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死んで詫びろと言われたので、本気で毒を飲んでみた  作者: 九葉(くずは)


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9/15

第9話:雨の日のストーカー

 翌日の午後は、土砂降りだった。


 雨粒がテラスの石畳を叩き、庭の向こうを白く煙らせている。

 二階の小サロンには暖炉があり、私はその近くで薬草茶を飲んでいた。

 昨日まで、ずっと眠っているばかりだった気がするのに、今日は朝から忙しかった。法務官と話し、覚えている支出を紙に書き、疲れたところでディートリヒにペンを取り上げられた。


「もう十分だ。続きは明日」


「忘れるかもしれませんわよ」


「それだけ減らず口が出るなら大丈夫だ」


 そうして、椅子へ座らされたのだった。

 向かいにはディートリヒがいる。憲兵隊が保全した資料の写しへ、目を通していた。


「確認できた分だけで金貨四万枚か」


「贈答品と男爵家の借金返済、それから東部貴族への贈賄です。書類を分けてありますから、重複して数えないように」


「その説明を、今朝から三度聞いた」


「大事なことですので」


 彼が私を見る。

 私はカップを口元へ上げて、視線を避けた。

 昔の癖は、記憶と一緒に戻ってくるらしい。


「君の関わった書類についても、命令書と合わせて調べるそうだ」


「はい」


「事情を話したからといって、すべてがすぐ片付くわけではない。ただ、誰が何を決めたかは、記録ではっきりする」


 私は頷いた。

 今度は、一人で辻褄を合わせなくていい。

 目の前の紙を私が片付けなければ、国が傾くわけでもない。


 扉が叩かれた。

 入ってきた執事は、まず私を見て、それからディートリヒへ向き直った。


「閣下。正門の前が、少々騒がしくなっております」


 ディートリヒがペンを置く。


「来たか」


「ローレンツ殿下でございます。供を連れず、馬でお越しになりました。王宮へ確認しましたところ、外出は認めていないとの返事です。追っ手がこちらへ向かっております」


 私はカップを持ったまま、窓を見た。

 何か聞こえる。

 雨に紛れていた声が、名前を呼んでいると分かった。


「門は開けるな。追ってくる近衛には事情を伝えろ」


「承知しました」


「シセル」


 ディートリヒが私を見た。


「奥の部屋へ移れば、聞こえない」


 私は少し考えて、カップを置いた。


「見るだけ、見ます」


 カーテンの隙間から、正門を見下ろした。

 鉄格子に男がしがみついている。外套も傘もなく、金髪が額へ張りついていた。

 門番が下がるように言っているのに、彼は格子を揺らすばかりだった。


「シセル! 頼む、顔を見せてくれ!」


 その声を聞くと、体が一瞬強張った。

 名前を呼ばれたら、行かなければ。

 踏み出しかけた足を止め、私は窓枠へ手をついた。

 もう、行かなくてもいいのだ。


「俺が悪かった! お前を疑った俺が馬鹿だった! コレットの言うことなんて、信じるんじゃなかった!」


 通りを行く馬車が速度を落とした。

 軒下で雨を避けていた人たちも、男の身なりと門番の呼び方から、相手が誰なのか気づき始めたらしい。

 指を差す者がいた。手帳を開く者もいる。


「俺を本当に愛して、支えてくれたのはお前だけだったんだよ!」


 ローレンツが顔を上げた。

 雨が目に入ったのか、強く瞬きをする。


「仕事がなくても、同じことを言えたのでしょうか」


 私が呟くと、隣のディートリヒは返事をしなかった。

 私にも、答えは分かっていた。

 だから今は、彼に言ってもらう必要がなかった。


 ローレンツが呼び続ける。

 かつて、朝も夜もなく聞いた声。

 今ここにいる私は、眠って、食べて、喉の痛みが引くのを待っているだけでいい。私を呼べば何でも整う生活を、彼は返してくれと叫んでいる。


「向こうから、私が見えるでしょうか」


「見えん。部屋の明かりを落としてある」


「そうですか」


 私はカーテンを離した。

 ディートリヒは、私が何を選ぶのか待っていた。


「一度だけ、話します」


「会わずに帰らせることもできる」


「分かっています」


 私はショールを整えた。


「その上で、私が言いたいのです。もう呼ばれても行きませんと」


 ディートリヒが、私の顔を見た。

 やがて頷き、執事へ声をかける。


「門は閉じたままだ。彼女へ手が届かない位置を空けておけ」


 私は部屋を出た。

 階段を一段ずつ下りる。急いで駆け下りていた頃とは違い、隣の足音が私に合わせて遅くなった。


「閣下」


「何だ」


「途中で帰りたくなったら、帰ります」


「そのときは、茶を淹れ直させよう」


 私は頷いた。

 それが聞けただけで、足が少し軽くなった。


 玄関で、従僕が黒い傘を差し出した。

 ディートリヒが受け取り、私の頭上へ広げる。大きな傘なのに、並んで歩けば肩が触れた。

 彼は何も言わず、傘をこちらへ寄せた。


「閣下の肩が濡れています」


「後で着替える」


「私も、着替えくらい持っておりますけれど」


「病み上がりが張り合うな」


 私は口を閉じた。

 代わりに、半歩だけ彼へ寄った。傘の縁から外れていた肩が、雨に当たらなくなる。

 ディートリヒがちらりと私を見たので、前を向いたまま歩いた。


 正門の前で、ローレンツがこちらに気づいた。

 顔が、ぱっと明るくなる。


「シセル!」


 格子の隙間から、両手が差し出された。


「来てくれたのか! やっぱり、お前は俺を見捨てたりしなかったんだな! 許してくれるんだろ!?」


 私は、手の届かない場所で立ち止まった。

 許してもらえると、彼はもう決めていた。

 私の返事を聞く前から。

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