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名犬ミアラスタ②

×××



 そして私は生まれて初めてセレス領を出ました。


 最後の餞別のためか、それとも嫁ぎ先であるミネルヴァ家に見栄を張るためか、私が乗せられた馬車はとても豪華な造りで驚いたのを覚えています。


 旅立ちの日、数人の側付き使用人たちに見送られて、私は馬車に乗り込みました。



 別に悲しくもつらくもありません。これは貴族の娘として当然の務め。たとえその内情が『領地のために売られた』というものだったとしても、気にしません。



 私を指名したというバラック様が『ろりこん』なる特殊な病を抱えていると使用人たちが噂しているのを聞きましたが、そのくらい受け止めてみせましょう。



嫁いだ先でどんな扱いを受けても、セレス家の三女として恥のない振る舞いをするのです。



 ――そう、思っていたのですが。


「ひゃははははは! 大漁だぜ!」


「今回は大成功だったな、お頭ァ!」


 ……どうしてこうなったのでしょうか。


 今私はどこともしれない洞窟の中にいます。


 服装こそそのままですが、手は後ろに回されて強力な枷がはめられています。先ほどから魔法を使おうとしているのですが、まったく魔力が練られません。おそらく魔法使いを拘束するための魔法具でしょう。


 周囲には私と同じように枷をはめられて拘束されている人が二十人近くいました。



 ことの発端は、山道を登っている最中に道の真ん中で倒れている一人の男性を見つけたことでした。



 行き倒れかと思って御者さんは馬を止めます。するとほとんど同時に周囲の茂みから盗賊らしき人たちが一斉に現れて止まった馬車を取り囲み、あっという間に私たちを縄でぐるぐる巻きにしてしまいました。そしてあっという間にこの洞窟まで運んできてしまったのです。


 一体この人たちは何者なのでしょうか。まったく見当がつきません。


 全然ちっともさっぱりわかりません。



「ったくまァ、この盗賊団に入って正解だったぜ! 時代はやっぱ人身売買だよなー。盗賊団『デリンジャー』万歳!」


「万歳!」



「……」


 どうやら私には現実逃避することすら認めてもらえないようです。


 ……仕方ありません。認めましょう。私たちの前にいる彼らが人さらいであることを。


 そして今私たちは、ものすごく危険な状態にあるということを。


「――おいてめえら、何油売ってやがんだ? あぁ?」


 そんなことを考える私の耳に、威圧的な声が響きました。


 どうやら声がかけられたのは私たちではなく、私たちをさらった男性たちのようです。


「あ……お、お頭」


 声をかけられた男性はびくりと震えて声の主を見上げます。


 『お頭』と呼ばれたのは、身長が私の倍ほどもありそうな大柄な男性でした。服装も他の人と比べると豪奢で、貫録もあります。彼がこの集団のボスであることは一目でわかりました。


「ヒマなら新しい獲物でも探してこいカス共がァ! おら、さっさと行け!」


「「は、はいぃっ!」」


 怒号一閃、今まで私たちの見張りをしていた男性たち二人は弾かれたように外へ飛び出していきました。


 呆気に取られてその様子を見る私の前で、怒鳴ったばかりのお頭さんがぐるりと私たちをーーさらわれた人たちを見回します。


「さァて、高く『売れそう』なやつは……お?」


 壁際に集められた私たちを端から順繰りに見て、ふと私と目が合いました。


 私をじろじろと眺め、それからにいいっと笑って、こちらに歩いてきました。


「ーーいるじゃねえか」


「あうっ!」


 ぐい、と髪を引っ張られる感覚。私は何をされたのかすらわかりませんでした。


 生まれて初めての乱暴な扱い。至近距離から鼻をさすすえたような体臭。未知と恐怖によって一瞬で私の体は硬化しました。。


 そんな私の様子はお構いなしにお頭さんは髪を掴んで引き上げ、私を膝立ちにさせます。


「い……いたいっ……です」


「ほおー……いい服だ。いい髪だ。いい肌だ。くはっ、こいつはすげえ掘り出し物だなァ、オイ?」


 お頭さんの顔はすぐ目の前にありました。


 至近距離でその声を聞きました。


 まるで『モノ』のようなぞんざいな手つきで扱われて、眺めまわされてーー



「高く売れそうじゃねェか」



 背筋を何かが這い登るような、生まれて初めての明確な嫌悪感が私を襲いました。


「ーーッ!」


 ぞくり、と全身が総毛立ちます。


 私を見るお頭さんの目はおそろしいほどに冷ややかで、欲の光を宿していました。


 私を『商品』としか見ていない目でした。いくらの価値があるのか、それだけを見定めようとする眼差しでした。


「お前は特別枠だなァ。変態貴族どもに売っ払ったら言い値がつきそうだ。売りに出すまで大人しくしてろよ?」


「……あ、ぁ」


 声が出ませんでした。私はがちがちと歯を噛み鳴らすことしかできませんでした。


 暴力的な見た目が。しわがれた声が。生臭いにおいが。


 ――怖い。


 怖くて、怖くて、動いたら殺されるんじゃないかと思えて。


 掴まれた髪の痛みと恐怖で、私は気を失いそうになって。



「あ、親玉見っけ」


 

