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赤×黒×紫➃



「っていうか、本当にそのキスマークは何なの? あんたみたいなヘタレに女遊びができるわけないだろうし、真面目に気になるんだけど」


「ところでカレン、今日は珍しく荷物を持って来てたみたいだが」


「露骨に話をそらしたわね」


「みたいだが、何を持って来たんだ?」


 隣の席に座るリッカの圧力から逃れるように向かいに座る猫耳少女に尋ねると、カレンは「あー」と思い出したような顔をして立ち上がった。


「カレンちゃん、お行儀悪いです」


「硬いこと言うなってー。や、思い出した、アリシアねーちゃんから荷物預かってたんだったー」


 アリシア?

 俺がその突拍子もない名前に違和感を覚えていると、カレンはぴょんと席から立って部屋の隅に放置してあった背嚢を拾ってきて中をごそごそと漁り始める。


「そういえばカレン、ここに来る前アリシア様に呼ばれてたわね。あのときに何かもらったの?」


「おー。えっと、これもらったー。みんなで飲めってー」


 と、カレンが取り出したのは。


「何だこりゃ、ジュースか?」


 鮮やかな深紅の液体で満たされた瀟洒なボトルだった。貼られたラベルには何やら製作者の名前が入っているが、残念ながら見覚えがない。仮にも王族であるアリシアが土産に持たせたということは、間違いなく高級品だと思うが。


「けど、何で急に? リッカ、お前何かアリシアに礼でもされるようなことをしたのか?」


「さあ……身に覚えがないわね」


 リッカは本当に思い当たる節かないようで首をひねっている。


「アリシア様はそれを下さるときに何か言っていらっしゃいましたか?」


 ミアが尋ねると、カレンは難しい顔で腕組みをした。


「なんか、ひゃく……やく? の王? だからって言ってたー、ようなー」

「何だそりゃ」

「さー?」


 腕を組んだまま首を傾げるカレン。うーむ、『ひゃく』と『王』ってワードから推測すれば真っ先に思い浮かぶのはリッカの通り名だが、当の本人は身に覚えがないと言うし。


「まあ、アリシアが『みんなで飲め』って言ったんなら少なくとも毒ではないよねえ」

「ですね。じゃあ、新しいコップを用意します」

「だな」


 今テーブルに載っているコップはどれもお茶入りだ。ジュースを開けるなら新しい容器が必要になるだろう。


「いいわよミアちゃん、私の席のほうがキッチンに近いから私が」


「【ツリーフォーム・グラス】」


 いつの間にか魔法陣を取り出したミアがそう唱えると、【水】と【土】を基盤にした魔力が放出され、瞬く間に木製のコップが五つ机の上に出現した。


「じゃあこれを使ってください」

「サンキュー弟子よ」

「いえいえ」



 弟子はたった今作り出した木製の容器にボトルの中身を注いでいく。

 うん。魔法陣の使うタイミング、発動スピード。毎日の家事を通して着実に魔法陣使いのスキルは向上しているようだな。



「ミアってすげー!」


「確かに十二歳とは思えないねえ」


 そろそろ一緒に暮らし始めて四か月。俺が編み出した魔法陣士としてのイロハが確実にミアの中に定着しつつあるようだ。


「何だかミアちゃんがシグレに似てきたような気がするわ……」


 リッカがため息を吐きながらボトルに入れられたジュースに手を出す。


 それから乾いたのどを潤すためにごくごくと飲みーー



 ふわり、と。

 


 もたれかかるようにして、隣の席に座るやつが俺の肩に頭を預けてきた。


「は?」

「ひゅー」


 驚いたのが俺、ふざけたように唇を鳴らしたのがヒガン。


「ちょっ、おい、リッカ! どうした!?」



 俺はふとリッカが直前まで飲んでいたらしい、そして今は床に転がる木製のコップを見やる。あの中に入っていたのはアリシアが贈ってきたジュースだったはずだ。

 まさかあの中に毒が? いやいやいやアリシアに限ってそんなことは……。



「リッカ、いいから起きろ! しっかりしろって……」


「……すぴー」


 あ?


