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狼男に転生した俺は魔物の支配者ではなく、庭付き戸建ての夢を見る  作者: ミツメ


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2/21

爪、牙、飢え、

 目が覚めると、俺は地面に伏せていた。


 冷たい。湿っている。鼻先に触れる土の感触がやけに生々しくて、そこでようやく「自分が横たわっている」という事実を理解した。

 意識が混濁している。自分は何者で、ここはどこなのか。

 辺りを見回す。


 風に揺れる木々。甲高い鳥の囀り。湿った大地。

 ここは森の中だった。


 ……なんだこれ。


 体を起こそうとして、違和感に引っかかる。腕に力を入れたつもりなのに、思った通りに動かない。いや、そもそも“腕”が、記憶している形と違う。


 視界の端に、黒い毛並みが見えた。


 それが自分のものだと理解するまで、数秒かかった。


 呼吸が浅くなる。喉の奥で変な音が鳴る。落ち着け、と頭では分かっているのに、体の方が勝手にざわついている。


 ……夢、か?


 そう思おうとしたが、鼻に入り込んでくる匂いがそれを許さなかった。土の匂い。湿った葉。腐りかけた何か。そして、どこか遠くから漂ってくる、生臭い臭気。


 リアルすぎる。


 ゆっくりと顔を上げる。視界がやけに低い。いや、違う。自分の体が低い位置にあるんだと、そこで気づいた。


 四つ足。


 言葉にした瞬間、ぞわりと背筋が粟立つ。


 冗談だろ。


 もう一度、自分の体を見る。黒い毛。太い前脚。地面に沈み込む爪。


 どう見ても、人間じゃない。


「……は」


 声を出したつもりで、漏れたのはかすれた唸り声だった。


 その音に、自分で驚く。


 いやいやいや、ちょっと待て。


 頭の中で言葉がぐるぐる回る。状況を整理しようとするが、材料が足りなすぎる。最後の記憶は曖昧だ。ただ、こんな場所に来る理由なんて一つも思い当たらない。


 そのときだった。


 ガサ、と近くの茂みが揺れた。


 反射的に、体が固まる。


 考えるより先に、全身の毛が逆立った。喉の奥から低い唸りが漏れる。視線が勝手にそちらを向く。


 何かがいる。


 分かる。理屈じゃない。そこに“危険”があると、体が理解していた。


 次の瞬間、飛び出してきた。


 灰色の塊。いや、生き物だ。牙を剥き、まっすぐこちらに突っ込んでくる。


 速い。


 避けろ、と頭が叫ぶより早く、体が動いた。横に跳ぶ。地面を転がる。すぐさま起き上がる。


 今のは何だ。


 思考が追いつかないまま、相手を見据える。


 犬に似ている。だが、明らかに大きい。目がぎらついていて、口元から涎を垂らしている。


 そして、こっちを見ている。


 獲物を見る目で。


「……なんで」


 どうして襲われているのか、なんて考える余裕はなかった。


 もう一度、そいつが跳んだ。


 今度は避けきれない。肩口に衝撃。鋭い痛みが走る。熱いものが流れ出る感覚。


 噛まれた。


 理解した瞬間、恐怖が一気に押し寄せる。


 死ぬ。


 そんな言葉が頭をよぎる。


 嫌だ、と反射的に思った。


 その瞬間、体が勝手に動いた。


 前脚を振り上げる。爪が何かに引っかかる感触。手応え。次いで、ぐしゃりと柔らかいものが潰れる音。


 相手が離れた。


 距離ができる。だが、まだ終わっていない。そいつはよろめきながらも、再びこちらを睨んでいる。


 なんで来る。


 さっきよりも、はっきりと分かった。


 こいつは、俺を殺そうとしている。


 理由なんてない。ただ、それが“当たり前”なんだ。


 息が荒くなる。心臓がうるさい。


 どうする。


 逃げるか?


 できるか? このまま背を向けたら、追いつかれて、今度こそ喉を噛み千切られる。


 じゃあ――


 やるしかない。


 頭の中で何かが切り替わる。


 怖い。でも、それ以上に理解した。


 ここでは、やらなきゃ死ぬ。


 それだけだ。


 地面を蹴る。


 今度は自分から距離を詰めた。相手が驚いたように一瞬動きを止める。その隙に、もう一度爪を振る。


 当たる。裂ける。赤いものが飛び散る。


 嗅いだことのない、強烈な匂い。


 血だ。


 その匂いに、頭が一瞬くらりとした。


 なのに、不思議と嫌じゃなかった。


 むしろ――


 腹の奥が、ぎゅうと締め付けられる。


 空腹。


 今まで意識していなかったのに、急にそれがはっきりとした形を持って主張してくる。


 食べろ、と。


 そんな馬鹿な、と思う。


 目の前には、さっきまで自分を殺そうとしていた相手がいる。まだ息はあるが、動きは鈍い。


 これを、食べる?


 理性が拒否する。


 無理だろ。こんなの。


 けれど、体が言うことを聞かない。


 一歩、近づく。


 相手が弱々しく唸る。それでも牙を向けようとする。


 ……ああ、そうか。


 こいつも同じだ。


 食うか、食われるか。


 それだけの場所なんだ。


 ここは。


 息を吸う。血の匂いが濃くなる。


 腹が鳴る。


 迷っている時間はない。


 俺は、口を開いた。


 牙が肉に食い込む。温かい液体が舌に触れる。


 ――まずい、と思う暇もなかった。


 気づけば、夢中で喰らっていた。


 咀嚼する音。骨が砕ける感触。喉を通っていく重み。


 全部が現実で、全部が異常で、でも確かに“必要”だった。


 どれくらいそうしていたのか分からない。


 やがて、動かなくなったそれから顔を上げたとき、俺は荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。


 口の周りが濡れている。鉄の味がする。


「……はは」


 乾いた笑いが漏れる。さっきと同じ、うまく言葉にならない音で。


 やってしまった、と思う。


 でも同時に、理解してしまった。


 ここでは、これが普通なんだと。


 さっきまでの自分は、何も分かっていなかった。


 ただ混乱して、現実から目を逸らそうとしていただけだ。


 でも今は違う。


 痛みも、匂いも、味も。


 全部が教えてくる。


 ここは、優しくない場所だ。


 何も与えられない。欲しければ、自分で奪うしかない。


 そして、奪えなければ――死ぬ。


 それだけの、単純な世界。


 ゆっくりと、周囲を見渡す。


 木々の隙間。揺れる影。どこかに、まだ何かがいる気配。


 さっきまでと同じなのに、見え方が変わっていた。


 敵だ。


 全部。


 喉の奥で、低く唸る。


 もうさっきみたいに戸惑わない。


 理解した。


 ここで生きるなら、やることは一つだ。


 殺して、食って、生きる。


 それ以外に、選択肢はない。


 俺はゆっくりと足を踏み出した。


 さっきよりも、少しだけ迷いのない動きで。

読んでいただきありがとうございます。


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