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「そんじゃ、理玖、落雷さん、ばーい」
「うん」
「うんにゃ、ばいばーい」
警察の聴取から解放された理玖、楓馬、緋香里の三人は、玄関で別れた。楓馬は寮へ、理玖と緋香里は駅へと向かう。
七分ほど歩いて、理玖と緋香里は駅に着いた。人影はほとんどなく、外灯の明かりだけがホームを照らし出している。
次の列車が来るまで、あと五分ほどだ。
「とんでもなく時間食っちゃったねー……。はぁ……」緋香里が溜め息をつく。
「緋香里は早く帰れたのに」
「なに? その、『早く帰れ』みたいな言い方」
「え? そんな言い方はしてないよ」
「ふん。でも、僕がいなきゃ寂しいでしょ? ぼっちは嫌でしょ?」
「いや、そうでもない」
「あー……へぇ、そうですかぁ」
緋香里がへそを曲げたような言葉を発したとき、制服のポケットにある彼女のスマートフォンがブブッと震えた。
「ん」彼女は、スマートフォンを取り出す。画面には、緑を基調とした通知が表示されていた。「あっ。先輩からだ」
スクリーンをタップしてから、彼女は五秒ほど画面を見つめ、そのあと小さく息を吐いた。
「……やっぱそうなるかぁ」
「文化祭が中止?」理玖が訊く。
「あー、うん。明日の文化祭は中止で、火曜まで臨時休校になるってさ」
「……ま、当然の結果かな」
「んで、予定を繰り上げて、明日は片付けになる……と。まだ材料だって残ってるのに、もう大損害!」緋香里は声を荒らげる。「ったくー、どこのどいつが殺したんだよ!」
「怒ったって仕方ないよ。時間は過去に流れない」
「……。そりゃそうだけどさ……?」一瞬、納得した顔つきになるが、緋香里は猛犬のように歯を剥き出した。「くそぅ。僕が犯人を摘まみ出して、罪を償わせてやる!」
「償わせるって、どうやって?」
「残った材料で作ったクレープ百個、ぜーんぶ買ってもらう!」
「お金が欲しいなら、直に貰ったほうが早いよね」
「……。……」緋香里の口元がごにゃごにゃと動いた。
「それに、殺人犯が捕まったところでどうにもならないよ。直接的な害を被ったわけじゃないからね」
「……むぅ」
それから列車がホームに入るまで、緋香里は顔をしかめて唇を尖らせていた。
結局、理玖が自宅の玄関をくぐったのは午後八時半を過ぎた頃だった。思わぬ事態のおかげで大幅に帰宅時間が延びたわけだが、予定や門限があるわけでもないので、彼にとってこの時間に帰ることは問題ではなかった。
「おかえり~」いつも通りおっとりした口調で、理玖の母が出迎える。「遅かったけど、何かあったの?」
「ちょっと片付けが大変だっただけだよ」理玖は靴を脱ぎながら言う。
「そう……。でも、遅くなるなら連絡くらい寄越しなさい。晩御飯、冷めちゃってるんだからぁ」
「電子レンジで温めれば問題ないよ。文明の利器っていいよね」
それから理玖は遅めの夕食を済ませると、シャワーを浴びに風呂場に向かった。
少し熱いと感じるくらいの湯の雨を、頭から被る。この瞬間が、一番リラックスできていると体感することができる。躰だけでなく脳の緊張もほぐれるので、何か考えごとをするには打ってつけの時間と空間だ。
そして、彼の思考の焦点は、今日の事件に合わさっていた。
――まさか、文化祭の最中にあんな事件が起こるとは微塵にも思ってもいなかった。
死んでいたのは、高専の教員だ。
なぜ死んでいたのか?
いつ死んだのか?
なぜあの場所で?
……まず、事故か事件か?
死に至った瞬間を見たわけではないので断定はできないが、死体の状態から、殺人事件で間違いないと彼は思った。しかし、事故の可能性も否定しきれないのも事実。何より、圧倒的に情報が少ない。
情報が無い以上、この問題についてはあまり考えても意味は無い。
ということで、「殺人」だと仮定して考えを進める。
いつ殺されたのか、どう殺害されたのかについては、検死をすれば判明する。はっきりした死因も同様だ。
なぜあの場所で殺されていたのか。……これについては、考える余地がある。
現場は、三階の男子トイレの個室。
なぜ、そこで殺されていたのだろうか……?
たしかに、三階は人通りも少なかったので、殺人を行うにはちょうどよかったのかもしれない。
だが、殺されてから運ばれたという可能性も十分に考えられる。いくら周囲の人間の数が少ないとはいえ、あの場所で殺人を行うのは危険性が高い。
しかし、死体の運搬は不可能だろう。どこか別の場所で殺したとして、大人一人を運ぼうと思えば、それは簡単なことではない。一階で殺して三階まで運んでくるならなおさら。
まして、人目につきやすくなるというリスクを背負うことにもなる。死体を一旦バラバラにして、ケースか何かに入れて運びだし、即座に組み立てるというブラック・ジャック並みの技術を使えば問題無いだろうが、そんなことができる人間はまずいないし、そんな手の込んだ方法を取るのは効率的ではない(そもそも、殺人という行為自体が効率的な方法であるわけがない)。
やはり、個室内で殺されたとみるのが妥当だ。
そして、どこの誰が犯行に及んだのかは知らないが、「学校」という特異な環境である以上、学生か教員の誰かが殺害した可能性が高い。しかし、文化祭には不特定多数の人間が訪れていたため、学校関係者以外の第三者が犯人だということも否めない。
警察は、この状況で殺人犯を特定しなければならない。
まずは被害者やその関係者から調べるだろうが、学生にも捜査の手が及ぶようになるかもしれない。そうなれば、かなり厄介だ。
面倒なことを起こしてくれたものだ、と理玖は溜め息をつく。
殺人を犯すからには、それなりの意味があったのだろう。
憤怒、怨恨、痴情、復讐、金銭トラブル。それらが、思いつく限りの殺人に結びつきそうな要因だ。これらのうち何かによって、被害者は殺害された……。
いや。
殺人は手段であって、目的ではない可能性はどうだろうか?
事件があったことで、文化祭が中止になった。もしかしたら、中止させるために凶行に及んだのかもしれない……。そうだとすれば、これは無差別殺人だったのか?
そこまで考えて、理玖は首を振る。
それは、深読みし過ぎだ。
文化祭を中止させるだけなら、「校内に爆弾を仕掛けた」とでも学校に電話すればいい。そもそも、殺人を行うこと自体が危険な行為である。罪の重さも、威力業務妨害と殺人では地球と太陽くらい違う。
つまり、「被害者を殺してやりたい」という意思で殺人が行われたということだ。
(ま……、犯人は、すぐに警察が逮捕するだろうな)
そう結論づけ、理玖は思考を止める。
気づけば、熱いシャワーで躰が真っ赤になっていた。
急に、全身に熱を感じる。頭もぼうっとしてきた。
コックを捻って、湯の雨を止める。
理玖は溜め息をついてから、躰じゅうの水分をタオルで拭き取り、浴室から出た。
このときの理玖は、事件はこれで終わりだと思っていた。もちろん、それもすぐ解決されるものだと信じて疑わなかった。
しかし、予期せぬ出来事というものは、立て続けに起こるものである。