「おい」


 ぐったりと横から体重を預けてくるリッカの肩を掴んで引きはがす。リッカの目はとろんとしており、口元は普段の凛とした雰囲気からは考えられないくらいだらしなく弛緩している。そして顔は見るからに赤い。


 こ、この症状は……


「ああ、なるほど。これお酒だね」


 特に警戒した様子もなくコップの中身を口にしたヒガンがさらりと言った。



 酒。つまり、百薬の長。カレンがアリシアから聞いていたというのは、おそらくそのフレーズだったわけだ。確かに酒は万病に効くとこの世界でも信じられているので、ヒガンの病状を案じるアリシアが気を利かせてくれた贈り物なんだろうが、あいつはおそらく知らなかったんだろう。



 百剣の王とまで呼ばれるリッカの唯一の弱点がアルコールであるということを。



「っだー……よりによってこいつが先に飲んじまったからなあ」


「そうだねえ。ぼくかシグレが先に気付いてたら止められたんだけど」



 戦闘に関して言えばこの世界でほぼ敵なしのリッカだが、残念ながら酒には鬼のように弱い。この世界では飲酒に年齢制限がないためリッカも酒場でトライしたことがあったのだが、一口摂取しただけでぶっ倒れた。いつもなら寝る時以外ほとんど隙を見せないくせに酒は一口でこのザマである。


 いつもはきりっとした表情のくせに酔うとかなりだらしない感じになるし、酒を体内に取り込んで十秒以内に意識を失う。やったことはないが、この状態のリッカにアルコールパッチテストをすればタバスコのような色合いが検出されることになるだろう。



「おいリッカ、起きろっての」


 と、揺すってみてもまったく意識を取り戻す気配はない。くそ、こいつ酒の耐性に関してはこの三年間でまったく変わってないな……。


 と、ふと俺は思い出す。


 そういえば飲酒に不適切な人間はリッカだけじゃない。


 この世界の法はどうあれ、俺は自分の保護下にいる子供に酒を飲ませるつもりはないのだ。ここは早いうちに釘を刺しておかねばならない。

 そう思って顔を上げた俺が見たものは。


「うげー、まっずー……」


 木製コップを手に持ち、まるでゴーヤを生でかじったような表情で舌を出しているカレンの姿と、


「ふふふ、これ美味しいですね」


 なぜかにこにこと微笑みながら空のコップを机に置くミアの姿だった。

 駄目だこれ。手遅れだ。


「おい、お前ら大丈夫か?」


「大丈夫じゃない……にがいー……」


 涙目で口直しにパエリアをがっついているカレンはいつも通りに見える。ミアはどうだろう。


「どうかなさいましたか?」


 ふむ、別段異常はなさそうだ。それならまあいいか。


「いや、何でもない。ってかそれ酒だからもう飲むなよ。子供はお茶かジュースでも飲んでろ」


「はぁい」


 ミアはにこにこと笑ったままそう返事してきた。きちんとコミュニケーションも取れているようだし、なんか機嫌がいやに良さそうではあるがリッカの二の舞にはならなさそうだ。ここは少し放っておいても問題ないだろう。


 俺はいまだに俺にもたれかかっているリッカに肩を貸すようにして立ち上がった。


「あれ、シグレどっか行くのかい?」


「ちょっとリッカをミアの部屋のベッドに寝かせてくる。ミア、今日は寝る時リッカと一緒でもいいか?」


「はぁい。ふふふ」


 え? 何? 何で笑ってんの?


