かっている。
『ゲハっ、がぁああああああ……ッ』
口の中からすらも炎を噴き出して、ベルゲルが火に包まれていく。
「おいヒガン、お前何かしたか!?」
「してないよ。誓っていうけど、ぼくは何もしてない」
わからない、理解できない。
ベルゲルの身体が弾け飛ぶたびに体の一部が魔力ガスと化して周囲を黒く染め上げ、炎と混ざって地獄のような光景を作り出す。
『ア……ァ、ァ』
最後に残ったベルゲルの頭が、ぱくぱくと口を動かした。
それはもう声ではなかったが、俺の耳には確かにこう聞こえた。
『……あの、クソ女ァ……ッ』
次の瞬間、ベルゲルの顔面が裂けて魔力ガスへと変じた。
断末魔も止み、あれだけ燃え上がっていてた炎もそれで役目を負えたとばかりに急激に消失していく。まるでベルゲルを食って満足したかのように、ふっと消えてしまった。
後には何も残らなかった。
呆気に取られる俺の横に、ヒガンが降り立つ。
「シグレ、今のはどう思う?」
「……あいつ、何か情報を漏らしかけてたよな。それが遮られるみてーにいきなり火だるまになった。ってことはーー」
「口封じ、ってことかな。やっぱり」
ヒガンはため息を吐いた。「せっかく作ったのに無駄になっちゃったなあ」とぼやきながら掲げていた手をすっと下ろす。同時に上空に浮かんでいた雷の塊が霧散する。
「あのぶんだと、体に何か魔法でも仕込まれてたのかな? 発動条件付きで」
「だろうな。『主人について喋ったら体が死ぬ』ってとこか」
「そうだね。もしくは……」
ヒガンがちらと周囲に視線を巡らせた。
「どうした?」
「……何でもないよ」
「おい」
「何でもないって。シグレは人を疑い過ぎじゃない? ここは素直に仕事が片付いたのを喜ぼうよ」
言いながら、ヒガンはすうと目を閉じた。すると背中に生えていた翼が溶けるように薄れ、消える。瞳からも赤色が抜け、髪ももとの透けるような紫色に戻る。どうやら能力を解除したらしい。
「それもそうだな」
俺も力を抜いてその場に座り込み、そして周囲を見回した。
事情はどうあれ( → 粉々にされた家屋)、ベルゲルが死んだことに変わりはない( →陥没した地面)。まさに一件落着と言えるだろう( → あちこちに広がる酸だまり)。
これでこの村にも平和な日常がーー
「……なあヒガン」
「シグレ、世の中には気づかない方がいいこともあると思うよ」
「いや、これはそういうレベルじゃねーだろ……」
目の前に広がる惨状は、明らかに平和な日常とはかけ離れていた。
さすがに俺たちが戦っていたせいでできた爪痕を放置して帰るのも躊躇われる。
というわけで、俺はこの後半日に渡って村の復旧作業をする羽目になった。
ちくしょう。
デスクトップPCしか持っていないため、出先で小説を書けないというトラップ。まずい、意外と深刻に不便だ! というわけでノートPC購入検討中です。しかし圧倒的、予算の不足……ッ
電子機器って高いですよね。ちなみに今回更新が遅くなった理由とは特に関係なかったり。
次回更新は未定です。多分近日中に。




