法陣士→百剣の王⑤
×××
状況を再確認しよう。私はーーリッカ・タチバナはそう自分に言い聞かせる。
私は今、『シグレ・ジウ』の体に入った状態だ。このすり鉢状のコロシアムを囲む観客たちは、間違いなく私のことを魔法陣の名手『法陣士』だと思っているはず。
そして私はそのことを隠したまま試合に勝たなくてはならない。剣なんかもちろん使えない。シグレのふりをする以上、武器は魔法陣限定だ。
幸い、いくつかポケットに見覚えのある術式の刻まれた魔法陣があることだし、まるっきり打つ手がないというわけでもない。
私は私の魔力量でも扱えそうな魔法陣をいくつか選んで手に持っておく。これの使い方くらいは知っているけれどーー問題はタイミングだ。私はシグレほど馬鹿げた量の魔力は持っていないから、使いどころはきちんと考えなくてはならないでしょうね。
「デュフッ……行きますぞ?」
と、考え事をしている私の前で、対戦相手がゆらりと腰を落とした。
瞬間、私の脳裏で女神からもらった異能が警笛を鳴らす。
「ーーッ!」
「ぬぅんッ!」
間一髪、というほどでもない。突き出された拳を私は最小限の動きで回避した。けれど、確実に意表は突かれた。
『おおっと、先に動いたのはミゼル選手ーっ! あの巨体からは想像もできないほどの俊敏な動きで拳を見舞う! しかし、さすがは英雄の一人シグレ選手! 百剣の王リッカ・タチバナに匹敵する身の動きで危なげなくかわしたァ!』
なかなかいい動きね。まさかこの力士のような体格でスピード重視の拳法使いとは予想外だったわ。
けれど、残念。
「デュクシ! デュクシ! ーーぬうっ、当たらぬでござる!」
首の振り、体のひねり、そんなごくわずかな動きで繰り出される拳打をかわしていく。
『おそるべき動きですシグレ選手ッ! 完全に、完全にミゼル選手の攻撃を見切っているぅぅぅっ!』
私の異能は、私に『世界最強の剣士』としての能力を与えてくる。
その中には相手の攻撃に対する『見切り』も含まれる。呼吸から、体勢から、力の入り方から、どんな攻撃がどのタイミングで来るかが私には手に取るようにわかるのだ。
私のフリをして試合に出ているシグレに『火竜の牙剣』を貸し出しているせいで今の私の身体能力は一般的なーーというかシグレの体格上一般水準を下回るレベルだけれど、回避に専念すれば『百剣の王』としての地力を発揮できる。
さあ、あとは隙を見つけて至近距離から魔法陣をぶつけるだけ。そんな算段をつけていると、目の前でミゼル選手がぴたりと動きを止めた。
「あら……じゃなくて、おいおい、もう終わりか? だらしねーなぁ」
正直対戦相手にこんな口の利き方をするのは好みではないけれど、状況が状況なだけにシグレの演技に徹する。
私の挑発的な言葉に、ミゼル氏は肩で息をしながら、こう応じてきた。
「ふぅー……ふぅー……さすがはシグレ殿……某の猛攻を物ともしないとは……少し自信をなくしてしまうでござるよ……フヒッ」
そろそろこの対戦相手の口調に一度突っ込みを入れたいところだけれど、あまり深く関わりたくないので我慢しておこう。
……と、思ったのだが。
時間稼ぎのつもりか、ミゼル氏はこんなことを言い出した。
「それはそうと、シグレ殿。最近はシャレアの裏市場には出品されておらんようですが、新作の発売はまだですかな?」
「……裏市場?」
何となく聞き逃してはいけない言葉のような気がして、思わず聞き返す。
するとミゼル氏はきょとんとし、
「何でござるか、鳩がガトリング魔導砲を食らったような顔をして。裏市場といえば、シャレアで定期的に開かれる秘密の市場に決まっておりますぞ」
……またえらくきな臭い単語が出てきたわね。
さすがに治安のいいシャレアで奴隷市場が開かれているなんてことはないはずだけど、絶対ろくな商品を取り扱っていないわ。シグレのやつ、一体何に首を突っ込んでいるのよ。
というか、この人はシグレのことを知っているのかしら? だとしたら、あまりボロが出ないように気を引き締めないといけないわね。
「あ、ああ。まあ最近は忙しくてな」
「忙しい? ーー忙しいですと!? き、きき貴殿は言うに事欠いてなんということを!」
あら?
