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狼男に転生した俺は魔物の支配者ではなく、庭付き戸建ての夢を見る  作者: ミツメ


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クッキーをひと齧り

飛び込んだ瞬間、空気が変わったのが分かった。


 山賊たちの視線が、一斉にこちらへ向く。


「なっ……なんだこいつ!?」


「魔物だと!?」


 動揺。


 それがはっきりと伝わってくる。


 足が止まる。意識が散る。


 ――隙だ。


 その瞬間、体が勝手に動いていた。


 一番近くにいた男の腕に噛みつく。肉と骨が歯の間で軋む。悲鳴が上がる前に、さらに力を込める。


 ぶちり、と嫌な感触が伝わった。


「ぎゃあああああッ!」


 叫び声。


 だが、それも長くは続かない。


 引き倒し、そのまま喉元へ噛みつく。柔らかい部分に牙が沈み込み、温かいものが溢れ出る。


 暴れていた体が、すぐに弱くなる。


 動かなくなる。


 終わりだ。


 その間に、もう片方も動いていた。


「今だッ!」


 ガレスと呼ばれた男の声が響く。


 さっきまで押されていたはずの剣が、一気に振るわれる。


 躊躇いはない。


 迷いもない。


 的確に急所を狙い、確実に仕留めていく。


「くそっ、なんなんだよコイツら!」


「逃げ――ッ!」


 最後の一人が背を向ける。


 だが遅い。


 振り下ろされた刃が、その背中を裂いた。


 短い断末魔。


 それで、終わった。


 静寂が戻る。


 さっきまでの喧騒が嘘みたいに消え、風の音だけが耳に残る。


 俺は、噛みついていたそれからゆっくりと口を離した。


 もう動かない。


 完全に死んでいる。


 ……あっさりだな。


 そう思う。


 いつもの狩りと、何も変わらない。


 違うのは、周りにいる連中だけだ。


 顔を上げる。


 視線が合う。


 ガレスが、剣を構えたままこちらを睨んでいた。


「下がれ、」


 低く、警戒を含んだ声。


 その背後で、エリシアが息を整えている。


 明らかに、警戒されている。


 当然だ。


 さっきまで人間同士で殺し合っていたところに、突然魔物が飛び込んできたのだから。


 助けた、なんて都合よく解釈してくれるはずもない。


 ……別にいい。


 俺は、ゆっくりと一歩下がった。


 牙を剥くでもなく、唸るでもなく、ただ距離を取る。


 関わる理由はない。


 興味はあったが、それだけだ。


 もう十分見た。


 なら、ここにいる意味もない。


 もう一歩、下がる。


 その動きを見て、ガレスの視線がわずかに揺れた。


 だが、剣は下げない。


 完全に盾になっている。


 そのときだった。


「あの犬さんが助けてくれたんだよ」


 柔らかい声が、背後から響いた。


 エリシアだった。


 驚いて、そちらを見る。


 目が合う。


 まっすぐな視線だった。


「ですが、お嬢様」


 ガレスが険しい声で返す。


「分かりません。この魔物が何を考えているのか――」


「ガレス、いじめないで」


 ぴたり、とその言葉が空気を止めた。


 ガレスが、言葉を詰まらせる。


 俺も、動きを止めていた。


 いじめる、という言葉が妙に引っかかる。


 そんなつもりはない。


 そもそも、何かする気もない。


 ただ帰るだけだ。


 なのに――


 エリシアは、こちらを見たまま、小さく笑った。


 そして、くるりと踵を返す。


 近くにあった馬車へと向かい、何かを探る。


 ガレスが慌てる。


「お嬢様、危険です! 不用意に近づくべきでは――」


「大丈夫だよ」


 あっさりと返す声。


 そして、戻ってきた。


 手に何かを持っている。


 小さな、茶色いもの。


 甘い匂いが、ふわりと風に乗って届いた。


 ――なんだ、それ。


「これ食べて。助けてもらったらお礼をしなさいとお父様に言われてるの」


 差し出される。


 ガレスが前に出る。


「お嬢様!」


「ガレス、だめ」


 きっぱりとした声。


 そのまま、エリシアは手を伸ばしたまま、こちらを見ている。


 警戒も、恐怖もない。


 ただ、当たり前のように。


 それを受け取る前提で。


 ……変なやつだな。


 そう思う。


 普通なら、逃げるか、震えるか、せめて距離を取る。


 なのにこいつは、近づいてくる。


 意味が分からない。


 だが――


 匂いが、気になる。


 さっきから、ずっと。


 肉とは違う。


 血とも違う。


 甘くて、香ばしくて、どこか懐かしい。


 足が、止まっていた。


 そして――ゆっくりと、前に出る。


 ガレスが身構えるのが分かる。


 だが、無視する。


 牙を見せることもなく、ただ近づく。


 エリシアの手の中のそれに、鼻先を寄せる。


 匂いを嗅ぐ。


 ……やっぱり、分からない。


 けれど、嫌じゃない。


 むしろ、妙に引かれる。


 少しだけ口を開く。


 そっと、咥える。


 砕かないように。


 奪わないように。


 ただ、受け取る。


 エリシアが、嬉しそうに笑った。


「よかった」


 その声を背に、俺はゆっくりと踵を返した。


 もう用はない。


 これ以上ここにいても、何もない。


 森へ戻る。


 木々の間を進み、気配が遠ざかっていくのを感じる。


 やがて、完全に見えなくなった。


 足を止める。


 静かだ。


 さっきまでの喧騒が嘘みたいに消えている。


 口の中には、まだそれがある。


 ……これ、どうするんだ。


 少し考えてから、ゆっくりと噛んだ。


 さくり、と軽い音がする。


 その瞬間――


「……っ」


 動きが止まる。


 なんだ、これ。


 甘い。


 柔らかい。


 口の中で崩れて、広がる。


 今まで経験したことのない味。


 肉とはまるで違う。


 血の匂いもない。


 なのに――


 やけに、いい。


 もう一度噛む。


 ゆっくりと。


 味わうように。


 崩れていくそれを、舌で転がす。


 飲み込むのが、もったいない。


 そんな感覚、初めてだった。


 もっと、と思う。


 終わらないでほしいと、思う。


 だが、当然そんなわけもなく。


 少しずつ、小さくなっていく。


 最後の欠片を、口の中で転がす。


 名残惜しくて、すぐには飲み込めない。


 何度も、何度も噛む。


 味を引き延ばす。


 それでも、やがて消える。


 喉を通る。


 終わる。


「……」


 しばらく、そのまま立ち尽くしていた。


 口の中には、もう何も残っていない。


 けれど――


 確かに、残っているものがあった。


 さっきまで感じていた、あの空っぽ。


 それが、少しだけ埋まっている。


 完全じゃない。


 でも、確かに違う。


 満たされた、という感覚。


 ほんのわずかだが、確かにそこにあった。


「……そうか」


 ぽつりと呟く。


 理由は分からない。


 あれが何なのかも、知らない。


 けれど――


 ああいうものがある。


 そう知っただけで、十分だった。


 空を見上げる。


 木々の隙間から、光が差し込んでいる。


 さっきまでと同じ森なのに、どこか違って見えた。


 足を動かす。


 いつもの場所へ戻る。


 けれど、心の中は少しだけ軽かった。


 この日は――


 初めて、満たされたと思えた一日だった。

読んでいただきありがとうございます。


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