 ちなみにすぐそこにあるソファに寝かせる、という選択肢はない。リッカはやたらと寝相が悪いのである程度の広さがないと寝床から落ちてしまうのだ。


「おら行くぞリッカ、少しは力入れろっての……」

「……すやぁ」


 ( ˘ω˘)スヤァ じゃねーよぶっ飛ばすぞ。リッカの足は完全に脱力しているため、俺が両手で支えていないと移動させることもままならない。魔法陣すら取り出せないのでリッカを運ぶのは単純な肉体労働だ。


「ったく」



 と、俺は居間を出てリッカをミアの部屋まで連れて行く。

 ミアの部屋は最近立ち入っていなかったのだが、相変わらず整理整頓されている。もともとあまりものを欲しがらないやつなので、置いてある調度品も少ない。壁際の机にはノートが広げられ、そこには俺が先日教えたばかりの魔法陣の理論が綺麗にまとめられていたのは、あいつらしいというか何というか。


 とりあえずリッカは部屋の隅にあるミアのベッドに下ろした。



「……すぅ」


 リッカは寝ているとき、とても無防備な表情をする。


 目つきから力が抜けているからだろう。いつだってこいつは、『強いから』『魔王を倒したパーティの一人だから』『王国軍の顧問剣士だから』というような堅苦しい理由で頭の片隅を緊張させている。


 本人は隠しているみたいだが、こいつに余裕がないのは見たらわかる。さっきも表面上は平気そうにしていたが、隣にいた俺にはこいつがヒガンの一挙手一投足に警戒しているのがよくわかった。ヒガンがまた悪だくみしている場合、すぐに対応できるようにするためだろう。


 要するにリッカはそういう人間なのだ。面倒事も厄介ごとも引き受けずにはいられない。リッカ・タチバナは責任感が強いから。

 そんなリッカが唯一心を休めることができるのは眠っている時だけ。

 だから、俺はその穏やかな寝顔を見ながら少し申し訳ない気持ちを抱いていた。

 なぜなら。



「……悪いな、リッカ。たぶん今回の件でまたお前に迷惑かけることになるわ」



 と、俺は呟いた。

 まあ聞こえているはずもないんだが。



 というわけで俺は無事リッカを寝床まで運ぶことができたのでこの部屋にいる理由はなくなった。

 よって、中断していた食事を再開すべく居間に戻りーー



「ふふ、ふふふふふ、うふふふふふふ」

「……うきゅー」 ← 机に突っ伏しているカレン

「……あー……」 ← 背もたれに体重を預けてぐったりしているヒガン



 座ったままにこにこと笑うミアと、決して大丈夫そうではない二人を目撃した。

 何だ……この状況は……?


「あ、お師様ぁ。おかえりなさい」


「お、おう……」


 唯一無事そうなミアがにこやかに迎えてくれる。


 いかにも駄目そうな二人はともかく、ミアもどこかいつもと違うような気がする。


「えへへぇ、お師様もお酒どうですか? おいしいですよねえ、これ。ふふふふふふ」



 心なしか、顔が赤くなっているような……?

 ミアは片手にコップ、もう片手にワインボトルを持っているのだが、おい待て残量がおかしい。俺がリッカをベッドに寝かせて帰って来るまでの間にボトルの中身がほとんど空になっていやがる。

 まさかこいつ、俺の言いつけを破って追加で飲んだのか? ミアは俺の言葉にはやたらと忠実なので、禁止したことをあっさり破るというのは考えづらいんだが……。



「な、なあミア。ところでその二人はどうしたんだ?」


 何だか妙な事態が進行しているような気がしつつも俺はミアに尋ねた。

 するとミアはにへらっと笑いながら、


「この二人ですか? 大丈夫ですよぅ」

「まったく大丈夫に見えないんだが」

「そうですねぇ。ちょっと舌入れたくらいでこんなことになっちゃうなんてぇ」


 ぺろり、と何かの感触を思い出すようにミアが自分の上唇を舐める。

 …………舌?


