天癒上人?
シグレがアリシアと面会しているのと同時刻。
家主不在のシグレ家では、ミアが鼻歌を歌いながら手に持ったりんごの皮を剥いている。
「みっみっみくるー、みっくるんるん」
師匠であるシグレが新しく設定した通信用魔法陣の『ちゃくめろ』を口ずさみながら、小さな手が器用に作業を進めていくのを、ヒガンはソファの上からぼんやりと眺めていた。
目の前の銀髪の少女は変わっている、とヒガンは思う。
「はいどうぞ、『ひーちゃん』さん。食べられそうですか?」
食べやすく小さめにカットされたりんごとそれを差し出すミアを交互に見て、ヒガンは口を開く。
「……きみは、怒らないの?」
ヒガンは自分のやったことをきちんと自覚している。
以前、自分が起こした一件で、この少女の師匠は死にかけている。
はた目にもシグレに懐いているこの少女は、どうして自分に対して普通の病人のように接することができるのか。ヒガンにはそれが疑問だった。
ミアは一瞬だけ複雑そうな顔をして、
「……怒りますよ。だってお師様が死んじゃうかと思ったんですからね、あの時は。……ですが、それはそれです」
それでもミアはきっぱりと告げる。
「そういうのは、やっぱり『ひーちゃん』さんの病気が治ったあとの話だと思います。だから『ひーちゃん』さんはしっかり休んで体を治してください」
自分の感情は後回しにして、まずは目の前の病人を元気にするのが先と、明確に優先順位をつけると宣言する。
ミアにしてみれば、重病人に負担をかけるなどありえないことだった。
実のところそれは、ベッドに寝たきりだった母親を思い出してのこともあるのだがーーヒガンにはそれを知るすべはない。
「きみは、ぼくのことが、こわくないの?」
熱でからからに乾いた喉。朦朧とする意識。
ヒガンの口をついて出た疑問に、ミアは表情をかすかに緩めた。
「実は、あんまりこわくないんです。理由は私もよくわかってないんですけど」
ヒガンからすれば、ミアはずっと年下の少女だ。
だがミアは、怖がる子供をあやすような優しい声で、
「だから、『ひーちゃん』さんもこわがらないでください。何もしませんから、安心して寝ていいんです」
ゆっくりと、労わるようにそう言った。
「……そう」
ヒガンはそう短く言って、それからほどなくして眠りに落ちた。
その寝顔はさっきまでよりも多少は落ち着いていた。ミアは何となくそのまま眠るヒガンを眺めていたが、不意に部屋の人数が増える。
「あー疲れた」
「あ、お帰りなさいお師様!」
たった今、転移魔法陣でミアの師匠であるシグレが帰還した。
前触れゼロの唐突な帰宅にも、今更ミアは動じない。だてに何か月も同居していないのだ。
「お疲れ様です。りんごを剥いたので、お師様もどうーーむぐぐ」
ミアが差し出したりんごをシグレは引ったくり、逆にミアの口に突っ込む。
律儀にそれをしゃくしゃくと食べるミアにシグレが言う。
「いや、今はいい。これからすぐに出発だ。お前にちょっと言い忘れたことがあって戻ってきた」
「(ごくん) 言い忘れたことですか?」
「ああ。俺がアリシアのところに行くのは、元パーティメンバーのセンがどこにいるか聞くためって言ったよな?」
「はい」
ミアが頷くと、シグレはがっとミアの両肩に手を置いた。
突然のことにミアが硬直していると、シグレは今まで見たこともないような真剣な顔で告げた。
「よく聞けバカ弟子。俺は今からセンに会いに行くからーー」
「は、はい」
「――絶っっっっっっ対お前はついてくるなよ」
「……へ?」
真剣そのもののシグレの警告に、ミアは言葉の意味がわからず目を瞬かせた。
×××
『天癒上人様の居場所は、王国東部の集落です。そこに目撃証言があったと、陛下が』
というのは、アリシアの側付き使用人であるハイクオリティメイドの言。
ご丁寧に地図まで出して場所を教えてくれた。しかしよくあの根無し草を発見できたな、と何気なく言ったら『ありがとうございます』と言ってにっこり笑ってきた。まさかとは思うが、あのメイドさんが調べたんだろうか。だったらあのメイドさんマジすげえ。
で、教えられたのは王国のほとんど東端にある山あいの村だった。
人口は数百人規模で、シャレアと比べれば田舎としか言いようがない。
だがまあ、静かでのんびりした場所ではある。センのやつが気に入るのも頷けるーーというのが、この集落にやってきた俺の最初の感想だった。
「おお、何だいあんた見ない顔だね」
両端をだだっ広い畑に挟まれたあぜ道を歩いていると、道脇から声をかけられた。
見れば、頭に頭巾を巻いたおばさんが畑の中から俺を呼んでいる。
「どっから来たんだい」
「あー、西の方から」
適当に言葉を濁しておく。
どうせ最寄りの街へ転移したのち【重力操作】を使って空を飛んでここまで来ていた、なんて誰も信じてくれないだろうしな。信じられたとしたらもうそれは俺の身元がバレていることを意味するが、おばさんの反応からするにそれはなさそうだ。
「わざわざこの村に来るなんて物好きだねえ。もしかしてあんたもアレかい? ヤバい病気を治してもらえるって噂を聞きつけて来たクチかい?」
今、聞き捨てならないことを言ったなこのおばさん。
「ああ、まあそんなとこです」
ヤバい病気を治してもらえる。
俺の昔の仲間、センは凄腕の治療師だ。そのうえまあまあ正義感が強く、『天癒上人』なんてあだ名も、俺たちと出会う前のアイツが旅をしながら人々の怪我を治して回っていたという経緯からついたものである。
何にしても、このおばさんの言葉によってここにセンがいる可能性はぐっと増した。
「その話、詳しく聞かせてもらえませんか?」
「ああ、まあそりゃ構わないけどねえ……」
ここでおばさんはわざとらしく疲れた顔で周囲の畑を見回し、
「いやあ、作業もいい加減疲れてきたねえ。誰か代わりに草むしりをしてくれたら、あたしの口も軽くなりそうなんだけどねえ……」
「い、いや、そこを何とかお願いしますよ。あんまり時間がないんです」
「はっ、人にお願いをするときはそれなりの誠意を見せるもんだよ鼻たれが。よそ者のくせに、何を図々しいことを言ってるんだい」
こ、このババア……!
