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魔法使いは、今日も、どこかで。


 ハルムスタッドの街は救われた。


 海坊主という海の災害に直面し、冒険者たちの活躍でそれをみごとに退けた。


 本来なら壊滅は不可避という事態をまぬがれて、街の人々はおおいに浮かれていた。当の冒険者たちを置き去りに。


「ニーナぁあああああ! ばかっ、あんた、なにやってんのよう! ほんっとにドジなんだから!」


 涙にくれるノーラに、誰もかける言葉を持ち合わせなかった。

 誰もが受け止め切れずにいた。


 遺品すらろくにない。ニーナという魔法使いが本当にいたのか、と疑ってしまうくらい。

 それくらい彼女はあわただしく去ってしまった。関わった人を巻き込んで、その背中を押し、前に進めと言っておきながら、自分は別の世界に行ってしまった。


「なんだったんだろうなあ。まるでいたずら好きの妖精みたいだ」

「妖精じゃないから、魔法使いだからって言うだろうな、絶対に」


 ベッティルが言い、ネブレクが言った言葉に、誰もがわずかに笑い、わずかに涙を流した。魔法使いになりたいと言い続けた、風変りな女。その言葉のとおり、最後まで魔法使いであり続けた、おかしな魔法使い。


「確かに……そう言いながら、帰ってくればいいのにな」



 ◇



 それから一年ほど経った頃。


 ネブレクは、ハリという村に来ていた。都からもはるかに離れた、辺鄙な村だ。

 本当になにもない村だったが、近頃少し活気づいているらしく、商品の注文や買取依頼が増えているらしいと聞いている。ネブレクが請け負った仕事もその一環だ。


 場所を問わず、ネブレクは忙しく動き回っていた。もともと移動が多かったが、ここ一年さらに移動範囲が広がっている。


 依頼されていた商人の護衛を終え、別途に頼まれていた商品の納品に冒険者ギルドを訪れる。


 一年ほど前に設立されたというギルドの建物は、質素だった。

 そこの前に立ち、ネブレクはしばし建物を眺めていた。


(ここで、本当にいいんだよな?)


 普通の民家を借り受けただけの建物の扉には、ギルドの名前と、場違いなくらいのほほんとした意匠を書きこんだプレートがかかっている。

 こんなのどかな場所に冒険者がいるとも思えないし、そいつらを養えるほどの仕事があるとも思えない。大丈夫なのか、ここは……。


 などと心配しながら、扉を開いて中に入る。


「シェリエ冒険者ギルドの使いの者だ。依頼の品を届けに来た」

「あら、いらっしゃいませ。ありがとうございます……って、ええ!? ネブレク!?」


 粗末な家具を並べて受付らしくしつらえたカウンターの奥にいた人物は、なにを驚いたのか素っ頓狂な声を上げた。


「ん? おれを知っているのか?」


 不審に思って、じたばたと手足を動かしていたその人物をあらためて見てみる。

 こんな場所に知り合いはいないと思うが……。



「……って、おまえまさか…………ニーナ!?」


 思わず叫んだあと、絶句するネブレク。

 一方、名前を呼ばれたニーナは、まるで真名を知られた魔物のようにびくっと跳ねたあと、あたふたと脇へ走った。


「待て。なぜ逃げようとする?」


 襟首をつかまえられたニーナはしばらくもがいていたが、やがて諦めて大人しくなった。が、明らかに挙動不審だ。目を合わせようとしない。


「生きていたのか!? てか、なんで戻ってこなかったんだよ?」

「ご、ごめん……」

「みんな心配したんだぞ。で、なんで逃げようとしてるんだよ?」


 ニーナはまだ、すきあらば逃げようとじたばたしている。それを引きずってきて、ネブレクは無理やり座らせた。

 なおも目を合わせないニーナの姿は、ギルドの受付嬢のような衣服だ。やはり元が長いだけあって、冒険者姿よりも板についているように思えた。


「よく生きていたな。海坊主と一緒に海のもくずと消えたかと思ってたぞ」


 言いながら、ネブレクは胸の内に暖かいものが湧き上がってくるのを感じた。ニーナが生きていた。嬉しい驚きだった。悪運が強いというのだろうか。

 理屈はともかく、ニーナが無事でいてくれたことがとにかく嬉しかったのだ。


「うん。あの時海坊主に捕まってね、口の中に閉じ込められたの」

「その海坊主を吹き飛ばしたんだろう? よく生きていたな」

「海坊主の口の中がね、特異点て言うの? 遠くの空間につながっていたみたいで。気が付いたらこの村の近くに飛ばされてたの」


 ほどなくこのハリの村にたどり着き、住み着いたのだという。


「海坊主、わたしを助けてくれたのかしら? なんとなくそんな気がするのよね」


 ニーナがしんみりと言う。自分が消滅させられると悟って、近くにいる生き物である自分を逃がしてくれたのではないのか。ニーナはそんなことを語った。真偽のほどはわからない。


