紫×銀
「ま、こんなもんか」
俺は手に持ったポーチのようなものに感応紙の束をねじ込みながら呟いた。
時間はまあ、そこそこ夜更け。
カレンが持ち込んだ酒によってリッカが倒れ、ミアが暴走してからざっと二時間後といったところだろうか。
俺はあの後、まず倒れたミアとカレンをミアの部屋まで運び、すでにリッカが寝ているベッドにその二人を放り込んだ。その後まだダウンしていたヒガンを居間のソファに寝かせ、毛布をかけてやり、夕食の後始末をしてから居間に隣接する研究室にこもった。
簡潔に言えば、明日のための準備である。
俺が手に持っているポーチは昔自分で作ったものであり、ちょっとした戦闘のお役立ちアイテムといえる。これがあるのとないのとでは戦闘のやりやすさがだいぶ変わってくるので久々に引っ張り出してきたというわけだ。
また、ポーチ以外にももう一つ用意したものがある。指ぬきグローブのような形状をした手袋だ。こっちに関しては緊急手段なのでできれば使いたくないんだが。
まあ明日ことを構える予定のベルゲルってのは強いらしいので、このくらいの備えは当然だろう。
とまあ、そんなことをしていると、研究室の扉がノックされた。
「誰だ? ミア?」
「ああいや、ぼくだけど」
そういってひょこっと扉の隙間から顔を出したのはヒガンだった。
「まだ寝てなかったのか」
「まあね。っていうかシグレは何してるの?」
「カエル退治の準備だよ。で、何か用か?」
俺が聞くと、ヒガンはへらっと笑う。
「いやあ、実は何だか寝苦しくてさあ。ちょっとお風呂貸してもらっていい?」
そういやこいつ、昨日から風呂とか入ってなかったな。まあミアが汗ふいたりとかはしていたが、時期もそろそろ夏に近い。それくらいはいいか。
「居間を出て廊下の突き当りを左だ。着替えとタオルは居間の棚にあるからそれな」
着替えに関してはもともとリッカが急に泊まりに来てもいいように、とミアが用意したものだ。まあこいつに貸しても別にいいだろ。多少サイズが合わないかもしれんが、そこまでは知らん。
「ありがと、シグレ」
「おう。あ、俺はもう寝るから」
今日は色々あったのでもう疲れた。大きいあくびをすると、ヒガンはくすりと笑ってこう言った。
「……おやすみ」
まるで仲間だった頃のように。
×××
『法陣士』宅の浴室はそこまで広くはないが、この世界にはない珍しい道具が二つある。
一つは浴槽のそばの壁に直接彫り込まれた魔法陣。
もう一つは手のひらサイズのブロック。木製だが、防水加工が施されているため浴室に置いてあっても腐らない。こちらにも魔法陣が刻まれている。
それらを見て、ヒガンは思わず苦笑した。
「追い炊きボタンにシャワーかあ。シグレもこだわるねえ」
それらは地球から来たヒガンにはよく見覚えのあるものだ。使い道をすぐに理解したヒガンはさっそく木製ブロックに手を伸ばし、側面に刻まれた魔法陣に魔力を流し込む。
するとヒガンにとって理想的な温度のお湯がブロックの上部から発生し、ヒガンの裸体を濡らしていく。ご丁寧にきっちり磨かれた正面の鏡には、妖精と見まごうような紫髪の少女があられもない姿をさらしていた。
左右非対称の自分を見て、ヒガンは思わず自嘲気味に口もとを歪める。
「……相変わらず醜いなあ」
その視線は整った顔でもなく、花の茎のような鎖骨でもなく、胸の中央にある一つの傷跡に向けられていた。
刺し傷だ。それも、刃物の先でつついただけではありえないような規模の。
ちょうど包丁が根元まで胸に埋まったら、こうなるだろうと思えるような傷。
ヒガンがこの世界に来る原因になった古傷だ。
『あんたなんかいなければよかったのよ、あんたさえいなければーー』