言葉選びを間違えたかしら。おかしいわね。まだそんなに変なことは言ってないはずだとーー
「貴殿は、『英雄☆萌え萌え抱き枕カバー』の新作を心待ちにしている我々よりも大切なものがあるというのですか!?」
何だか邪悪な単語が聞こえた気がする。
「……何だって?」
「ぬ、ぬうっ、とぼけるつもりでござるか!? 『英雄☆萌え萌え抱き枕』といえばシグレ殿の持ち込まれた嗜好の抱き枕のことに決まっているでござる! 限定十個しか販売されずファンの間では高額で取引されるあの逸品、忘れたとは言わせませんぞ!」
どうしようかしら。
正直に言えばもうこの話題を一ミリたりとも掘り下げたくないんだけど、どうしても気になって仕方がないことがあるのよね。
私は仕方なく尋ねてみることにした。
「……いちおう聞くけど、その抱き枕の『英雄』ってのは……?」
違っていてほしい。心の底から違っていて欲しい。神様、どうか私の予想が外れていますようにーー
「もちろん、魔王を討伐した英雄リッカ・タチバナ様とヒガン・カレギシ様のことに決まっておりますぞ! 『英雄☆萌え萌え抱き枕』とは、お二人の姿がプリントされた等身大抱き枕のことでごさる!!」
どうやらこの世界に神はいないようだ。
っていうかあのバカ! 一体何をしでかしてんのよ! 何勝手に人を商品化してくれてんの!?
「フフ、フヒヒ、もうそろそろ待つのも限界ですぞ。何せ数ヶ月前から某は新作を待ち望んでいるのでありますからして! 何でも次は抱き枕カバーの裏側に魔法陣を刻み、寝るときには『おやすみ』起きた時には『おはよう』と耳元で、それも英雄様の声で囁いてくれるとか! フォォォオ!! 想像するだけでたまりませんぞッ!!」
しかもしっかりと顧客のニーズを掴んでいるところが腹立たしい。どうしてその商才と技術力をまともな方向に使うことができないのだろう。
「ここまで言っても認めてもらえませぬか……」
ええ。認めない。これが現実だなんて認めたくない。
「ならば実力行使ッ! 貴殿を叩き伏せ、新たな抱き枕を作ると誓わせるまででござる!」
先ほどまでとは比較にならない高速駆動。ミゼル氏が素晴らしい足運びで距離を詰めてくる。この動きの原動力の正体を知らなければ素直に賞賛していたところだ。
「ぬんっ! せぇい! どっせえええい!」
けれど、結果は同じ。振るわれる拳は私の体にかすりもしない。
「ぐぅ……っ、さすが英雄殿。だが、某は負けるわけにはいかんでごさる! 新作抱き枕の販売を心待ちにしている1300万人の同胞のためにも!!」
1300万人≒東京都の人口
どうやらこの体の持ち主が生み出した商品は私の想像をはるかに超える売れ行きのようだ。そんな事実は知りたくもなかった。
とりあえずあとでシグレは殴ろうと思う。
「ぐっ……ま、まだまだ……ッ!」
それはそれとして、目の前のこの大男はどうしようかしら。
シグレの作った抱き枕を買ってはいるみたいだから共犯扱いで粛清してもいいけれど、試合を見る限り相当な鍛錬を積んでいる本物の武人でもあるはずだ。
私は同族として、こういう人物には敬意を払わずにはいられない。
まあ、このまま避け続けて向こうに諦めさせるのが一番平和的なやり方だとーー
「これは聖戦……ッ! 負けるわけにはいかんでござる! リッカ・タチバナなどという剣を振り回すだけが能のモンスターの一種と言われても仕方がないような野蛮な女はどうでもいいとして、ヒガン様の『おはよう』コールを諦めるわけにはいかんですぞオォォ!」
…………。
「【エア・バースト】」
「ひでぶっ」
拳をかわしざま肉薄、相手の顎に手を添えて空気の塊を発射する魔法を発動。ミゼル氏はびくりと震え、次の瞬間脳を揺らされたショックで気絶した。
『おおっと、ここでシグレ選手の勝利ぃーっ! 魔法陣を一度しか使っていないにもかかわらず圧勝! これが英雄の力かァァァ!』
健全なルールに則る模範的な戦闘によって私は実況から勝ち名乗りを受けた。
「おいっ! 担架! 早くしろ!」
「いや、もうここに治療魔術師を連れてこい! 大至急だ!」
ミゼル氏は白目を剥いており、どう見ても必要以上のダメージを受けているような気がするが、これは試合だから仕方がない。他意はないと言い張らせてもらう。