 そのうち、この村で冒険者に憧れる若者たちにいろいろ指南しているうち、みなに請われてギルドらしきものを設立し、運営しはじめた。


「へえ。するとおまえがギルドマスターか」

「そんなたいそうなもんじゃないわよ。小さな村だから、依頼も自分の足で集めて仕事を仲介して。そんなだから冒険者もみんな兼業状態だけど、でも夢と希望はいっぱいよ」

「ふうん」


 大変だと言いつつも、微笑むニーナは嬉しそうだ。根っからのギルド職員なんだと、ネブレクは思い、ふっと笑う。


「な、なによ?」

「いや、おまえらしいと思ってな」


 言うことだけは一人前の若造どもを叱ったりなだめたりして世話を焼いているニーナの姿が見えるようだ。なんだかんだと言いながら、ニーナはそんな連中を決して見捨てない。やっぱり彼女にはそういう役割が合っているのだろう。


「それにしても、なんで生きているって知らせてくれなかったんだ? ノーラなんか見るのもかわいそうなくらいだったぞ」

「うん、悪いと思ってる」


 再びニーナが目を伏せる。どうも歯切れが悪い。


「なにか問題でもあるのか? おれでよければ手伝うぞ」

「う、うん。ありがと。あのね」


 ニーナがぽつぽつと語ったのは。


 対海坊主戦で、ニーナはギルドから呪符を借り受けた。

 高額なものを、ありったけ。それを残らず使い切った。


「冷静に考えると、あれ、わたしのものじゃないし。あんな金額、わたし、一生働いても返せないし。それを考えたら怖くなっちゃって……」

「……それだけ?」


 もじもじしているニーナを前に、ネブレクはしばし呆然とし、ついで。


「……ふ、ふふふ、くはは、あはははははは!」

「なっ!? なに笑ってんのよ!?」

「あっはっは。だって、だってよう……」


 そんなことを心配していたのか。


「あっはっは。馬鹿かおまえは?」

「なっ、なによひどい! わたしもう、死ぬほど心配してたんだから!」

「そりゃこっちのせりふだ。みんな死ぬほど心配したんだぞ」


 敢えて「みんな」と言ったが、心配したのはネブレクも同じだ。ニーナがいなくなってから、心のどこかを持っていかれてしまったような気がした。そんなに気にかけていたのかと自分でも驚いたくらいに。


「まったく、おばかな魔法使いだな」

「ひどい! 魔法使いってのは嬉しいけど……」


 相変わらずだな、と思いつつ、


「そんなことを気にする必要はないんだ。ハルムスタッドの街でのおまえの扱い、どんなになってると思う? 街を救った奇蹟の魔法使い、街の救世主、ニーナの名前は子供まで知ってる」

「なにそれ? ほんとに?」

「おまけに海坊主と刺し違えだからなあ。すっかりレジェンド扱いだ。神が遣わした天使かと、銅像まで立ちそうな勢いだぞ。誰か戯曲を書いた奴もいたなあ。もうすぐ上演だとか」

「やめてそれ、恥ずかしすぎる」

「だから帰ってこいよ」

「いやよ! そんなの見たらのたうち回って悶え死んじゃうわ!」

「それはそれですげえ面白い」

「もう、人ごとだと思って!」


 おとなしくニーナにひっぱたかれて、それからネブレクが諭すように言った。


「な? 何も心配いらない。みんなに無事を知らせてやれよ」

「な、なによ急にしんみりと。そんな泣き落としは通じないから!」


 赤くなってそっぽを向くニーナ。その制服姿をネブレクは眺めた。意外に似合っていて可愛らしい。


 こいつ、黒髪だったんだよな。

 黒髪の魔法使い。まさしく魔女。


 この魔女を守ってやりたい。


「で、でも、ここのみんなにも借りがいっぱいあるし、新米冒険者たちを置いてはいけないし……」

「しょうがない。じゃ、おれも手伝ってやるよ」

「え?」


 驚いて顔を上げるニーナ。


「でも、ネブレクみたいな上級者に出せるお金なんて、ないわよ?」

「立ち上げの頃はそんなもんだろ。分け前はギルド運営が軌道に乗ったら、存分にもらうことにするよ」

「ネブレク……」

「おまえの夢は魔法使いになることだろ? たまには新米どもを連れて現場に立てよ。あの色っぽい衣裳、期待してるぜ」

「もう!」


 再び盛大に赤くなる、自称魔法使い。

 それをつけ狙う敵は強大だ。最優の魔術師、もしかすると魔術師すべて、世界のすべてが敵に回るのかも知れない。


(それも面白い)


 冒険者の血がさわぐ。ほしいものを手に入れるには、そのくらいの障害があった方がいい。


「まあ、今後ともよろしくな。魔法使いどの」



 ◇



 それから辺鄙な村の小さなギルドは徐々に評判をあげ、やがて世界に大きな影響を及ぼすことになる。

 それを率いた「魔法使い」がまたひとつ伝説をつくるのだが、それはまた後の話。





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