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死んで詫びろと言われたので、本気で毒を飲んでみた  作者: 九葉(くずは)


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14/15

第14話:冷徹医師の理性が焼き切れる夜

 私はトランクを見た。

 持ち手が、少し斜めに倒れている。

 つまらないことに目が行くのは、正面に立つ人の顔を見続けられなかったからだ。


「閣下。あの、お話は」


「覚えているだろう。温室で言ったことを」


 覚えている。

 忘れられるわけがない。


「ですが、あれはまだ、いろいろ片付いていないときでしたから」


「片付いたら、気が変わると思ったのか」


「分かりません。私は一度、殿下の婚約者でしたし。人前であんな騒ぎを起こして、記憶が戻ったことまで隠して」


 うまく言えなくなった。

 口に出すほど、自分の欠点を売り込んでいるようで嫌になる。


「私のような者を公爵夫人に選んで、閣下に何の得があるのですか!」


 ディートリヒが、目を閉じた。

 笑うのかと思った。

 違った。彼は眼鏡を机に置き、両手を空けた。


「得があるから、そばに置きたいのではない」


「ですが」


「君がいなくなった食卓で、一人で飯を食うのが嫌だと言っている」


 私は黙った。

 思っていた答えと、あまりにも違った。


「食卓、ですか」


「悪いか」


「いいえ」


 少しも悪くない。

 ただ、胸の奥の、用意していなかった場所へ届いた。


 ディートリヒは椅子を引いた。


「立たせたまま話すつもりではなかった。座ってくれ」


 私は腰を下ろした。

 彼も向かいに座る。


「あの日、学園へ来てくださったのは、偶然だったのですか」


 ずっと聞けなかったことを、私は尋ねた。

 彼は窓へ目をやった。


「卒業式の来賓として招かれていた。診療の日ではなかったから、医官としてではなく、式を見に行くつもりだった。到着が遅れ、入り口で騒ぎを聞いた」


「私のことを、ご存知だったのですね」


「君は医務室に、何度書類を運んできたと思っている」


 私は少し考えた。

 薬品の購入費。負傷兵の療養予算。式典で待機する医官の割り振り。

 思い出した仕事が、多すぎる。


「ずいぶん、ご迷惑を」


「迷惑をかけていたのは、予算を削れと言いながら待機人数を増やした王太子府だ」


 彼の言い方に、私は小さく笑ってしまった。


「一度、君は私の試算の誤りを見つけた。夜勤分の手当を、昼と同じ額で計算していたところだ」


「ありましたね」


「私は不機嫌だった。だが君は、間違っているものは間違っています、と譲らなかった」


 それも覚えている。

 偉い方へ言い返した後で、廊下の隅まで行ってから、膝の震えが収まるのを待った。


「怖かったんですよ、あのとき」


「そうは見えなかった」


「得意なのです。平気な顔をするのは」


 ディートリヒが私を見た。

 その視線から、今度は逃げなかった。


「知っておくべきだった」


 彼が言った。


「顔色が悪い、眠れ、と何度も言った。あれで言うべきことは言ったつもりになっていた。どうすれば休めるかまで、聞かなかった」


「閣下のせいではありません」


「それでも、悔いは残る」


 机の上の眼鏡に、夕日が反射していた。

 彼はそれを手に取らなかった。


「あの日、倒れている君を見たときは、怖かった」


 声が少し掠れた。


「何をすべきかは分かっていた。手も動いた。だが、君が戻らなかったらという考えが、離れなかった。あれほど自分の手を、頼りなく思ったことはない」


 私は彼の手を見た。

 大きくて、いつでも迷いなく動く手。

 それが頼りなく思えたと、この人は言う。


「お前の命は私のものだ、と言えたら、簡単だったろうな」


 私は顔を上げた。

 彼は、苦いものを飲んだように口元を曲げた。


「助けたのだから出ていくな。そう命じれば、君はまた、自分を後回しにしかねない」


「そうかもしれません」


「だから、頼む。ここにいてくれ、シセル」


 それきり、彼は黙った。

 どんな命令よりも、返事が難しかった。


 私は膝の上で指を組み、ほどいた。


「私は、閣下のそばにいると、困るのです」


 彼の表情が動いた。


「どう困る」


「ご飯を残しても怒られないし。言い返しても、嫌いになられないし。仕事を終えていなくても、眠っていいと言われるでしょう」


「ああ」


「それで、私まで、明日もここにいたいと思ってしまうのです」


 最後は、ほとんど小声になった。

 ディートリヒが何も言わないので、思い切って顔を上げる。

 彼は私を見たまま、動かなかった。


「何か、仰ってくださいませ」


「今、言葉を選んでいる」


「閣下にも、そういうことが?」


「君は私を何だと思っている」


 私は笑った。

 笑いながら、少し涙が出た。


「好きです。ディートリヒ様」


 言ってしまった。

 それだけで、耳まで熱くなった。


「だからこそ、一度、自分で暮らしてみたいのです。返さなければならない恩があるから残ったのだと、自分に言い訳したくありません」


 彼はゆっくり頷いた。


「では、帰ることは止めない」


 ほっとした。

 同時に、少し寂しくなった。

 面倒な女だと、自分でも思う。


「ただし」


 ディートリヒが続けた。


「会いに行くことは、許してもらいたい」


「診察ですか?」


「求婚だ」


 私は瞬きをした。


「今すぐ婚姻の日を決めろとは言わん。主治医も別の医官へ引き継ぐ。君が私へ気兼ねなく断れるようにしておく。それでも、私は君と結婚したい」


 ずいぶん、困った人だった。

 こちらの逃げ道を自分で作ってから、それでも好きだと言う。

 閉じ込められるより、よほど逃げにくいではないか。


「条件がございます」


「言ってみろ」


「私が嫌だと言ったら、一度は聞いてください。仕事も休みも、二人で決めること。朝は、起こさなくていい日は起こさないこと」


「最後の条件は、今すでに守っている」


「ご立派です。それから、あなたも食事を後回しにしないこと」


 ディートリヒが笑った。

 私はその顔を見て、やっぱり好きなのだと思った。


「手を、握っても?」


 私が尋ねると、彼は笑うのをやめた。

 少し困った顔になって、手を差し出す。


「それまで断るわけがない」


 私は両手で、その手を取った。

 机を挟まずに触れた指は、思っていたより温かかった。


「帰りますけれど、さようならは申し上げません」


「ああ」


「求婚のお返事は、次に会ったときでもよろしいですか」


「待つ」


 短い返事だった。

 強く握られた手で、待ちたくなどないのだと分かった。

 私は、同じくらいの力で握り返した。


 廊下から、夕食を知らせる声がした。

 気づけば、窓の外は暗くなっていた。


「今夜は、こちらで召し上がるのですね」


 アンナの問いに、私とディートリヒが同時に返事をした。

 彼女が口元を押さえて下がっていく。


 ディートリヒが扉を開け、私が先に廊下へ出た。

 トランクは、従僕に明日運んでもらうことにした。

 今夜の食卓には、二人で向かった。

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― 新着の感想 ―
この公爵も一人の少女が何もかも背負わされてるのを放置していた一人だけどもなあ。 反省しているからましだけど。
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