その時に備えて
気付けば二週間が過ぎていた。
聖女としての日々にも少しずつ慣れ始めていた頃だったが、訓練に明け暮れる日々でもあった。
朝は研究院へ向かい、結界術や治癒術、浄化術の訓練を行う。
夕方に城へ戻れば、その日の反省と復習を行い、気付けば一日が終わっている。
召喚されたばかりの頃は、明日が来ることすら憂鬱だったというのに、今では次々と過ぎていく日々に振り回されるばかりだった。
もちろん、訓練の内容が変わらなかったわけではない。
最近は実戦を想定した訓練が増えていった。
聖女は一人では戦えない。だからこそ、護衛との連携が必要になる。
アルフレッドはそう説明した。
◇◇◇
「浄化開始」
訓練場に声が響く。栞は目の前の瘴気石へ意識を集中させた。
同時に周囲では騎士たちが配置についている。
浄化術の発動には集中が必要だ。その間、敵から身を守るのは護衛の役目となる。
実戦を想定した訓練だった。
「前方より接敵!」
号令とともに騎士たちが動く。
木剣がぶつかる音が訓練場に響き渡った。もちろん実際の魔獣ではないが実戦を想定した訓練だった。
王都周辺にも低階位の魔獣は出没する。瘴気が濃い地域であればなおさらだ。
浄化中の聖女は無防備になる。だからこそ護衛との連携は欠かせなかった。
当初は簡単なことではなかった。
誰がどこを守るのか、危険が迫った時はどこへ退避するのか、結界を展開する位置は適切か。
一つ一つ覚えなければならなかった。訓練のたびに失敗した。
「聖女様、後退してください!」
「どっちへですか!?」
「左です!」
「私から見てですか!?」
混乱した結果、逆方向へ走ったこともある。
護衛の騎士たちに苦笑された時は恥ずかしかったが誰一人として馬鹿にはしなかった。
聖女が未熟なのは当然だと分かっているからだろう。
何度間違えても、彼らは辛抱強く教えてくれた。
そして、その訓練の中心には常にアシュレイがいた。
王子でありながら、実戦訓練にも当然のように参加している。
最初は不思議だった。王子ならば後方で指揮を執るだけでも良いはずだ。
しかしアシュレイは違った。
誰よりも前へ出て、誰よりも早く危険へ反応し、必要なら自ら剣を取る。
護衛騎士たちも彼の指示に迷いなく従っていた。
彼は王子である前に、一人の指揮官なのだと、訓練を重ねるうちに栞も理解した。
「結界」
短い声が飛ぶ。栞は反射的に魔力を動かした。半透明の結界が展開される。
ほぼ同時に騎士の木剣が叩きつけられた。
乾いた音が響く。結界は揺れたが崩れない。
「よし」
アシュレイが短く言った。
たった一言だったが、それだけで十分だった。
最初の頃なら失敗しか指摘されなかったからだ。
少しは認められたのかもしれない。そう思うと、自然と頬が緩んだ。
休憩時間、腰を下ろした栞の前に、無言で革袋の水が差し出された。
顔を上げるとアシュレイだった。
「あ、ありがとうございます」
「飲め」
それだけ言うと、さっさと戻っていく。
相変わらず愛想はないが、それが彼なりの気遣いなのだということは、もう何となく分かっていた。
◇◇◇
そんな日々が続いたある日。
研究院へ到着した栞を待っていたのはアルフレッドだった。
研究員たちの様子もどこかいつもと違い、妙な緊張感が漂っている。
「何かあったんですか?」
栞が尋ねると、アルフレッドは満足そうに頷いた。
「そろそろ実地訓練へ移りましょう」
「実地訓練?」
「ええ」
アルフレッドは地図を広げる。
「王都近郊の瘴気汚染地域です」
栞は地図へ目を落とした。王都からそれほど遠くない場所だった。
「もちろん瘴気核ではありません」
アルフレッドが続ける。
「ですが、実際に瘴気の被害を受けている土地です」
訓練ではない。本物だ。
「出発は三日後です」
長いようで短い。準備を整えるには十分だが、不安を忘れるには足りない時間だった。
王城へ戻る途中、栞は隣を歩くアシュレイへ視線を向けた。
「緊張します」
正直な気持ちだった。今までは何度失敗してもやり直せたが次は違う。
実際に被害を受けている土地があり、自分の失敗が誰かの迷惑になるかもしれない。
アシュレイはしばらく黙っていたが、静かに口を開く。
「問題ない」
「そう思いますか?」
アシュレイは前を見たまま答える。
「お前の訓練は見てきた」
それだけだったけれど、その言葉には不思議な重みがあった。
訓練中の失敗も、成功も、全部見ていた。その上で大丈夫だと言っているのだ。
栞は小さく笑った。
「期待を裏切らないように頑張ります」
そう言うと、アシュレイはわずかに口元を緩めたように見えた。
三日後、栞は初めて王都の外へ出ることになる。