「……」
俺は無言で懐に持っていた魔法陣を取り出した。
数分後。
「さあ、これで満足だろ。おら吐けや。センの野郎はどこにーー」
「ヒィィィィィ! ヒイイイイイイイイイイ!」
見渡す限りのすべての畑から雑草が取り除かれたという光景を見て、農家のおばさんが悲鳴を上げた。
どうしてそうなる。
「祟りじゃああああああ! 山の神がお怒りじゃあああああああ!」
俺の言葉など聞こえていないように悲鳴を上げ続ける農家のおばさん。
俺がしたことといえば、自宅の家庭菜園用の魔法陣をちょっと全力で行使しただけだ。
具体的には、まず雑草をまとめて畑の隅に転移させた。ミアが来るまでは菜園の世話も自分でやっていたので、この手の作業はお手の物だ。
ついでに、作物を食い荒らす『害虫』を畑から引きずり出して、置き場に困ったのでさっきのおばさんの足元に集めた結果ーー
「殺されるうううううう!」
ーーこうなったと。
ちなみに害虫の数は目測で数百に迫る。周囲の畑からも集めたんだから当たり前だな。
イナゴの大群に追いかけられるおばさんを見るのは面白いが、これじゃあ話を聞くどころじゃない。
「何じゃ!? 何事じゃ!?」
「どうした!? ……うおお、何だこの虫の大群は!?」
騒ぎを聞きつけて村人たちがわらわらと現れ始めた。
まずい。そろそろ潮時か。
俺はおばさんを【重力操作】でひょいと浮かせて風魔法でこちらに流し、標的を見失った害虫たちに【パラライズ】を撃ち込んで殺処分。あっという間に虫の大群は黒い死骸の山になった。
ここであまり騒ぎ立てられるのは俺も本位じゃない。
「すまん、悪ふざけが過ぎた。謝るから許し……」
「皆の者、あのお方を崇めるのじゃ! でなくば大変なことになるぞ! あのお方は山の神である!」
「「何ぃっ!?」」
おいやめろ。話を大ごとにするな。俺は目立ちたくないって言ってんだろ。
「そういえば聞いたことがあるぞ……山の神は怒るとイナゴの群れを呼び寄せると」
「なにっ! ?神様ァアアうちの嫁が何か失礼をしましたか!」
「なにとぞ、なにとぞ祟りだけはご勘弁くだせえ!」
どうして俺はちょっとイナゴをけしかけただけなのに初対面の村人たちに土下座をされているんだろう。
「いや、そうじゃなくて、俺はそう、アレだよ! ちょっとケガをしたから治してほしくてこの村に来ただけでだな」
「おい聞いたか! すぐにあの方を連れてこい!」
「合点だ! 神様、少し待っていてくだせえ! あっ、おーいお前らァァァァァ神様が来たぞおおおおおお!」
何他の村人にまで広めてんだ!
そう思ったが、俺はあえて言わなかった。
センのやつを連れてきてもらえるなら、こっちから探す手間が省けるからな。この村に訪れるのも今日限りだろうし、もう俺山の神様ってことでいいや。そのほうが手っ取り早そうだ。
「神様! ウチの畑も害虫とってやってくだせえ!」
「うちの田んぼも!」
「神様、うちの鶏が昨日から卵を産まんのです。どうしたもんでしょう?」
「うるせーんだよお前らは! 山の神は農業アドバイザーじゃねーんだよ! ええいクソ、やってやるから順番に並びやがれ! あいつを連れてくるまでの間だけだからな!」
一体どうしてこんなことになっているのだろう。
そんなことを考えながらもしばらく山の神として君臨し続けることしばし。
やがてそいつはやってきた。
「神様ァアアお連れしやした!」
「おう、ご苦労……!?」
俺が山の神にふさわしく横柄な口調で言うと、さっき飛び出していった青年が一人の手を引いてやってくる。
俺は目を見開いた。
「ほら、山の神様がお呼びだぜ」
「……なっ。なに?」
やけにおどおどした声。
その声の主は、青年の影に隠れるようにして立っていた。
長い藍色の髪。
透き通るような白い肌。
この世界に来て初めて見るような琥珀色の瞳。
「……お前、誰?」
俺がかつて一緒に旅をしていたやつとは似ても似つかない、目測十歳くらいの幼女が、怯えた目で俺を見ていた。
……昨日、別作品の更新分を間違えてここにアップしたことをこの場を借りてお詫び申し上げます。
まぎらわしいことしてすみません! あの、あれです。『逃げるは恥だが役に立つ』っていうドラマがあと五分まで迫っていて、それが見たかったがために焦ってげふんげふん。
以後気を付けます。




