幽世の少女➃
この世界はなぜかリンゴの旬が春から夏だ。
うちの菜園は一部が果樹園になっており、お見舞いの必需品ともいえるこの果物も栽培している。
とりあえずそれをいくつか採ってきて、すりおろしてヒガンに食わせてみた。
この紫髪の元仲間はいつも飄々としていて考えの読めない奴だが、弱っているからか、はたまたミアの不意打ち口移しがよっぽど効いたのか、大人しくされるがままになっていた。今はミアにりんごを食べさせられている最中だ。
「……むぐ。ミアちゃん、もういいよ。ありがとう」
「いえいえ。また食欲が出たら言ってくださいね?」
そう言って、ミアがにっこりと微笑む。
それにしてもこの犬弟子、枕元に陣取っての看病がやたらとサマになっているな。病人の世話に慣れているのか? ナース服姿のミア……
意外と似合うかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいいんだ。
「ミア、少し頼まれてくれるか」
「はい? 何ですか?」
俺は神妙な顔を作って言った。
「実は、ヒガンのこの病状に心当たりができた。ついでに言うと、これに効く薬の作り方も思い出した」
「本当ですか!?」
「ああ。だが、この薬を作るためにはこの森の奥の崖の上にしか生えない特殊な薬草が必要になるんだ。悪いがミア、ちょっと取りに行ってくれないか?」
「もちろ……あれっ? それならお師様自らが採りに行けば済む話ではーー」
「バカ野郎、薬作るのに草だけでどうこうできるわけねーだろ。俺は他の器具とか材料の準備とか色々あるんだ」
俺がしごくもっともな理由を挙げると、ミアは大真面目な顔で頷いた。
「わかりました! では、急いで行ってきます!」
言うが早いかミアは物凄い勢いで部屋から出て行った。
凄い決断力だ。探し物の外見も必要な数もわからずに飛び出していくなんてなかなかできることじゃない。
「行きますよふーさん、薬草探しを手伝ってくわぎゃあっ!」
……ついでに、毎日毎日コケているのに学習せずに転ぶのもどうかと思う。走るたびに転んでるんだぜあいつ。
弟子がやかましい音を立てて家のドアを閉めるのを確認し、俺は呼吸を一つ。
意識を切り替える。
薬草なんてのは嘘っぱちだ。俺はヒガンの症状をどうにかする都合のいい薬なんて知らない。
そんなことを言ったのは、ただ単にミアを追い出すためだ。
そしてミアを追い出したのはーー
「じゃ、話を聞かせてもらうぜ、ヒガン」
「……怖いなあ。あんまり、睨まないでよ」
ヒガンがソファに力なくもたれかかりながら、それでも寝転ぶことはせずに減らず口を叩く。
――ミアを追い出したのは、こいつから情報を引き出すのに邪魔だと思ったからだ。
「睨んでねーよ。けど、警戒するのは当たり前だろ。俺は、お前がしたことを忘れてないぞ」
こいつはつい最近、俺たちに面白半分で魔王をけしかけてきた張本人だ。ミアやカレンはともかく、俺やリッカは実際に殺されかけたという事実がある。
「まず、俺やミアに言うことがあるんじゃねえのか」
問い詰めるような口調。にらみつけるような視線。ミアがこの場にいたら、そろそろ止められていた頃合いだろう。
だが、ここだけははっきりさせなくてはならない。
ヒガンがどんな理由でここに来たのかはこの際どうでもいい。
まずは、棚上げにされていた過去を清算するのが先のはずだ。
「ぼくは……」
ヒガンは魔王討伐パーティーの仲間だ。命を救われたことも一度や二度じゃない。それは俺だけじゃなく、リッカも同じことだ。
だから、次の言葉で全部決める。
こいつが一言『ごめん』と口にすれば、それで前のことは呑み込んでやってもいいと思っていた。
「……ぼくは、謝らないよ」
こいつの言葉を聞くまでは。
「……あ?」
「……ぼくは、謝らない。そんな必要、ないからね」
こいつは、本当に……!
「……立場がわかってねーのかよ。外に放り出されたいのか?」
「……できやしない、よ。きみは、優しくて、甘いから」
かっと頭に血が上る。
このまま首根っこひっつかんで窓から投げ捨ててやりたい衝動に駆られる。
事実こいつは俺がそれを実行に移しても逃れるすべを持たないだろう。
「このーー」
「ミアちゃんは、もっとだ」
水をぶっかけられたように冷静さが戻った。ヒガンのたった一言で。
「……きみは、ぼくにひどいことは、できないでしょ? だって、ミアちゃんが、嫌がるから」
言い返してやりたい。だが、咄嗟に口が動かなかった。
俺がこいつを捨てたとして。ミアがそれを知ったとして。
……くそ、動揺してんじゃねーよ。くだらない揺さぶりだろうが。
「あは、あはは」
ヒガンは笑っている。
弱い立場にいるはずで、弱っているはずで、それでもかすれた声で俺を嗤う。
腹立つなこいつ。この何でもお見通しですよ、みたいな態度が本気でムカつく。
「……きみは、わかりやすいね」
「ああ?」
「なら、もう一つ」
ヒガンはにい、とかすかに口元を歪めて。
「ぼくをこんなにした、モンスターの、情報ーー欲しくない?」
……は?
