第4話:絶対的隔離命令
「父上の、命令?」
ローレンツは痛む手首を押さえたまま、封書を見た。
白い外套の男は中から羊皮紙を取り出し、王太子へ向けて広げる。
「シセル・ヴェルナー嬢に対する、王太子の面会を当面禁ずる。治療と療養先の確保は、宮廷首席医官アルトハイム公爵に委ねる」
彼はそこで一度言葉を切った。
「そして、ヴェルナー伯爵からの申し入れを受け、両家の婚約を解消する」
「嘘だ!」
ローレンツが封書へ手を伸ばした。
公爵は避けず、そのまま見せる。王太子の目が、紙の上をせわしなく動いた。
「解消など認めない! 俺はそこまで……!」
「陛下が認められました。伯爵家も、これ以上お嬢様を預けることはできないと」
伯爵家。
私の家族のことだ。
まだ顔も思い出せないけれど、誰かが私を取り戻そうとしている。そのことに、私は膝の上の手を少し緩めた。
「父上が、俺に相談もなく」
「彼女には相談なさったのですか。大勢の前へ立たせ、罪人扱いしたときに」
ローレンツは口を開き、何も言わずに閉じた。
「三日前の件は、学園と憲兵隊が調べています。階段から落とされたという訴えも含めてです。殿下には東の離宮で謹慎し、査問に備えるようにと」
「コレットが嘘を言ったとでも!?」
「診断書を書いた医師は、すでに事情を聴かれています。私は鑑定医として協力している。詳しい説明は、証言が揃ってからお聞きいただきましょう」
公爵が廊下へ声をかけると、近衛兵が入ってきた。
先ほど王太子に押し切られた侍従も後ろにいる。今度は兵たちが、勅命書を確かめてからローレンツの左右に立った。
「殿下。ご同行願います」
「待て! シセル、何か言ってくれ!」
私に向かって手が伸びた。
公爵が半歩動き、その間に入る。
「俺を見捨てるな! お前がいなきゃ駄目なんだ! 愛しているんだ、シセル!」
愛している。
知らない人から初めて言われたその言葉は、戻って仕事をしてくれという声と、同じ響きがした。
私は毛布を握って、何も答えなかった。
扉が閉まった。
廊下の声も遠ざかり、ようやく普通に息が吸えた。
「お騒がせした」
公爵はベッドの横の椅子へ腰を下ろした。
「ディートリヒ・フォン・アルトハイムだ。君の治療を担当している」
「シセルと、申します。……だそうです」
自分でも妙な名乗りだと思った。
彼は笑わず、頷いた。
「アンナから聞いた。思い出せないことを、無理に答えなくていい」
差し出された手を見て、私は一瞬ためらった。
「脈を診ても?」
「はい」
彼は私の手首に指を添えた。
長い指だった。爪の際に、小さな傷がある。
私はそこを見つめながら尋ねた。
「私は、どうしてこちらで治療を受けているのでしょうか」
ディートリヒは私の顔を見た。
「君は、毒を飲んだ」
「自分で?」
「そう聞いている。詳しい経緯は調査中だが、一つだけは先に言っておく。あの男に会う義務はない。謝る義務もない」
私は喉へ手をやった。
この痛みも、腕の痕も、そのせいなのだ。
なのに、思い出せない。
「記憶は、戻るのでしょうか」
「今は断言できない。体への負担も大きかった。焦らずに、様子を見よう」
分からない、と答えてくれたことに、なぜかほっとした。
思い出せと迫られるより、ずっと息がしやすい。
「療養先についても相談したい」
彼は机の封書へ目をやった。
「ここでは、まだ殿下の肩書きに逆らえない者が多い。今の面会禁止令は徹底させるが、できれば王宮から出したい。私の本邸に、医療設備のある別館がある」
「そこへ移るのですか」
「ご両親には説明してある。まず君が落ち着くことを優先したいとの返事だった。付き添いはアンナに引き続き頼める。伯爵家での療養を希望するなら、その準備もする」
実家。公爵邸。
どちらも、私には知らない場所だった。
それでも、この王宮にいたくないことだけは分かった。
「公爵様のお屋敷には、あの方は入れませんか」
「入れん。私の客に会うなら、まず私を通してもらう」
間髪を入れない答えだった。
「それなら、お願いいたします」
「分かった」
ディートリヒは椅子から立ちかけて、もう一度私を見た。
「ただし、部屋に鍵をかけて閉じ込めるわけではない。面会相手も、移りたい先も、希望があれば言え」
「断っても、よろしいのですか」
「今の話のどこに、断るなと言った?」
少し険しい声だった。
私は叱られたのかと思ったが、彼の視線は私ではなく、閉ざされた扉に向いていた。
「……何度でも聞いていい。慣れるまでは」
そう付け足して、彼は医官を呼んだ。
翌日、移送を許す診察が終わると、私は毛布に包まれて馬車へ乗せられた。
出発前に両親が訪ねてきた。母は私の名を呼んだきり何も言えず、父は、顔を忘れていても構わないと繰り返した。
謝ろうとした私を、母が抱きしめた。
思い出せなくても、その腕は怖くなかった。
別れ際、父は一通の手紙を私に渡した。
帰りたい日に帰っておいで。
大きな字で、それだけ書いてあった。
王宮を出る頃には、雨が降り始めていた。
裏門へ続く回廊の向こうで、男の声が響く。
「シセルを連れて行くな! 父上に会わせろ!」
東の離宮へ続く渡り廊下に、ローレンツが見えた。兵に囲まれ、こちらへ進もうとして止められている。
昨日と同じ声だった。
私は手紙を膝の上に置き、窓のカーテンに手をかけた。
「もう、見なくていいですか」
向かいの座席のディートリヒが頷く。
「ああ」
私は自分で、カーテンを引いた。
雨音だけが残った。




