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狼男に転生した俺は魔物の支配者ではなく、庭付き戸建ての夢を見る  作者: ミツメ


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未知への興奮

 森の匂いが途切れた瞬間、世界はまるで別のものに変わった。土と葉の湿った香りは消え、代わりに乾いた石と焼けた鉄、そしてどこか甘く油の混じった匂いが入り込んでくる。

 ザリアは足を止めかけるが、肩にかけられた外套の重みと、前を歩くアルアインの背中に引かれるようにして境界を越えた。粗い布地の感触が首元に触れ、獣の輪郭を隠しているのが分かる。

 視界が開ける。木々に遮られていた光は遠慮なく地面に降り注ぎ、整えられた道の上を人が行き交っている。森の中では感じたことのない密度だった。


 気配が多い。音が多い。足音、声、笑い声、何かを叩く音、車輪の軋む音、それらが重なり合って、絶え間なく耳に流れ込んでくる。その一つ一つに反応しそうになる身体を、ザリアは必死に抑え込んだ。


 街の入口では予想通り足止めされた。槍を持った兵が二人、こちらを値踏みするように視線を向ける。その目は警戒と疑念を隠そうともしない。外套の奥を覗こうとする視線に、ザリアの筋肉がわずかに強張る。


「止まれ、そいつは何だ」


 アルアインは面倒くさそうに肩をすくめる。


「見りゃ分かるだろ、獣人だ」


「この辺りじゃ見ない顔だな」


「流れてきたんだとよ、森の方からな」


 ザリアは視線を落とし、呼吸だけを整える。牙も爪も見せない。ただ、静かに立つ。


「問題は起こさねぇ、俺が面倒見てる」


 兵はしばらく黙っていたが、やがて鼻を鳴らす。


「妙な真似はするなよ」


「するかよ」


 通された瞬間、張り詰めていたものがわずかにほどける。しかしそれ以上に、押し寄せてくる刺激が強かった。


 街の中はさらに騒がしかった。道の両脇には店が並び、色とりどりの布や金属、見たことのない形の道具が所狭しと並べられている。人々はそれを手に取り、値を交渉し、笑い、時に怒鳴り合う。すべてが動いている。すべてが生きている。ザリアは歩きながら、次々と視界に入るものに意識を奪われた。積み上げられた果物、磨かれた刃物、干された魚、揺れる布、どれもが森にはなかった色と形を持っている。足が自然と遅くなる。


 アルアインは振り返りもせずに歩き続けるが、その歩幅はいつの間にかわずかに緩やかになっていた。急かすことはしない。ただ、ザリアがついてこられる距離を保つように進んでいる。


 焼かれる肉の匂いが鼻を突く。脂が弾ける音と共に立ち上る煙は、ただの食料というよりも強い誘惑だった。ザリアの足が止まる。露店の前、串に刺された羊肉が火に炙られ、香ばしい匂いを放っている。その匂いに、身体が勝手に引き寄せられる。


 視線が離せない。


 アルアインが振り返る。


「気になるか」


 ザリアは答えない。ただ見つめたまま動かない。


 アルアインは小さく息を吐き、露店の男に声をかける。


「一本くれ」


 銅貨が鳴る音。串が差し出される。アルアインはそれを受け取り、ザリアに投げるように渡す。


「ほら」


 ザリアは戸惑いながら受け取る。手に伝わる熱。鼻先に広がる香り。ゆっくりと口に運ぶ。


 噛む。


 その瞬間、世界が弾けた。


 肉汁が溢れる。塩と脂と火の香りが一気に広がり、舌を満たす。これまで食べてきた肉とはまるで違う。焼かれている。それだけでこんなにも変わるのかと、理解が追いつかない。思わず動きが止まる。


 もう一口。今度はためらいなく噛みしめる。熱さも構わず、ただ味を追う。止まらない。あっという間に一本を食べきる。


 ザリアはしばらくその場に立ち尽くす。口の中に残る余韻を、逃さないように。


 アルアインが横目で見る。


「そんな顔するほどか」


 ザリアは小さく頷く。


「、うまい」


 その一言に、アルアインはわずかに口の端を上げる。


「だろうな」


 再び歩き出す。ザリアはその後を追うが、さっきまでとは違う感覚があった。この街には、まだ知らないものが無数にある。知らなかった味、知らなかった匂い、知らなかった形。それらが次々と現れては消えていく。


 子供たちが走り回る。その動きは無防備で、森ではあり得ないものだった。笑い声が弾ける。その音は軽く、どこか胸の奥を揺らす。誰もが何かを恐れている様子がない。それが逆に不思議だった。


 通りを抜けると、さらに大きな広場に出る。中央には水が流れていた。石で組まれた構造物から絶えず水が溢れ出し、人々がそれを囲んでいる。ザリアは思わず足を止める。水は知っている。だが、これは違う。整えられ、制御された水の流れ。自然ではない形。


 アルアインがちらりと視線をくれる。


「そのうち慣れる、」


 ザリアが何を思っているのかわかっている様子だった。


 ただ、簡単に言うが、その言葉の意味はまだ遠い。慣れるということは、この世界を当たり前として受け入れるということだ。それができるのか、ザリアには分からなかった。


 人の匂いが濃い。汗、布、油、香料、それらが混ざり合って一つの層を作っている。森の匂いとは違う。だが、完全に拒絶するものでもなかった。むしろ、どこか引き寄せられる感覚すらある。


 そのときだった。


 ふと、空気の中に混ざる別の匂い。


 甘い。


 柔らかく、優しく、どこか懐かしい香りが鼻先をかすめる。


 足が止まる。


 あの日の記憶が蘇る。小さな手から差し出されたそれ。噛みしめるたびに広がった甘さ。終わってほしくなかった時間。


 ザリアの視線がゆっくりと動く。


 通りの奥、小さな店。並べられた焼き菓子。


 胸の奥が強く脈打つ。


 また、食べたい。


 その願いが、はっきりと形を持って浮かび上がった。

読んでいただきありがとうございます。


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