思い出そうとすればすぐに思い出せる。
あちらの世界にいたころのヒガンが最期に聞いた言葉だ。
同時にフラッシュバックする記憶は、鬼の形相で包丁を振りかぶった母親の姿。ありがとう、とかすかに笑う自分の姿。
ヒガンの家庭環境は、いわゆる『ネグレクト』だった。
かろうじて一日二回の食事と寝床は用意されたが、ヒガンは親の愛情と呼べるものに触れた記憶は薄い。挨拶もない。会話もない。一緒に食事を摂ることすらない。
もともとヒガンの両親は既成事実からの結婚であり、夫婦仲が悪かったのが大きな原因だろう。気づけば二人は別々の愛人をつくり、『三人の他人が同じ場所で暮らしている』というのがヒガンの家庭の実態だった。
ヒガンは聡明だった。
自分の両親に隠し事があるのを見抜いていた。
ヒガンは幼かった。
両親の気を引くためなら何でもする行動力があった。
唯一致命的だったのが、ヒガンには善悪の区別がついていなかったことだった。
ヒガンは図抜けた聡明さでもって両親の隠し事の正体をーー不倫を暴き、それぞれに包み隠さず伝えた。脅迫した、と言ってもいい。両親はどちらも激怒し、憎悪を向けてきたが、ヒガンはそれでよかったのだ。
その結果、ヒガンは実の母親に逆上されて刃物で刺され、命を落とすことになる。
「うーん」
ヒガンは身体を洗いながら、考え込むように唸った。結局自分はどうするのが正解だったのか今でもわからない。母親に刺されることも何となく予想していたし、それでもいいと思っていたのだ。恨まれていても、呪われていても、自分を見てさえくれればいいと。
それは間違っていたのかもしれない、と最近思うようになった。だが、ではどうすればよかったのかというところになっていつもヒガンの思考は止まってしまう。どうなりたかったんだろう、と首をひねってしまう。
(……まあ、今更どうでもいいか)
ヒガンはそう結論して思考を打ち切ると、心地いいお湯をたっぷり浴びてから浴室を後にする。
体を拭いて来客用の服に袖を通し、少し袖を余らせながら居間まで戻ってくる。
そこで、予想外の人物と遭遇した。
「あ、『ひーちゃん』さん」
そう言って声をかけてきたのは昔の仲間が弟子に取ったという少女だった。
銀色の髪をもつ、純粋で聡明な女の子。
「……や、やあミアちゃん。もう体はいいの? 意識はしっかりしてる?」
そしてヒガンにちょっとしたトラウマ(?)を植え付けた人物でもある。夕食のときの一幕を思い出して少し距離を取るヒガンに、ミアは困ったように笑った。
「それが、何だか途中から記憶がはっきりしなくて……皆さんに、何かご迷惑をおかけしていなければいいんですけど」
「…………そうだねえ」
あえて刺激するようなことは言うまい。
「?」
「と、ところでミアちゃんはどうしたの? さっきシグレに部屋に連れて行かれてたよね」
「あ、はい。ちょっと喉が渇いて起きてしまったのでお水を飲みに来たんです」
ミアはそう言ってコップを掲げてくる。
「そう。あ、ぼくにもくれる?」
「もちろんです。どうぞ」
と、ミアが棚からコップを取り出し、水を注いでからヒガンに渡す。ヒガンは「ありがとう」と言ってからそれを受け取った。
「お身体はもう大丈夫ですか?」
「うん。ミアちゃんが看病してくれたおかげでね」
「いえそんなっ……でも、何ともないならよかったです。熱があるときの『ひーちゃん』さんは、今にも死んでしまいそうだったので……」
ミアは安堵したように穏やかな声でそう言った。
心からほっとしているような声だった。
まるで仲のいい友人に対するように、快復してよかったと伝えてくる。
「……君は変な子だねえ」
「そうですか?」
