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初めての実地訓練

三日後の朝。王都はまだ薄い朝靄に包まれていた。

城門の前には馬車と護衛騎士たちが待機している。

栞は深呼吸を一つした。

訓練場ではない。本物の瘴気汚染地域へ向かうのだ。

「緊張しておられますかな」

アルフレッドが穏やかに尋ねた。

「少しだけ」

栞は正直に答える。

アルフレッドは小さく頷いた。


◇◇◇


馬車は王都を離れ、街道を進んでいく。

窓の外には広い畑や牧草地が広がっていた。

王都の外の景色を見るのは初めてだった。

どこまでも続く空。風に揺れる麦畑。のどかな風景だった。

「綺麗ですね」

思わず呟く。

「王都周辺は比較的豊かな土地ですからな」

アルフレッドが答えた。

「瘴気の影響が少ない地域でもあります」

少ない、つまりゼロではないということだ。

栞は窓の外へ視線を向けた。

穏やかな景色の向こうにも、この世界の問題は広がっているらしい。


二時間ほどして馬車は目的地へ到着した。

王都近郊の小さな農村だった。

規模は大きくないが、どこか張り詰めた空気が漂っている。

村長が出迎えた。

「お待ちしておりました」

深く頭を下げる老人の表情には疲労が滲んでいた。

「問題の場所はこちらです」

案内されたのは村の中心ではなかった。

村の外れ。さらにその先に広がる小さな森だった。


森へ近付くにつれ、栞は眉をひそめた。

胸の奥がざわつく。研究院で触れた瘴気石と同じ感覚がしたが比べものにならないほど濃い。

「何だか嫌な感じがします」

「感じ取れますか」

アルフレッドが頷く。

「瘴気ですな」

村長が重々しく口を開く。

「徐々に森じゅうに広がってしまいまして」

栞は黙ってその光景を見つめた。

「この辺りが最も瘴気の濃い場所だ」

アシュレイが周囲を見渡した。

その先へ進むのは栞とアシュレイ、護衛騎士たちだった。

アルフレッドは後方に残る。


◇◇◇


森の奥へ進むにつれ、空気は重くなっていった。

前方を歩くアシュレイが不意に足を止める。

同時に片手を上げると、隊列が静止した。

茂みが揺れて、低い唸り声と共に三体の魔獣が飛び出す。

護衛騎士たちが前へ出たが一体が脇をすり抜ける。

反射的に栞は魔力を動かし、半透明の結界を展開する。

魔獣の突進は結界へぶつかり、そのまま弾き返された。

次の瞬間、アシュレイの剣が閃き、魔獣は地面へ倒れ込んだ。

「悪くない」

アシュレイが短く言う。

「これが低級魔獣ですか」

「ああ」

アシュレイは頷く。

「王都近郊なら珍しくない」

「瘴気に引き寄せられるんですか?」

「そうだ」


騎士の一人が腕を押さえていた。魔獣の爪がかすったらしい。

大きな怪我ではないが血が滲んでいる。

「少し見せてください」

栞は手をかざすと、淡い光が傷を包み、裂けていた皮膚がゆっくり閉じていった。

騎士は驚いたように腕を見る。

「ありがとうございます、聖女様」

栞は小さく頷いた。


再び進んでいくと、

「この先です」

先導していた騎士が足を止める。

周囲の土は黒ずみ、木々の葉は変色していた。

「大丈夫だ」

隣からアシュレイの声がした。

「できる」

以前と同じ言葉だが今度は少し違った。

ただ励ましているのではなく、訓練を重ねた上で言っている。

だから不思議と不安はなかった。

栞は小さく頷いた。

「やってみます」

目を閉じる。瘴気を感じる。濁った何か。

本来あるべき姿から歪められたもの。

だから戻す。

浄化とは消すことではない。本来の姿へ戻すこと。

アルフレッドの説明を思い出しながら、栞はゆっくりと魔力を流し始めた。

白い光が静かに広がった。柔らかな光だった。光は静かに土地を包み込んでいく。 

黒ずんでいた土が少しずつ色を取り戻していく。

成功だ。

栞がそう思った、その時だった。

「あれ?」

違和感があった。

浄化が止まらない。

視界の端にあった雑草が急速に伸び始める。

小さな花が一斉に咲いた。

葉が変色していた近くの低木には新芽が生まれる。

森の木々まで光り始めていた。

「まずい!」

アシュレイの声が飛ぶ。

「術を止めろ!」

栞は慌てるが上手くいかない。

魔力が流れ続ける。

周囲の植物すべてに力が行き渡っていき、森の木々がざわめく。

「栞!」