「……お前、それ、モンスターにやられたのか? お前が?」
俺は苛立ちも忘れて尋ねた。
ヒガンは直接的な戦闘能力では魔王討伐パーティーの中で文句なしの最弱とはいえ、こいつには女神からもらった『モンスターを操る』という異能がある。大量の駒を効果的に操るだけの頭もある。三年前の時点で、使役獣の数は三十を超えていたはずだ。
そしてその中にはこの国で最も恐れられていた伝説クラスのモンスターも混ざっている。
そのこいつが、今さら負ける? たかがモンスターごときに?
「……ッ」
有り得るとすれば、それは俺には一つしか浮かばない。ぞっとする話だ。
ヒガンを相手にしてここまでのダメージを与えるモンスターがいるとすればーーそれは魔王に匹敵するレベルということになる。
「……気に、なるでしょ?」
ヒガンの見透かすような態度がカンに触る。
いつの間にか、会話の主導権がヒガンの手にあった。
「そんなもんが、いるとして。……だから何だよ。俺に何か関係があるか?」
「そのモンスターが、英雄を狙うから」
「――ッ」
「……確信は、ないけど。それでも、きみが狙われる可能性は、……低く、ないよ」
できすぎだ。嘘だ。俺は咄嗟にそう思った。
ヒガンは息をするように嘘を吐くことができる。騙し合いや腹の探り合いで俺はこいつに勝てた試しがない。
だがーー今回ばかりは話が違うんじゃないのか。この状態のこいつが、いつも通りに嘘なんて吐けるのか? 少なくとも俺には、こいつが嘘を吐いているようには見えない。
「交渉、しようよ。シグレ」
ヒガンが弱った声で言ってきた。
「……交渉?」
「うん。ぼくがーーッ」
と、不意にヒガンの言葉尻が崩れた。
それからヒガンは激しく咳き込む。
「げほっ、……っう、げほっ!」
血でも吐くんじゃないかと思うほど、苦しそうに。つらそうに。喉元を押さえて、体を震わせる。
「……ぁ、はあ。……あはは、ごめん、もう、大丈夫だよ。さあ、話しの続きをしよう?」
「……あ、ああ」
苛立ちの代わりに戸惑いが俺の胸中を満たした。
今の咳が演技じゃないことは俺でもわかる。
こいつの体調は、もしかしたら俺が思っているのよりずっと悪いのかもしれない。
だからこそ、俺は違和感を覚えた。
そんなに苦しいならいっそ素直に謝って、楽になればいいのに。
「……取引、しよう」
――どうしてこいつは、あくまで俺と『敵対』しようとするのだろう。
「……きみたちには、ぼくの体を治してもらう。代わりにぼくは、ぼくを襲ったモンスターのことを、話すよ」
敵同士だから、まずお互いの利益を確認し、そのうえで取引する。
利益があるから手を組む。利益があるうちはお互い協力する。
それは、敵と味方の明確な線引きに他ならない。
「……俺は」
俺はため息を吐きたくなるのをこらえて口を開く。こいつがあくまで謝らないって言うなら、俺もそれ相応の対応をさせてもらおう。
「俺は、取引が済んだらお前を国に引き渡すぞ。それでもいいのか?」
「……あは、は。シグレが、そうしたいのならーーそう、し」
ヒガンはここで倒れた。起こしていた上半身から力が抜け、ぐらりと前に傾く。
俺は思わず身を乗り出してそれを支え、そのあまりの熱に驚く。
薄っぺらい胸が浅い呼吸に応じて上下している。
ヒガンの華奢な体は、素人目にも限界に達していた。
「……バカ野郎が」
俺が自分でも意味のわからない呟きを漏らした。
と、その時。
みっみっみらくる♪ みっくるんるん♪ みっみっみらくる♪ みっくるんるん♪
「あん? 着信か?」
ついこの間設定したばかりの着メロとともに通信用魔法陣に通信が入る。
まったく、何なんだこのクソ忙しい時に。
俺はため息を吐いて点滅する魔法陣を取り出し着信相手を確認する。
着信 → from:犬
……。
「……何か用か?」
「お師様どうしましょう! 薬草の外見がわからないので探せません!」
「今気づいたのか!?」
今までのシリアスな雰囲気を返してほしい。
隔日更新にするといい感じになることに気付きました。
週末にはポケモンの最新作が発売するため更新速度が遅くなるかもしれま、何でもありません。ちゃ、ちゃんと更新しますから!




