第11話:階段の真実と、愚者の自滅
「調書なんて、何のことよ」
コレットは侍女の手を振り払い、顎を上げた。
ディートリヒは傘の下で封書を開いた。憲兵隊の印が押された書類が、数枚重ねられている。
「貴女は、階段の上から突き落とされ、ひと月は歩けない重傷を負ったと届け出ている」
「そうよ! その女が――」
「提出された診断書と、当日診察した医師の記録が食い違っていた。医師は事情聴取に対し、金を受け取って傷の程度を偽ったと認めている」
コレットの口が止まった。
「診断書の控え、実際の診療記録、医師の供述。すべて照合済みだ。貴女の父親の使いが渡した金についても、受け取った日付と額が一致している」
「先生が、勝手に大げさに書いたのかもしれないじゃない!」
「その可能性も含めて調べた。だから、医師の証言だけでは終わらせていない」
ディートリヒは次の紙を開いた。
「階段の踊り場からシセル嬢が立ち去るところを見たという令息たちがいる。卒業パーティーで、殿下がそうおっしゃったな」
「見た人がいるのよ! 私の言う通りでしょう!」
「押したところを見た者は、一人もいない」
通りのどこかで、誰かが聞き返した。
ディートリヒは声を張り上げず、続けた。
「一人は、貴女に頼まれて話を合わせたと、証言を撤回した。『押したところを見たと言えば、殿下が覚えよくしてくださる』。そう持ちかけられたと述べている。ほかの二人も、転落そのものは見ていなかった」
コレットの視線が、書類から人垣へ動いた。
逃げる道を探したように見えた。
「嘘よ。そいつらが嘘をついているのよ!」
「そう主張するなら、査問で争えばいい。ただし、今ここで同じ告発を重ねれば、その発言も記録される」
近衛兵の一人が、濡れないよう帳面を開いていた。
コレットがそれに気づき、唇を噛む。
「階段の傷も調べてある」
ディートリヒが最後の紙へ目を落とした。
「手すりの低い外枠に、貴女の靴と一致する塗料が付いていた。そこへ足をかけたことは説明がつく。だが、それだけで、誰にも押されなかったと断定するつもりはない」
私は彼を見た。
前なら、疑わしいというだけで私の罪になっていた。
この人は、分かっていることと、まだ分からないことを分けて話す。
「診断書は偽造され、目撃証言は撤回された。貴女の訴えを裏づけるはずのものが、ここまで崩れている。その上で、誰が嘘をついているかを調べるのが、査問会の役目だ」
「だから、私は悪くないって言ってるでしょう!」
コレットが叫んだ。
庇の下では、ローレンツが担架から馬車へ移されようとしている。
彼女はそちらを指差した。
「ローレンツ様が、シセル様に思い知らせたいとおっしゃったのよ! 口うるさくて可愛げがないから、人前で謝らせたいって! 私がちょっと怪我をしたことにすれば、殿下が守ってくださるはずだったの!」
侍女が息を呑んだ。
コレット自身も、最後の言葉を口にしてから黙った。
「怪我をしたことに、か」
ディートリヒの声は変わらなかった。
「今の発言も記録する。殿下が何を望み、貴女がどこまで計画したのか。それぞれ説明してもらおう」
「違う! そういう意味じゃなくて! あの人が本当に毒を飲むなんて、私、知らなかったもの!」
私は門の内側に立ったまま、彼女を見ていた。
殺すつもりがなかった。
死ぬとは思わなかった。
それなら何をしてもよかったと、この二人は思っている。
王都警備隊の兵が、人垣を分けて進み出た。
公爵家が王宮へ連絡した後、憲兵隊から拘束命令を受けて来たのだと、隊長が書面を示す。
「コレット・ダグラス嬢。虚偽の告発と診断書の偽造に関与した疑いで、身柄をお預かりします」
「嫌! 触らないで! 私は男爵令嬢よ!」
コレットは近づいた兵から逃れようとした。
泥で足が滑り、侍女が慌てて腕を支える。
その手を、今度は振り払わなかった。
「ローレンツ様! 助けてくださいませ! 約束したじゃありませんか!」
馬車の扉は閉じられた。
返事はなかった。
コレットは兵に付き添われ、別の馬車へ連れていかれた。
やがて二台とも通りを離れ、門前にいた人々も、ぽつぽつと散り始める。
敷石には、何人もの足跡だけが残った。
「シセル」
ディートリヒが私の顔を覗き込んだ。
「戻ろう。冷えただろう」
私は頷いた。
勝った、という気持ちにはなれなかった。
ただ、ひどく疲れた。
「あんな、下らないことで」
言いかけて、喉が詰まった。
私はあの日、全部が終わったと思ったのだ。十年も積み重なっていたものが、足元から崩れたように感じた。
向こうには、ちょっと怪我をしたふりで済む話だった。
「下らないのは、あいつらの企みだ」
ディートリヒが言った。
「君が苦しかったことまで、軽く考えるな」
私はショールを握った。
すぐには返事ができなかったので、彼の差し出した腕へ手を添えた。
彼はそれ以上、何も言わなかった。
玄関へ戻るところで、王宮の伝令が到着した。
濡れた外套を脱ぎ、勅命書をディートリヒへ差し出す。
「明朝十時の特別査問会について、正式な召集状をお持ちしました。王都滞在中の高位貴族ならびに各省の代表を立会人とし、ローレンツ殿下らの責任と処分を審議いたします」
ディートリヒが書面を確かめた。
私の名も、関係者として記されている。
「診断書にある通り、長時間の出席はさせられん。途中で休む用意を」
「その旨、承っております」
伝令が下がると、私は召集状へ手を伸ばした。
「明日は、話すのですね。記憶が戻ったことも、帳簿のことも」
「ああ。今日の朝、確認した通りだ。法務官も同席する」
紙の端を指で押さえる。
あの日は、壇上へ呼ばれてから何を言われるのか知らされた。
明日は、私の話すことを私が決めている。
「怖いか」
「少し」
認めると、彼が頷いた。
「一緒に行く」
私は召集状を返した。
明日は、黙って命令を聞くために行くのではない。
今度こそ、自分の言葉で終わらせる。




