浄化術
翌朝、昨日ほどではないが、体は少し重かった。
治癒術の訓練で魔力を使い続けたせいだろう。
朝食を終え、研究院へ向かう。今日は何をするのだろう。
そんなことを考えながら建物へ入ると、アルフレッドが待っていた。
「本日は浄化術ですな」
栞は思わず背筋を伸ばした。
浄化術。聖女にしか使えない力。そして、自分がこの世界へ呼ばれた理由。
「いよいよですね」
アルフレッドは頷いた。
案内されたのはいつもの訓練場だった。
中央の机には拳ほどの大きさの黒い石が置かれている。
見た瞬間、栞は眉をひそめた。
「何だか嫌な感じがします」
アルフレッドが頷く。
「瘴気石です」
栞は思わず一歩下がった。
黒い石を見ているだけなのに落ち着かない。胸の奥がざわざわする。できるなら近付きたくない。
「瘴気を封じ込めた石です」
アルフレッドが説明する。
「もちろん本物の瘴気核とは比較になりませんが、基礎訓練には十分でしょう」
「まず一つ聞かせてください」
アルフレッドが言う。
「浄化とは何だと思われますかな」
「え?」
突然の質問だった。
「消すこと、とか?」
「そのように考える方は多いですな」
アルフレッドは頷く。
「しかし歴代聖女様の記録では少々違います」
「違うんですか?」
「浄化とは、本来あるべき姿へ戻すこと」
本来あるべき姿。少し難しかった。
「例えば濁った水があるとします」
アルフレッドは続ける。
「浄化とは水そのものを消すことではありません」
「綺麗な水に戻す?」
「その通りですな」
何となく理解できた。浄水器みたいなものか。
◇◇◇
「ではやってみましょう」
栞は瘴気石を見つめた。
黒い。汚れてるような感覚だった。
本来あるべき姿へ戻すなら、綺麗になればいいのだろう。
胸の奥の魔力をゆっくり必要な分だけ動かす。昨日ライナーに教わった通り、水路を作るように。
そう意識しながら石へ魔力を流した。
「こうですか?」
淡い光が石を包む。
次の瞬間、眩い光が弾けた。
「うわっ!?」
「目を閉じてください!」
数秒後、光が収まった。
机の上を見ると、黒かった石は消えていた。
代わりに置かれていたのは、透き通るような白い石だった。
まるで宝石みたいに輝いている。
「成功ですか?」
栞が恐る恐る尋ねる。
アルフレッドは白い石を手に取り、角度を変えながらしばらく観察し、驚いたように目を見開く。
「成功です」
「まさか初回で完全浄化とは……」
「どういうことですか?」
「少なくとも私が読んだ記録の中にはありませんな」
その後も訓練は続いた。
弱すぎる。強すぎる。浄化しきれない。逆に一瞬で終わる。
思った通りにならない。結界ほどではないが、やはり制御が難しい。
「先ほどと同じ感覚なのですが難しいですね」
「ですが適性そのものは極めて高いのでしょう」
アルフレッドは白い石を眺める。
「問題はやはり制御ですな」
結局そこだった。加減が難しい。現在の課題は変わらないらしい。
昼食後、アルフレッドが言った。
「せっかくですから、少し見ていただきたいものがあります」
「見てほしいもの?」
「歴代聖女様の記録です」
◇◇◇
案内されたのは研究院の地下。石造りの階段を下りていく。しばらく進むと大きな扉が現れる。
重厚な木製の扉だった。
アルフレッドが開く。
その先を見て、栞は思わず息を呑んだ。
「わぁ……」
本棚だらけだった。天井近くまで届く巨大な書架が何列も並んでいる。その全てに本が収められていた。
「すごい……」
アルフレッドが言う。
「浄化術や聖結界術については、ここにある歴代聖女様の記録が最も重要な資料になります」
「研究院の人たちは、これを研究していたんですか?」
「ええ」
アルフレッドは頷いた。
「我々は浄化も聖結界も使えませんので」
だから記録に頼るしかない。
アルフレッドから一冊の本を受け取り、開いてみる。
「あれ?」
当然読めないと思っていたが、読める。
栞はページをめくる。
『本日の訓練は最悪でした』
『また結界が暴走しました』
『先生が頭を抱えています』
思わず吹き出した。
「何だか親近感がありますね」
遠い昔の聖女でも、訓練は苦労したらしい。
何冊か眺めていた時だった。あることに気付く。
「アルフレッドさん」
「何ですかな」
「帰還の儀についての記録ってないんですか?」
アルフレッドが少し目を細めた。
「気になりますか」
「気になりますよ」
栞は即答した。
「だって私、それが一番の目的ですし」
アルフレッドは苦笑する。
「確かにそうですな」
「国王陛下は帰還させるって言っていましたし」
「ええ」
だから疑っているわけではないが、ただ知りたいのだ。どうやって帰るのかを。
「帰還の儀そのものは王家の管理です」
「研究院じゃないんですか?」
少し意外だった。アルフレッドなら何でも知っている気がしていたからだ。
「ですが」
彼は続けた。
「歴代聖女様が帰還されたという記録自体は残っています」
栞は小さく息を吐いた。
「なら良かったです」
「信じておられなかった?」
「信じていますよ」
栞は首を振る。
「でも、実際に記録があるって聞くと安心します」
守の顔を思い出す。帰るために頑張っている。だからこの確認は大事だった。
◇◇◇
書庫を出る頃には夕方になっていた。
今日の成果は大きい。加減はまだ難しいが、浄化術は成功した。
そして、帰還した聖女の記録も存在する。
なら、前へ進むだけだ。




