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幽世の少女➂




「どうしたもんかな、これ」


 場所は変わって森の中から我が家の居間だ。


 さすがに森の中でぶっ倒れている人間を見かけてそのまま散歩を続けられるほど俺もミアも図太くはなく、とりあえずヒガンを連れて一度家に戻ることにした。


 生死の確認は真っ先にした。かすかに呼吸はしている。脈もある。


 ただし、ヒガンの体はとんでもない高熱を発していた。首筋に触れただけでこっちが火傷するんじゃないかと思えるほどの熱だ。意識もなさそうだった。


 迂闊に動かしていいのかすら判断がつかなかったので、転移魔法陣で自宅に連れ込み、ソファに寝かせて額に氷嚢を当て、ここでようやく時間は現在に戻る。


 つまり、来客用のソファに力なく横たわるヒガンをすぐそばから眺める俺とミアという構図だ。


「……どうしたもこうしたもないと思います。このまま熱が下がるのを待つしか……」


 ミアが浅い呼吸を繰り返すヒガンを見下ろし、沈痛な面持ちで言った。


 ヒガンは以前、討伐したはずの魔王を従えて俺やリッカに差し向けた張本人だ。あの時は俺もリッカも相当な苦戦とダメージを強いられたし、ミアとしても決していい思い出ではないだろうが……今ばかりはミアがこういう表情をするのもわかる。それくらい、ヒガンの状況は素人目にもまずかった。


 この女がどうしてこんな状況になっているのか。どうしてこの森にいたのか。


 聞きたいことはいくつもあるが、そんなことを問いただせる容体じゃない。


 一番手っ取り早いのは町まで行って医者に見せることだがーー


「やっぱり、町の診療所に連れて行くのはまずいですよね……」


「まずい。多分こいつが顔見せただけで即通報されるだろうな。治療どころじゃない」


 ヒガンは魔王を使役して騒ぎを起こしたため、国によって指名手配されて賞金までかかっている状態だ。いくら危険な状況といっても人前に出すのが得策だとは思えない。


 もちろん最後の手段としてそれも考慮するが、できればその選択肢は取りたくない。今にも死にそうな人間を牢獄にぶち込む手伝いなんかしたら夢見が悪くなりそうだ。


 とはいえ、他に効果的な手があるかといえばそうでもないんだが。


「……お師様でも、やっぱり治療はできませんか」


 ミアが窺うように俺を見てくる。


 俺は首を横に振った。


「できたらやってる。お前も知ってるだろ。――魔法陣は、人間には使えない」


 俺の言葉にミアはさらに表情を暗くする。


 魔法陣は人間に使えない。治療、身体強化、このあたりは魔法陣技術の泣き所と言っていい。



 ほとんど万能と言える魔法陣だが、こと生物の『内部』に干渉することに関しては鬼門なのだ。



 魔法陣の構築に必要なのは正確なプログラムとデータ。魔法陣を使う前と、使った後。その精密な情報が絶対に必要だが、人間の内部は目視できないためその情報が把握しづらい。


 ついでに、生物の体はめちゃくちゃ繊細にできているため大雑把な理解で術式をぶち込むことは許されない。魔法陣を医学に応用しようとして被験者に重大な後遺症を残した研究資料は枚挙に暇がないのだ。今では国が『治療目的の魔法陣使用』を全面的に禁止しているほど、と聞けばその危うさがわかる。


 結局、俺たちにできることといえば氷入りの革袋を額に乗せたり汗を拭いたりするくらいが関の山だ。


 だが、俺としてはこの方が都合がいい。


 治療するしない以前の問題だ。俺はこいつに、真っ先に確認すべきことがある。


 ――と。


「……あ」


「「あ」」


 かすれた声が聞こえてきた。俺とミアが同時に下を向く。


「……しぐ、れ?」


 それまでずっと短い呼吸を繰り返すだけだったヒガンの口が、確かに俺の名前を呼んでいた。


「ああ。目、覚めたかよ」


「うん……」


 弱々しい声だった。ヒガンは目を開けたが、視点が定まっているかどうかも怪しい。


 俺はじっとその様子を観察した。感情を排して、機械的に。


 ヒガンの病状を診るためじゃない。


 

――こいつの現状が、演技じゃないかを確認するためだ。



 病人相手に酷な対応と思われるかもしれないが、ここは徹底しておく部分だ。


 なにせ俺は先日の一件でこいつがけしかけてきた魔王に殺されかけているのだ。それでなくてもこいつの考えは底が読めないところがある。元仲間として、元仲間だからこそーーこいつに対して警戒を解くなどありえない。


 そんなことを考えていると、横合いからミアが俺とヒガンの間に割り込んできた。


「『ひーちゃん』さん、おはようございます。お水は飲めますか?」


 ミアの手には水の注がれたコップが握られている。


「……無理、かな」


 ヒガンはゆっくりとミアの方に視線を移すと、小さく首を横に振った。よほど体調が悪いらしい。


 これも演技には見えなーー



「――わかりました。じゃあ、こうします」



 次の瞬間、ミアがいきなり手に持っていたコップから水を口に含み、ヒガンの口に直接それを流し込んだ。


 口移し。


「っ!? ――む、ぐ、」


 止める間もなかった。俺は唖然とし、あのヒガンですら意表を突かれたように体をこわばらせて抵抗できずにいる。


 数度、ミアとヒガンの喉が呼応するようにこくこくと動き、ヒガンの口内に水が流れていく。


「……ん、ぷはっ」


 ミアがヒガンから顔を離したところで俺はようやく再起動した。ミアの首根っこを掴んで引き戻す。


 こいつは人の気も知らずに勝手なことを!


「このバカ! まだヒガンが何企んでるのかもわからねえのにーー」


「そんなこと言ってる場合ですか!?」


 俺は目を見開いた。ミアが俺に対して声を荒げたのは初めてだった。


 ミアの表情は真剣そのものだった。真剣に、俺に怒っている。


「私だって『ひーちゃん』さんがどんな人かは知ってます! 悪いことしてるのもこの目で見ました! けど、今はそんなことどうでもいいでしょう!」


 頭を殴られたような感覚がした。


 ド正論だ。言い返せない。理屈ではなく感情が俺を黙らせた。


 そこでミアは我に返ったようにはっとして、


「……すみません。けど、私……」


「師匠命令だ、バカ弟子。ちょっとそいつの看病してろ」


「え?」


「ちょっと庭行ってそいつでも食えそうな果物採ってくるわ」


 そう言い残して俺は部屋を出た。



 【悲報】俺氏、六歳年下の弟子に言い負かされる。



 長くなったので分割しました。

 本作品初キスシーンはミア×ヒガンになりましたが、一体どうしてこうなったか僕にもよくわかりません。きっと寝不足だったんだと思います。

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