アシュレイの声が遠い。

視界が揺れ、足元から力が抜けていった。

まずい。

そう思った時には遅かった。世界が暗転した。


◇◇◇


意識が浮上した。最初に感じたのは妙な倦怠感だった。

体が重い。まるで全身に鉛でも詰め込まれたようだった。

ゆっくりと目を開く。見慣れた天井が視界に映った。

王城の自室だった。

「あれ……」

掠れた声が漏れる。最後の記憶は、森の中だった。

浄化を行い、光が広がり、森の木々まで反応して。そこで途切れている。

「聖女様!」

声と共にクラリスが駆け寄ってきた。

その表情には隠し切れない安堵が浮かんでいる。

「目を覚まされたのですね」

「私、どうなったんですか?」

問い掛けると、クラリスは少しだけ言いづらそうに答えた。

「倒れられました」

「どれくらい寝ていました?」

「五日です」

栞は瞬きをした。

「五日?」

「はい」

想像以上だった。思わず天井を見上げた。


◇◇◇


その日の午後、アルフレッドが部屋を訪れた。

「お目覚めですかな」

「村はどうなったんですか?」

まず気になったのはそこだった。

アルフレッドは頷く。

「浄化は成功しております」

胸の奥の力が少し抜けた。

「村人たちも大変喜んでおりましたぞ」

「良かった……」

本当に良かった。

五日も寝込んだのだから、失敗していたら目も当てられない。

「ですが」

アルフレッドが続ける。

嫌な予感しかしなかった。

「問題もあります」

「聖女様は浄化するつもりだった」

「そのつもりでした」

「ですが実際には浄化だけではありませんでした」

栞は首を傾げた。

「周囲の植物まで回復していました」

言われて思い出す。確かに森が妙に元気になっていた。

「浄化の影響じゃないんですか?」

「一部はそうでしょうな」

アルフレッドは頷いた。

「ですが、それだけでは説明がつきません」

「え?」

「聖女様は浄化と治癒を同時に起こしていました」

栞は固まった。

「治癒術の訓練を覚えていますかな」

アルフレッドが静かに言う。

「木の枝を修復した時のことです」

「ああ……」

嫌な記憶だった。枝を治すつもりが、なぜか新芽を大量発生させた。

「今回も似たような状態です」

老人は続ける。

「瘴気で弱った土地を元へ戻そうとした結果、周囲の植物まで治癒してしまったのでしょう」

「だから森まで……」

「ええ」

アルフレッドは頷いた。

「浄化は成功しています」

「でも?」

「治し過ぎましたな」

「今回の課題は対象の指定です」

「対象の指定?」

「瘴気地点を浄化する」

アルフレッドは指で円を描く。

「その範囲だけに力を流す」

「できていなかったんですね」

アルフレッドが頷く。

「もし瘴気核で同じことが起こればどうなると思います?」

栞は考える。

「また途中で倒れます?」

「その通りです」

アルフレッドは頷いた。

「今回は幸運でした」

「幸運?」

「対象が小規模な瘴気汚染だったからです」

老人の表情がわずかに険しくなる。

「これが瘴気核であれば、浄化が終わる前に力尽きていた可能性がありますな」

栞は息を呑んだ。


◇◇◇


話が終わり、二人が部屋を出ていくと、入れ替わるようにアシュレイが現れた。

「起きたか」

第一声は相変わらずだった。

「ご迷惑をお掛けしました。」

「いや」

そこで会話が途切れるがアシュレイは帰らなかった。

どこか言いたげに立っている。

「何かありますか?」

栞が聞くと、アシュレイは少しだけ眉を寄せた。

「五日も起きなかった」

それだけだったが、その一言で十分だった。

心配していたのだと分かる。

「すみません」

「次は倒れるな」

「善処します」

アシュレイは呆れたように息を吐いた。


◇◇◇


その夜。一人になった部屋で、栞は窓の外を見上げた。

実地訓練は成功した。村は元に戻った。

困っていた人たちも助かった。

だが同時に、自分の未熟さも思い知らされた。

浄化と治癒。その境界すら、まだ自分では制御できていない。

最初の瘴気核へ向かうには、まだ足りないが、課題が見つかったということは、次に進めるということでもある。

栞は静かに拳を握った。

帰るために。

やるべきことは、まだ山ほど残っていた。


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