強さの証明
殺す。喰らう。眠る。
目が覚めれば、また同じことを繰り返す。
それだけで一日が終わる。
気づけば、それが当たり前になっていた。
この世界に流れ着いてから、どれくらい経ったのかは分からない。最初の頃は、日が昇って沈むのを数えようとしたこともあったが、すぐに意味がないと気づいた。
腹が減る。狩る。喰う。眠る。
その繰り返しの中で、時間の区切りなんてどうでもよくなった。
今が朝なのか夜なのかさえ、意識しなければ分からない。
ただ、生きている。
それだけが確かなことだった。
木々の隙間を抜ける風の流れを感じながら、ゆっくりと歩く。
足音はほとんど立たない。呼吸も自然と浅くなっている。
意識しなくてもできるようになっていた。
最初は違った。
音を立て、匂いを撒き散らし、何度も獲物を逃がした。
逆に、襲われもした。
だが今は違う。
気配を読む。風を読む。地面のわずかな振動すら拾う。
“いる”と分かる。
視界に入る前から、そこに何がいるのか、なんとなく分かる。
森の中に点在する気配の中で、自分がどの位置にいるのかも。
――上だ。
そんな感覚が、いつの間にか根付いていた。
目の前の茂みの奥に、小さな影が動く。
逃げようとしている。
だが遅い。
地面を蹴る。距離を詰める。噛みつく。
短い悲鳴。すぐに止む。
それで終わりだ。
倒れたそれを見下ろす。
以前なら、多少なりとも躊躇があったのかもしれない。だが今は何も感じない。
ただ、“処理する”だけだ。
腹を裂き、肉を喰う。
温かいものが喉を通る。
満たされる。
――はずだった。
「……」
噛みながら、わずかに眉をひそめる。
満たされている感覚はある。胃は確かに重くなる。
だが、それだけだ。
どこか、足りない。
何かが欠けている。
最初の頃は、とにかく飢えていた。
何を食っても、ただ“助かった”という感覚があった。
だが今は違う。
食っても、食っても、どこか満たされない。
量の問題じゃない。
何匹仕留めようが、同じだった。
腹は満ちる。だが、それ以上に――空っぽのままの部分がある。
理由は分からない。
考えても、答えは出ない。
だから、考えるのをやめた。
必要なことだけをやる。
それだけでいい。
口の周りについた血を舐め取り、顔を上げる。
静かだ。
夜だろうが昼だろうが、この辺りはいつもこんなものだった。
以前は違った。
常に何かに狙われている感覚があった。
眠ることすら恐ろしくて、何度も飛び起きた。
少しの物音にも過剰に反応して、無駄に体力を消耗した。
だが今は――
ない。
少なくとも、この一帯では。
耳を澄ませる。気配を探る。
だが、脅威になるようなものは感じない。
遠くにはいる。だが、近づいてはこない。
避けている。
俺を。
「そうか」
自嘲的に笑う。
いつからだろうな、と思う。
ここが、こうなったのは。
特別なことをした覚えはない。
ただ、襲ってくるものを返り討ちにして、喰ってきただけだ。
それを繰り返しているうちに、気づけばこうなっていた。
この辺りに近づくやつはいなくなった。
匂いで分かるのだろう。
ここは危険だと。
つまり――
「俺の場所、ってことか」
言葉にしてみると、妙にしっくりきた。
縄張り。
そんな概念が頭に浮かぶ。
どこまでがそうなのか、正確には分からない。だが、少なくとも今立っているこの場所は、間違いなく俺の“居場所”になっていた。
誰にも脅かされない。
少なくとも、以前のように一方的に襲われることはない。
それは、強さの証明なのだろう。
ここで生きるために必要なものを、手に入れた結果。
求めていたもの。
――そう、求めていた。
最初に思ったはずだ。
楽に生きたい、と。
無駄に怯えずに済むように、と。
だから強くなると決めた。
そして、その通りになった。
なら、満足していいはずだ。
なのに――
「…なんでだ」
冷たく呟いた。
喉の奥に、ひりつくような感覚が残る。
さっきまで肉を喰っていたはずなのに、妙に乾いている。
空腹ではない。
だが、飢えはある。
どうしようもない、落ち着かない感覚。
腹の奥じゃない。
もっと別の場所。
説明できない何かが、ずっと足りないままになっている。
苛立ちに似た感情が、じわじわと広がる。
原因が分からない分、余計に厄介だった。
足を動かす。
意味もなく、森の中を歩く。
いつもの縄張りの中を、ゆっくりと巡る。
見慣れた景色。
匂いも、音も、全部知っている。
安全だと分かっている。
それなのに、落ち着かない。
何かを探しているような感覚。
だが、それが何なのかは分からない。
「はぁ、」
小さく息を吐く。
考えても無駄だ。
今までもそうだった。
分からないことは、放っておくしかない。
どうせ、生きるためにやることは変わらない。
殺して、喰って、眠る。
それを繰り返す。
それだけで、ここまでは来られた。
なら、これからも同じだ。
足を止める。
近くに、ちょうどいい場所があった。
木の根元。少し窪んでいて、風も当たりにくい。
ここでいい。
体を丸める。
耳を澄ませる。
危険はない。
分かっている。
それでも、完全には気を抜かない。
それもまた、もう体に染みついた習慣だった。
ゆっくりと目を閉じる。
意識が落ちていく。
その直前まで、あの感覚は消えなかった。
満たされない何か。
理由の分からない飢え。
それを抱えたまま、俺は眠りに落ちる。
そしてまた、目が覚めれば――
同じことを繰り返すのだろう。
殺して、喰って、眠る。
それが、今の俺のすべてだった。
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