×××
「(ガチャッ)あー応援疲れたー、師匠もシグレも午前の部の試合おつか」
「お前本当ざけんじゃねーぞクソがァァァお前のファンは変態ばっかりかァァァ!」
「そっちこそふざけんじゃないわよ人のプライベートで金稼ぎなんて人として恥ずかしいとか思わない訳!?」
「れー……うわぁ、またケンカしてるぜこの二人……」
『入れ替わり』から数時間が経過。『入れ替わり』がバレることなく何とか午前中の三試合を勝ち進んだ俺とリッカは、控え室に戻ってきている。
軍の連中に混じって応援合戦に参加していたらしいカレンは、控え室に入るなり中で言い合っていた俺とリッカを見て呆れたような溜め息を漏らしていた。
だが、今はカレンに構っている余裕はない。俺は目の前にいる俺の姿をした元パーティーメンバーに言ってやりたいことが山ほどあるのだ。
「信じられるか!? 午前中やった三試合のうち、お前に以前ボコられてマゾに目覚めていた変態が二人! 二人だぞ!? 残った一人はまともかと思ったら、戦いの最中にマゾに目覚めてたわ! お前なんか特殊なフェロモンでも分泌してんのか!」
王国お抱え剣士であるリッカは、貴族の息子相手に剣の指導を務めることはよくある。そのため貴族との試合で相手がこちらの姿を見て「ああいつぞやはお世話になりまして」と言ってくるのはまだわかる。
だがその後に「ぜひまた私を殴ってくださいませんか」と続くのはおかし過ぎるだろ。どんなふうに映ってんだこの姿は。
そう抗議されたリッカは思い当たる節があるのか一瞬ぐ、と呻くが、即座に反撃を仕掛けてくる。
「あ、あんただってロクでもない連中にめちゃくちゃ名前売れてるじゃない! っていうか聞いたわよ、あんた裏市場だか何かで私の抱き枕作って売りさばいてたらしいわね。あとで全部回収させるから覚悟しなさいよ!」
「おいい何でバレてんだよ! じょ、冗談じゃねえ、バージョン1から7まで全部回収なんて何年かかっても無理ゲーだろ!」
「7!? 7って言ったあんた今!? どんだけ量産してんのよ!」
まずい。適当に映像を転写する魔法陣を貼っつけただけの抱き枕が面白いように売れるからついつい作りすぎていたのが仇になったようだ。
くっ……! すでに音声付き抱き枕を(バージョン8)も完成しているというのに、このタイミングでバレるとは何という不運……!
「……なんか、相変わらず仲いいのか悪いのかわかんねー二人だぜ……で、ミアは何してんの?」
「私はお二人を元に戻す魔法陣の作成中です。ふふふ、今のところ順調ですよ! お師様に添い寝してもらえるというならこのくらい余裕です!」
ちらと声のした方を見ると、カレンの質問に答えながらもミアの手は今も新たな術式の構築作業に動いている。いいペースだ。【記憶転写】で俺の研究室にある資料を再現して渡してあるので、おそらく心配はないだろう。
「おい聞いたかよ。この傍迷惑な状況ももうじき終わるらしいぜ。せいせいするな」
「あんたが言うのは釈然としないけど、後半は同感ね。元の姿に戻ったら全治二年の体罰を食らわせてあげるわ」
それはもはや体罰の範疇じゃないと思う。
と、そんなことを話していると、スピーカーのような形状の魔法具からこんな放送がかかってきた。
『ーーお昼休み中、失礼します。午後の紅白戦で使用するユニフォームを用意しましたので、参加者の方々は各更衣室にお越しくださいませ』
俺とリッカは顔を見合わせた。
「……紅白戦?」
「ユニフォーム?」
俺は以前ミアの持ってきたチラシの内容を思い出す。確か、午後最初の試合はエンターテイメント要素を追求して、残った選手を二チームに分けて模擬戦争をやるというもののはずだ。
勝ったチームが全員生き残り、負けたチームは全員敗退。時間短縮と斬新さを兼ね備えたエキセントリックな内容である。
なるほど、それでチーム分けのために選手全員にユニフォームをーーってちょっと待て。
見れば、隣のリッカも俺と同じことに思い至ったような表情をしている。
「……ってことは、着替えなきゃダメだよな」
「……ええ、そうね」
俺たちは無言で今の自分の体を見下ろした。
つまり、俺はリッカの、リッカは俺の体を。
……いや、まあ俺は別にいいんだが。