 そして、そんな気の抜けた声に意識を引き戻されました。


「……あ?」


 ずかずかと洞窟の広間に入ってきたのは、一人の青年でした。黒髪黒目で、細身で、こう言ってはなんですがあまり強そうではなくてーーこんなところにいるのが場違いに思えるような人でした。


 お頭さんはじろりと振り返り、その拍子に私の髪を掴んでいた手が離れました。私はどさりと尻餅をつき、目の前の光景に唖然とします。


 ……あの黒い人は、誰でしょうか?


 他のさらわれた被害者さんたちも、状況についていけずに困惑の声を漏らしていました。


「誰だお前。どうやってここに入った?」


 お頭さんが苛立ったように尋ねると、新たに洞窟の広間に入ってきた青年は人を小馬鹿にしたような調子で、


「はあー? おたく目が悪いの? それとも頭が悪いの? 入り口から来たに決まってんじゃん」


「……殺すぞ」


 お頭さんの声が一段低くなりました。ぞくり、と私の背筋が寒くなります。


 ですが、黒髪の青年はまったく気圧された様子がありません。


 へらへらと笑ってお頭さんの脅しを聞き流して、それからあろうことか挑発でもするようにくいくいっと人差し指を自分に向けてこう言ったのです。


「――やってみ?」


 ぷつん、という擬音が私にも聞こえた気がしました。


「このガキイィィィッ!」


 お頭さんが霞むほどの速さで地を蹴り、同時に腰に佩いた剣を抜きます。一歩、踏み込み。黒髪の青年は動かず、それどころかさらに笑みを深くして、こう唱えたのです。


「【パラライズ】」


「がっっ!?」


 無力化は一瞬でした。


 いつの間にか青年は手に紙のようなものを持っており、そこから発生した電撃の力線がお頭さんを一秒未満の時間で行動不能に陥らせたのだと私が理解するのに数秒の時を要しました。


 お頭さんが青年に詰めることのできた距離は、たったの一歩。


 青年がお頭さんの迎撃に要したのは時間にして一秒未満。


 有り得ないくらいの、『魔法の早撃ち』でした。


 どう、とお頭さんが倒れ伏します。私が呆気に取られていると、青年がずかずかとこちらに歩いてきました。


 そして、倒れたお頭さんの服をごそごそと漁り、何やらじゃらじゃらという音を立てるものを引っ張り出しました。――鍵束です。


「……あの、」


 私が何と言っていいかわからずにいると、青年は鍵束を持ったまま一番近くにいた私を見て、


「お前でいいや。ちょっと失礼」


 するりと、私の背後に回り込みました。


 それから私にはめられた手枷をがちゃがちゃといじり始めます。無遠慮な仕草でした。


 ですが、どうしてでしょう。


「……っ」


 私の脳裏に、なぜか、お母様の姿が浮かびました。


「あーあ。こんなガキ相手にごっつい枷嵌めやがって。鍵かってえし」


 口調はぞんざいで、仕草は粗雑なのに、なぜか。


 この人の声は、この人のにおいは、お母様の記憶を思い出させます。


「――災難だったな」


 がちゃり、と枷が外れた音がします。私は反射的に振り返りました。


 目の前にいるのはやはり、見知らぬ青年です。


 目つきは悪くて、口も悪そうで、どことなくふてぶてしい目鼻立ちで、まったく共通点なんて見つからないのに、人さらいのお頭さんとは決定的に違う気配を感じます。


 私は何かにつられるように、ふらりと青年に一歩近づきました。青年が身構えますが、構わずさらに一歩。目の前には青年の薄い胸板があります。


「……」


 私は何となく、そこに顔を近づけてーー


「……(すんすん)」


「は? ちょ、おい! 何だよ!」


 自分のにおいを至近距離で嗅いでくる私に青年がのけぞります。


 ですが私は構わず鼻をひくつかせ、そして思わず青年の顔を見上げました。


(……安心するにおいです)


 そういえば、昔お母様のベッドにもぐりこんだ時もこんな感覚がありました。


 それ自体はもちろんまったく違うにおいなのですが、嗅いでいるとすごく落ち着きます。


 お母様とこの青年は似ているところがあるのでしょうか?


