蛙の声を止めるのは➄
『あああああァァアアアアアァァァァァァァァァァッッ!!』
【ブレイズキャノン】によって吐き出された直径二メートルほどの熱線がベルゲルに残らず叩きつけられ、悲鳴ごとベルゲルを炎に巻いていく。
「……えげつないねえ」
これが人間なら消し炭すら残らず消滅しているような威力だ。それを俺のすぐ背後から眺めながらヒガンが呆れたように言った。
「まあ、反撃とか食らいたくねーしな」
せっかく距離が離れているんだからわざわざ近づかせてやる理由などない。
ヒガンと話していると、宙に浮かべた感応紙八枚が次々と形を崩していく。
あー、大量の魔力に耐え切れなかったか……まあ、二発ぶん持ってくれたんなら持ったほうか。
前方からうめき声が聞こえた。
『ァ……あァぐ……ッ』
しぶとい。まだベルゲルのやつ立っていやがるぞ。
『くそ、くそッ、どうなってんだ……、ありえねえ、この俺がァ……ッ! ふざけんな、ふざけんな、ふっざけんなァ!』
とはいえ、だいぶ弱っていることは間違いない。体中が焼けただれて、しかもまだ皮膚にまとわりつく炎が消えていない。よっぽど燃えやすいんだな、あいつの分泌物。
しかしまだあいつの目はぎらぎらと俺たちを睨んだままだ。
ベルゲルの視線には俺たちを恨むような、呪うような色が宿っている。絶対に逃がさない、ここで殺してやる、八つ裂きにして殺してやる。そんな呪詛が伝わってくるようだ。
『ふざけてんじゃねェぞォォォォォああァ!』
ーー来た。
「シグレ!」
後ろでヒガンが鋭く叫んだ。それはそうだろう、こいつは身をもってあれの脅威を知っている。
ベルゲルが深く息を吸い込み、吐く。その吐息は真っ黒に染まっており、見るからに怨念がこもっているように感じた。
毒の霧。ヒガンを苦しめた、熱病を誘発する特殊攻撃。
一体どんな性質なのか、ステンレスの盾をすり抜けてこちらに迫ってくる。とはいえこれも予想の範囲内だ。
『ゲゲッ、ゲゲゲゲゲッ! 死ね! 死ねェ!』
狂気に満ちた笑い声が響いてくる。
俺は左右のポーチから感応紙を合計二枚取り出した。
【記憶再生】プラス、【記憶転写】。
「……借りるぞ、メルヴィ」
前方にかざした俺の手のひらが淡く光った。
それはベルゲルの発する怨念にまみれた気配とは対極の、聖なる雰囲気をまとった魔力。
俺の手のひらから溢れた光は、今まさに俺たちを呑み込もうとしていた毒の霧とぶつかり合い、逆に包み込んでいく。
そしてあっという間に黒い霧を取り込んだかと思うと、毒の霧もろともすぐに消えてしまった。
あとには何も残らない。
『……あ?』
ベルゲルが間抜けな顔で凍り付く。
「今のって……メルヴィちゃんの……?」
ヒガンは目を見開いていた。
まあヒガンは俺がやったことに気付いているだろう。
俺は【記憶再生】でヒガンをメルヴィが治療していた時の光景を思い出し、【記憶転写】でメルヴィの治療魔法を現実に引きずり出した。そして毒の霧にぶつけて、俺たちが食らう前に相殺させた。
まあこれは治療魔法ってよりも【浄化】のほうが近いと思うが、どっちでもいいな。重要なのは俺の中にベルゲルの毒の霧に対する対抗手段があって、それを行使できたということだ。
『な、何だァ……そりゃァ……』
ベルゲルがじりじりと後ずさりする。
『あッーー有り得ねェ! 人間ごときが俺の毒を消すだァ!? ああくそ、そんなことがでるのはあの忌々しい蛇の連中くらいだろうがァ!』
ベルゲルが焦ったように吠える。ここまで掌で転がされてれくれると俺としてもやった甲斐があったというものだ。
俺はベルゲルに向かって声をかけた。
「お前さあ、何かちょっと勘違いしてねえ?」
『あ……が、何が……』
歌うようにつらつらと言葉を紡ぐ。
「弱点も割れた。切り札もバレてる。攻撃方法は全部知られてる。そりゃまあ、『向こう』じゃお前は強かったのかもしれねーがーー」
威圧するかのように。カエルを殺す蛇を気取るかのように。
俺はにい、と笑みを刻んだ。
「ーーここまで情報を揃えられて、英雄相手に何かできるとか思ってたわけ?」
