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死んで詫びろと言われたので、本気で毒を飲んでみた  作者: 九葉(くずは)


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15/15

第15話:もう二度と、死んで詫びたりしない

 翌朝、小鳥の声で目を覚ました。

 公爵邸で借りている客室の、すっかり見慣れた天井があった。


 私はしばらく、そのまま横になっていた。

 起きれば、診察を受けて、実家へ帰る。

 帰りたいと思って荷物をまとめたのに、今日になってみると、もう一度くらいここの朝食を食べたい。


「欲張りだわ」


 自分に言って、起き上がる。

 机には借家の案内書と、昨夜書いた短い手紙が並んでいた。

 私は手紙を封筒に入れ、アンナへ渡した。


「公爵様に、お願いします」


「お出かけ前に、お会いになれると思いますけれど」


「先に、お読みいただきたいの」


 声に出すと照れるからとは、言わなかった。

 アンナは封筒を受け取り、何も聞かずに出ていった。


 診察を終えて玄関へ下りると、ディートリヒが待っていた。

 手には、開いた封筒がある。

 私は知らない顔をして、手袋を直した。


「『次に会ったときと言いましたが、待たせるのは得意ではありません』」


「読まないでください!」


「私宛てだろう」


「黙ってお読みくださいませ!」


 彼が笑った。

 ああ、手紙にした意味がない。


 紙には、続けてこう書いておいた。

 あなたとなら、毎日一緒に食事をしたいです。お約束したことを守ってくださるなら、喜んで。


 ディートリヒは丁寧に紙を畳んだ。

 上着の内側へしまい、私へ手を差し出す。


「迎えに行く」


「まずは、遊びにいらしてください」


「ご両親に、正式に申し込む必要がある」


「それも、私が紹介してからです」


 彼は少し考え、頷いた。

 私が差し出した順番を、この人は待ってくれる。

 私はその手を取って、馬車へ乗り込んだ。


 実家では、母にずいぶん泣かれた。

 私も泣いた。

 父は離れたところで鼻をかみ、落ち着いた頃に、店を始めるなら帳簿は誰がつけるのかと尋ねた。


「自分の分くらい、自分でつけます」


 そう答えると、父は笑った。


 それから三ヶ月が過ぎた。


 王宮の大夜会で、私は漆黒と銀のドレスを着ていた。

 胸元には、アルトハイム公爵家の青い石の首飾り。隣には黒と銀の正装をしたディートリヒがいる。

 公爵夫人として出席するのは、今日が初めてだった。


 婚姻までの間、私は実家で療養を続けた。

 ディートリヒは約束通り会いに来た。借家の内見にも付き合い、煙突を確かめるために上着を汚して、母に呆れられていた。

 あの家は借りなかったが、店の計画はやめていない。

 今は屋敷の一角で茶葉を試し、いずれ町に小さな店を出すために、仕入れ先を調べている。働く時間を自分で決めるという条件は、婚姻しても変わらなかった。


 だから、今夜も用事が済めば帰るつもりだった。

 朝まで愛想を振りまく仕事は、もう引き受けない。


「シセル様、いえ、公爵夫人閣下。本日は、まことにお美しく!」


 声をかけてきたのは、かつて王太子府へ面倒な書類ばかり持ち込んだ伯爵だった。

 急ぎだから、君なら分かるだろう。

 そう言って帰り、後から何度確認を求めても返事をしない男だった。


「皆でお待ちしておりましたぞ。奥様の聡明さは、以前からよく存じておりますので」


 私は微笑んだ。


「ありがとうございます」


「それで、折り入ってご相談が。ほんの少し、数字を見ていただきたいだけなのですが」


 差し出しかけた書付を、私は受け取らなかった。


「昨年度の治水予算のことでしょうか」


 伯爵の手が止まった。


「財務卿から、未説明の支出が金貨三千枚あると伺っております。照会へのお返事は、お済みですか」


「その、記載に少々行き違いがありましてな。奥様なら、以前の経緯もお分かりに」


「覚えていることは、すでに法務官へお伝えしました。書き換えるお手伝いは、できません」


 伯爵が周囲を見た。

 隣に立っていた男が、半歩離れる。


「いや、私は何も、書き換えろなどとは」


「では、私がお手伝いすることはありませんわね」


 私は丁寧に一礼した。


「明日の照会には、ご自身でお答えくださいませ」