「……こうしましょう」
リッカは苦虫を噛み潰したような表情で言った。
「まずそれぞれ更衣室に行って、ユニフォームを取ってくる。それでここに戻ってきて、お互いがお互いを着替えさせるっていうのはどう?」
つまり、俺が俺の体を、リッカがリッカの体を着替えさせると。絵面的にはかなりアレだが、この部屋なら事情を知らない人に見られることはないため確かに問題はない。
問題はないがーー
「いや、それ結局脱いだところが見えちまうし意味ないんじゃね?」
「もちろん目隠しはするわよ。それなら大丈夫でしょう?」
「面倒くせーな……そのまま着替えてもいいだろ、パパッとさ」
「元の体に戻ったとき、あんたの後頭部を記憶が飛ぶまで殴ってもいいならそれでも構わないわよ?」
やっぱりきちんと目隠しはしよう。いくら見知った相手とはいえ、半裸姿を間近で見るなんて常識知らずな真似は俺にはできない。
「まずは更衣室に行ってユニフォームを取ってくることからね。……あんたは女子更衣室に行くことになるから、今から目隠しをするわ」
「視界ゼロでどうやってユニフォーム取ってくるんだよ! 極力下向いとくからそれでいいだろ!」
幸い今の俺の体は女のものだ。女子更衣室に入って悲鳴をあげられることもない。あとは俺が利用者のほうを見ないように気をつければいいだけのことだ。
「まあ、いいわ。くれぐれも変なことはしないように」
「しねーよ……」
二次元嫁という相手がいる俺はいわば妻帯者。そうそう女を目で追ったりしないって。
なのになぜリッカはあんな疑いの目で見てくるのか。解せない。
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「さて、女子更衣室に行くか」
本来の姿で言ったら通報されかねないような言葉とともに通路を歩いていく。
途中でリッカとは別れた。男子更衣室とは距離があるのだ。よって、今の俺は一人。
やがて、目的の部屋の前に到達する。
……いざ入ろうとするとさすがに緊張するな。
「…………っし、行くぜ!」
気合いを入れ直し、俺はぐいっと女子更衣室の扉を押し開けーー
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『できましたっ!』
『へ? 何が?』
『『入れ替わり』解除用の魔法陣ですよ、カレンちゃん。これに魔力を流して……』
『んー……なーミア、それ使うとどうなるんだ?』
『えっと、お師様たちが元に戻るんですよ。ーー魂のあるところに、本来の肉体が移動して』
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『『『キャァァァアアアアアアアア!!』』』
なぜだろう。俺がドアを開けた瞬間、更衣室にいた女性選手たちから壮絶な悲鳴が上がった。
どうしたというんだろう。まさか間違えて男の選手が入ってきたわけでもあるまいし。
俺は確認するように自分の体を見下ろしーー
「……んん?」
ーー直前まであった胸の膨らみが消失していることに気づいた。
手足の感覚も違う。顔を上げると視点もさっきより高い。目にかかる髪の色は赤じゃなく、黒。
おっと、これはアレか。
元に戻ったと。さすがミアだ、やってくれる。
『だっ、誰か! 衛兵呼んで衛兵!』
『なんで堂々とした覗き魔なの!?』
『っていうかあれ、シグレ・ジウじゃない!? 嘘、英雄が覗きをしにくるなんて!』
……本当に、やってくれる。
全く同時に、男子更衣室がある方向から野郎どもの野太い悲鳴が聞こえてきたのも気のせいじゃなさそうだ。
「あー、君、大会の参加者? 悪いんだけどちょっと隣の部屋にーー」
「人違いです!」
俺は肩に手を置いてきた警備員からとっさに逃げた。あのバカ弟子がァァァと内心絶叫しながら逃亡を開始する。
……その後の惨劇については割愛。
ただ、俺の魔法陣ラインナップの中に、極めて広範囲に作用する【記憶消去】という術式が加わったということだけ明記しておこう。
スマホ早い! というよりタイピングが遅かった説。段落の一字空きができないのと、左手の小指が疲れるのが玉に瑕。
そろそろお話を進めようかと考え中です。