 ……わかりません。


 けど、何だか、この青年のにおいが自分でもびっくりするくらい気に入ったのです。



 お父様からは感じたことがありません。



 お母様からはいつも感じていました。



 頭ではわかりません。理屈では説明できません。本能的な直感だけがこう告げていました。



 ――優しい人の、においです。



「だーくそ、いつまでやってんだ!」


「あうっ」


 ぐい、と額を押し戻されました。そして青年はじりじりと下がると、「これだからガキは……」と小さくため息を吐いて手に持っていた鍵束を私に投げてきました。


「……それ使って、他の連中の枷も外してやれ。そのためにお前を自由にしたんだからな」


 なるほどです。


「……あなたは?」


「残党処理だ。この広間以外にもいんだろ、盗賊連中は」


 それも納得です。私はこくりと頷くと、青年はなぜかもう一度疲れたようにため息を吐いて広間に隣接する部屋に入っていきました。


 私は言いつけを守って他の人の枷を外していきました。


 ときどき男の人の野太い悲鳴が聞こえてきましたが、不安がる他の被害者さんたちと違って私はやけに落ち着いていました。


 なんとなく、あの青年ならうまくやってくれるような気がしていたのです。



×××



 青年の強さはデタラメでした。


 洞窟を改造して作ったアジトは広く、盗賊の数も多かったはずなのに、あっという間に全部終わってしまいました。命からがら、といった様子でこの広間に逃げ込んできた盗賊とそれを追い回す青年を見たときにはどちらが悪者なのかわからなくなったほどでした。


「――ああ、そういうことなら俺はさっさと帰るわ。そんじゃ切るぞ」


『――え、――苦労さま』


 その青年はといえば、今は通信用と思われる魔法陣で誰かと連絡を取っているようでした。当然のように倒れ伏すお頭さんを椅子代わりにしています。


 通信を切ると、青年はぐるりと私を含む被害者の人たちを見回しました。ーーまるで最後に捕虜の様子を確認するように。


 青年がさらに新たな魔法陣を取り出します。すると人さらいの被害者さんたちの間から短い悲鳴が上がりましたが、どうして怖がるのでしょう? あの人は私たちを傷つけるようなことはしないと思います。


 勘ですが。


 そして私の勘によると、この青年は、今を逃すともう二度と会えないような気がしていました。それは困ります。私はこの人がとてもとても気に入ってしまいましたから。


 ずっと近くにいたい。そばにいたい。


 すごくいいにおいがして、優しくて、怖い思いをしたときには助けに来てくれて。


 あの人は何年も前、お母様に物語を読んでもらっていたときに私が夢見た『飼い主さん』そのものだったのです。


「さって、そんじゃ贅沢に魔法陣でも使って帰ると」


「――待ってください!」


 思わず声を張り上げると、青年は目を瞬かせてこちらを見ました。


「ん?」


「えっと、そのっ……」


 ああでも、この先の言葉を考えていません。


 セレス家の屋敷では『変わっている』『面白い』『天然』と多種多様な評価を頂戴していた私ですが、さすがに会ってすぐの相手に『わたしの飼い主になってください』と言うのは間違っているとわかります。


 では何を? どうしましょう、あまりもたもたしているとあの人はどこかに行ってしまうかもしれません。何か、何か。何でもいいからとっかかりを、と頭がぐるぐるになっていた私はここで一つのものを目でとらえました。


 それは、青年が持っていた一枚の紙ーー魔法陣。脳裏に何かが閃き、私は咄嗟にこう言いました。


「お願いします、命の恩人さま! 何でもします、だから私をあなたの弟子にしてください!」



×××



 こうして、私は(わりと強引に)お師様の弟子になりました。


 ……出会った当初はまさか、かの有名な『法陣士』様ご本人だとは思いもしなかったわけですが。


 お師様は、一緒に暮らしてみれば色々と変わった人でした。


 日がな一日研究室に閉じこもってよくわからない研究に没頭したり、料理や洗濯を面倒くさがってやらなかったり、『ちょっと地竜と遊んでくるわ』などと謎の書置きを残して出て行ったりとか。


 ついでに言えば性格はいじわるで、ひねくれていて、どこか子供っぽい人でした。『名犬リオン』に出てきた飼い主さんとは似ても似つきません。素直じゃないのです。


 ですが、なんだかんだでやっぱり優しいところもあったりして。


 いえ、普段はちっとも優しくありません。口も悪いです。けれど、何というか……本当の本当に困ったときには、『仕方ねーな』と助けてくれるような、そんな不器用な優しさを持った人なのです。


 一緒に暮らすうちにどんどんお師様のことが好きになっていった私は、今ではかの名犬リオンのごとく出かけたお師様が帰ってきたら鼻で察知して玄関に先回りしてお出迎えできるまでになりました。


 目覚ましい進歩と言えるでしょう。


 ……あ、ほら、今も。


 私は洗い物を中断してだだだだっと玄関まで向かいます。


 そして次には、開いた扉から現れたお師様に、こう言うのです。


「――おかえりなさい、お師様!」


 

 ニセコイを読んで短編を書きたくなりました。「シグレに助けられて懐く」という展開がベタすぎるように思えて、どうにかミアらしさを出せないかと検討した結果「ニオイで相手の性格を判別できる」という特殊能力を獲得してしまった銀髪ロリに栄光あれ。

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