 伯爵は曖昧に笑い、忙しそうな顔を作って去っていった。

 その背中を見送っていると、ディートリヒがそばへ来た。


「ずいぶんと楽しそうだな、私の悪女」


「ええ。書付を受け取らずに済むというのは、思いのほか愉快ですのね」


「慣れておくといい」


「閣下の分も、お断りいたしますから」


「私の書類を渡すつもりはない」


 彼は私へ手を差し出した。


「一曲、付き合ってくれないか」


 楽団が次の曲を始めたところだった。

 私は手を重ねた。

 挨拶のためでも、誰かへ見せつけるためでもない。踊りたいと思ったから、広間へ出た。


 ディートリヒは、私の歩幅に合わせてくれた。

 上手なのですねと囁くと、覚える必要のあることは覚えたと返ってくる。


「私の足を踏まないために?」


「当然だろう」


 私は笑った。

 彼の肩越しに、かつての知り合いがこちらを見ているのが分かる。

 その顔色を気にせず踊れることの方が、彼らを怯えさせるより、ずっと気持ちがよかった。


 曲が終わり、広間の端へ戻ったとき、元王子の話が耳に入った。

 北方の塔では、今も私の名を呼ぶことがあるらしい。

 修道院へ送られたコレットも、暮らしに慣れず、不満をこぼしているという。


 ディートリヒが私を見た。

 私は首を横に振った。

 詳しく知りたいとは思わなかった。


「風に当たりませんか」


 私からそう言って、彼の手を引いた。


 バルコニーへ出ると、夜風が頬に触れた。

 遠くの王都に、いくつも灯りがともっている。あのどこかに、小さな店を出すのも悪くない。

 隣でディートリヒが、給仕から二つのグラスを受け取った。


 片方を、私へ差し出す。

 葡萄の果汁だった。


「毒は入っていないぞ」


 私は彼を見た。

 あの部屋で、スープを前に震えていた日の言葉だった。


「存じておりますわ」


 受け取り、軽くグラスを合わせる。

 澄んだ音がした。

 口に含むと、葡萄の甘みと、少しの酸味が広がった。


「おいしい」


 今度は、泣かなかった。

 ディートリヒの眉が、ほんの少し緩む。

 その変化が分かるくらいには、私は彼の顔を見慣れていた。


「もう、大丈夫です」


 そう言いかけて、私は言葉を直した。


「今日は、大丈夫です」


 怖くなる夜が、二度とないとは言えない。

 急に名前を呼ばれて、体が強張る日も、まだある。

 でも、そういう日に言える相手がいる。


「そうか」


 ディートリヒはそれだけ答えた。

 私の空いた手へ、指を重ねる。


「明日は、何時に起きる」


「目が覚めたら」


「君らしい」


「朝食は、一緒に召し上がってくださいね」


「待つよ」


 私は、その返事が好きだった。

 いつでも待たせてよいと思うわけではない。

 けれど、遅れたら嫌われるという心配をせずに、約束できるのが嬉しかった。


 十七歳の私は、あの日、選べる道が一つしかないと思った。

 誰かに怒られることも、呆れられることも、家へ帰ることも、何もかも駄目だと決めつけていた。

 もし声が届くなら、教えてやりたい。

 あの小瓶より先に、開けられる扉があったのだと。


 私は、握られた手を握り返した。


「ディートリヒ様」


「何だ」


「帰りましょう。お腹が空きました」


 彼は一瞬、私の顔を見た。

 それから笑って、私の額にそっと口づけた。


「晩餐を食べたばかりだろう」


「あれはお話ばかりで、食事のうちに入りませんわ。今度は、温かいスープがいいです」


「注文の多い奥方だ」


「今さら、お困りになりました?」


「いいや」


 即答だった。

 私は笑いながら、彼と並んで広間へ戻った。

 出口は、もう分かっている。


 誰かのために、死んで詫びたりしない。

 明日の朝も、この人とご飯を食べたいのだから。

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― 新着の感想 ―
良かったー!無事ハッピーエンド! 私の脳内では公爵様は仕事人間すぎて(医師)婚約者に逃げられます25歳くらいかなぁと勝手になってます!笑 いやぁ。良かったです!クズ王子はクズ王子だし、性悪女は清々…
公爵に都合よく婚約者がいなかったのが気になってしまった
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