「そうだとも。普通、あんなことした人間を治療しようとしたり、まして庇ったりなんてしないと思うよ」
「……」
ヒガンは自分のしたことを忘れたわけではない。先日、王族の一人を巻き込んで魔王をけしかけたことがどれだけの罪なのか正確に理解している。
普通に考えれば死刑待ったなし。自分の立場や力には利用価値があるとはいえ、どれだけ温情がかけられるかは怪しいものだ。
「……朝も言いましたけど、私はべつに『ひーちゃん』さんのことを許したわけじゃないです。私はともかく、カレンちゃんと……それと、お師様とリッカ様には『ごめんなさい』って言ってください」
ミアはまっすぐヒガンを見て言った。
「謝ったくらいで許してもらえるとは思えないけど」
「それでも、悪いことをしたら謝らなくちゃいけないんです」
ミアは苛立つ様子もなく、ただ淡々と続けた。
「そしたら、きっと仲直りできます。お師様とも、リッカ様とも」
ヒガンは肩をすくめた。ミアの言っていることは子供でも理解できる正論だ。逆に言えば、ものを知らない子供の綺麗事でもある。
「無理じゃないかなあ。リッカは特に、こういうのを許さないだろうし。……ほら、ぼくはあの二人の『敵』になっちゃったから」
そう、敵。敵だ。ヒガンは自分の立ち位置を心の中で明確に線引きする。
自分はあの二人を殺しかねない事件を起こした。『何となく』という不明瞭な、自分でさえもわからない理由でそれを実行したのだ。今更それが謝ったくらいのことで許されるはずがない。
自分はあの二人を、殺そうとしたのだから。
「ーーそうやって無理にお師様たちの敵になって、お二人の気を引こうとしてるんですよね?」
ミアの言葉が、自分でも不思議なほどヒガンの胸を穿った。
「……何のこと?」
「見てればわかります。『ひーちゃん』さんが素直じゃないってことくらい。だって私は、『ひーちゃん』さんよりずっとずっとひねくれた人と一緒に暮らしていますから」
ミアの声は落ち着いていて、本心からそう思っていることが伝わってくる。
「お師様も、リッカ様も、きっとまだ『ひーちゃん』さんのことが好きなままです。そうでなきゃ、一緒にごはんを食べたり、お話しようなんて思わないはずです。あのお二人はついこの前、『ひーちゃん』さんに殺されかけているんですから」
「……」
ヒガンは最初、ミアのことを常識知らずで抜けている子供だと思っていた。素直で聡明なだけの、ただの子供だと。
それは誤解だ。ミアは、普段見せている部分よりずっと頭がいい。周りを良く見ている。
自分の気持ちがわからないぼくなんかよりも、もしかしたらずっと大人かもしれないーーヒガンはそんなことを思った。
「だから、『ひーちゃん』さんは素直になってください。きちんと思っていることを、お二人に伝えてください。きっとお師様とリッカ様はそれを待っていると思います」
ミアは確信を持っているようだった。
はぐらかすのも無駄な気がして、ヒガンはうめくように言った。
「……どうしたら、自分の気持ちがわかるかな」
「大丈夫です。きっと、すぐにわかりますよ」
ミアはにっこりと笑った。穏やかに、ヒガンを元気づけるように。
「もう、気づきかけているはずですから」
ミアの言葉には嘘はない。相手を侮るような響きもない。
……かなわないなあ。
ヒガンは力の抜けた笑みを浮かべて、コップの中の水をあおった。
昨日まで茶番をしていたかと思ったらなぜかちょっとシリアス風。この作品に求められている要素ではないような気もしますが、これ書かないと色々と収拾がつかないのでご容赦をば。
そして何だか最近読者様の数が増加傾向。僕としては嬉しい限りです。やはり行間を変えたのは大きかったか……
次回更新は未定!