『ーーッ』
ベルゲルが息を呑む気配が伝わってきた。
俺とベルゲルの差は、お互いの情報の多寡だ。
俺はベルゲルが酸を使うことも知っていたし、体格も知っていたし、ファフニールがやられたという毒の霧についても知っていた。だから対策を練ることができた。
『あ、あァ、あァああ……』
ベルゲルの心境は明確だ。
絶対に勝てない敵を前にした、捕食対象のそれ。
『ふざっけんじゃねえぞ、くそったれがァァァァァァァッ!』
絶叫し、酸の塊を凄まじい数撃ち込んでくる。
『死ねッ、死ねッ! 死ねって言ってんだろうがくそ猿がァァァァ! 人間ごときが俺に逆らってんじゃねえってんだよォァァッ!!』
だが、そんなもんいくら撃ったところで耐食性の高いステンレスの塊は破れない。ドドドドドッ! という掘削機が稼働するような音が響くが、やつの体力が尽きる方が早いだろう。
不意に、ドジュッ、という音がして俺のすぐ脇の道が溶けた。うまいこと盾の隙間を抜けた酸砲弾があったらしい。
「わっ。しっ、シグレ? これちょっとマズいんじゃあ……」
ヒガンが不安げに言ってくる。
「あー、俺のすぐ後ろにいれば安全だ」
「本当に?」
「当たり前だろ」
盾の一枚一枚はそこまで横幅がないが、それでも俺はそこまでバカじゃない。
「ちゃんと計算して盾は配置してある。この位置にいれば、どんだけ奇跡的なルートですり抜けてきても俺にはギリギリで当たらないようになってる」
「そういうのは先に言って欲しかったなあ」
ヒガンはぶつくさ言いながらも俺の後に隠れる。俺を盾にするような位置取りには突っ込みたいところだが、そこが一番安全なのは間違いないので何も言うまい。
『くそ、くそッ、くそォォォオオオオオッ!』
さらに酸砲弾は苛烈さを増している。しかしステンレス鋼の塊は微動だにしていない。
「なんかアレだな。あんなんでも、健気に無駄な攻撃を続けている姿を見ていると……」
「同情でもした?」
「笑えてくるよな」
「あ、わかるわかる」
リッカがいなければツッコミ不在の事態が往々にして起きる。
ま、そろそろやっちまうか。もう一回【ブレイズキャノン】十六連発を食らわせてやればいい感じに焼けるだろ。
そんじゃさっそくーーって、
「うおあぶねっ!」
「わっ! ちょっとシグレ、何今の!? 物凄いギリギリまでかすめてきてたんだけど!」
ベルゲルが撃った酸砲弾が二発ほど、ステンレスの盾を配置した隙間をかいくぐって俺の腰辺りに飛んできた。焦げ臭いニオイが一気に鼻先まで上ってくる。
「死ぬかと思った」
さすがは魔王クラスの実力を持つ敵。一筋縄では行かないようだ。
「いや、そもそも何で盾と盾の間にスペースがあるのさ。欠陥建築はよくないと思うなあ」
「うるせーな。ああしないとこっちからもカエルが見えねーんだよ」
どうもこのところ研究ばっかりしているせいか、戦闘の勘が鈍っている気がしてならない。三年前ならこういうミスはしなかったはずなんだが。
「まあ気にすんな。どうせあいつも次の【ブレイズキャノン】には耐えられな……あ」
……あ。
………………あ?
ない。左手にあるべき感覚がない。右手の方にもない。この瞬間、恐るべき想像が俺の背骨を伝って脳髄を射抜いた。
ポーチが、ない。
「ねえシグレ」
「何だ?」
「あっちで酸だまりに落ちてるの、シグレのポーチじゃない?」
「ああ。そうだな」
「そっかあ」
ヒガンが指さす方向の酸だまりに落ちて、中身もろとも全部溶けているのは俺のポーチで間違いない。
「ねえシグレ」
「何でしょうか」
「予備の魔法陣くらい持ってるよね?」
「あると思うだろ? ところがねーんだ。用意はしたんだが、家の机に忘れてきたみたいでな」
「そっかあー……」
最近、戦闘から離れていたせいで事前準備すらままならない。
ヒガンが真顔で言った。
「………………え、ヤバくない?」
「……ヤバい」
絶え間なく撃ち込まれる酸の弾丸を盾が受ける音だけが断続的に響いていた。
次回更新は未定です。