「ミア。唐突に嫌な予感がしてきたんだが」

「なんでですかぁ? あ、ところでお師様ぁ」

「何だ?」



「ちょっと目を閉じて唇を突き出してもらってもいいですか?」



「お前何言ってんの!?」


 さすがの俺も驚愕を禁じ得ない。


「大丈夫です。変なことはしません」

「もうその言葉を信用することができそうにないんだが」

「なら、キスをするのでそこを動かないでください」

「直球で言えって意味でもねーよ!」


 マズい。何だか知らんがうちの弟子が正気を失っている。


 今あいつ何て言った? キスって言った? いやいやいやいやおかしいだろ? あの真面目で純粋なミアが自分からそんなことをするはずがーー


「……だ……つしは……」


 と、混乱する俺の耳に聞きなれた声が届いてきた。


 声はぐったりと背もたれに体重を預けているヒガンの方からだ。


 何だ? ヒガンのやつは一体何を言っているんだ? 何でもいいからこの状況を打開する情報を得られれば、


「くちうつしはいやだ……くちうつしだけは……」


 どうやら昨日ミアが行った水の口移しはヒガンに対して軽度のトラウマを植え付けたようだ。


 っていうかこれもう目を逸らせる次元じゃねーな! これは昨今ラノベやラブコメ漫画でありがちなアレだ。


 酒に酔うとキス魔に変貌するという、ろくでもない展開だ。


「お師様、さあ、目を閉じてください」


「このバカ弟子が……大人しく従うわけねーだろ!」


 と、俺は椅子から立ち上がれーーない?


「……ん?」


 おい、何だこれ。何で立てないんだ? どうして何か強い力に肩が押さえつけられているかのような感覚がするんだ?


「【不可視の右手(マスターハンド)】それに【不可視の左手(クレイジーハンド)】……ふふふ、お師様に教えていただいた魔法陣が役に立ちましたね。ふふふふふ」



 やばい。やばい。

 腕を押さえられているせいで感応紙を取り出して対抗することができない。もちろん俺の腕力ではこの拘束は解除できようはずもない。


 というか何なんだこの魔法陣の発動スピード! 普段のこいつからは考えられないくらいの速度だぞ!? 酔ってるくせにどうしてこんなところだけ能力が上がっていやがるんだ!?


「やめろミア、ふざけんな! 俺はガキに唇奪われるなんてまっぴらごめんだからな!」


「……私ではいやですか?」


「おう」


 今更上目遣い程度で俺を動揺させられると思っているのか。


「知らない人にはキスさせるのに、ですか?」


 ミアの視線は俺の胸元に突き刺さっている。


「……これには事情があるんだ」


「そうですか。事情があったらキスしてもいいのですか」


「その理屈はおかしい」


「おかしくてもいいです。私はお師様の弟子なんです。一緒に暮らしてるんです。……お師様は、知らない人なんかに渡したりしません!」


 銀髪ロリさん、いきなりヒートアップするのはやめていただけませんか。俺はまったくついていけていないんです。状況に放置プレイを食らっているんです。


「と、とりあえずお前は動くな。ステイだ」


「ふふふふふ、おことわりします」


「ミア。俺はお前のためを思って言っているんだぞ? きっとお前は我に返った時後悔することになる。ここは大人しく引いておけ」


「わあ、お師様、実は焦ってますかぁ? ……慌てるお師様もかわいいですねぇ。ますます好きになりそうです。ふふっ」


「おい待てバカやめろ近づいてくんな! 殴るぞ! それ以上近づいたら殴るからな!」


 まずい。ミアが席を立って着実にこちらに向かっている。


「ふふふふふふ、そんなこと言ってもお師様は動けませんよね? 両腕をがっちり押さえてますから」


「くっ……殺せ!」


「大丈夫ですお師様。きっとお師様も一度すれば天国に行けますよ? ……カレンちゃんや『ひーちゃん』さんのように」


 ぺろりと舌なめずりをして、ミアが飛びかかってきてーー



 ドシャアアアッ



 反射的に目を閉じた俺は、何かが転ぶような音を聞いた。


「……きゅう」


 目を開けると、そこには急な動きに耐え切れず顔面から床に倒れて目を回している弟子の姿。俺の両腕を拘束していた魔法陣も解除されている。


 た……助かった……のか……?


「あ、あっぶねえ……」


 俺は安堵の息をつき、ぐるりと周囲を見回す。


 うわごとのように何かを呟き続けるヒガン。

 テーブルに突っ伏したまま微動だにしないカレン。

 足元で伸びているバカ弟子。


「……よし」


 二度とミアには酒を飲ませないようにしよう、と俺は固く誓った。


 茶番でした。次回更新は未定!

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