治癒術の訓練
前夜は泥のように眠った。気付けば朝だった。
「聖女様、お時間です」
クラリスの声で目が覚めた。
栞は布団の中で小さく唸る。
「全身がだるいです……」
クラリスが少し困った顔をした。
初めて魔法を使ったからだろうか。栞にもよく分からない。
ただ身体がだるかった。
「本日も訓練です」
現実は厳しい。
◇◇◇
朝食後は再び研究院へ向かう。
昨日と同じ訓練場だと思っていたのだが、今日は研究院の建物内へ通された。
応接室のような部屋にはアルフレッドの他に、四十代半ばくらいの男性がいた。
柔らかそうな茶色の髪に、神官のような白いローブを身に着けている。
アルフレッドが言った。
「王都神殿所属の高位治癒師、ライナーです」
男性が穏やかに頭を下げた。
「初めまして、聖女様」
「初めまして」
「本日の治癒術訓練を担当いたします」
栞は思わずアルフレッドを見る。
「今日はアルフレッドさんじゃないんですね」
「専門は専門家に任せるべきですからな」
なるほど。確かにその方が効率は良さそうだった。
◇◇◇
訓練場へ移動すると、ライナーが説明を始めた。
「治癒術は怪我や病を癒やす魔法です」
「はい」
「ただし、いきなり人間へ使うことはしません」
それを聞いて少し安心した。昨日の結界を思い出す。もし治癒術まで暴走したら怖い。
「まずはこちらを使います」
ライナーが持ち上げたのは小さな樹木の枝だった。
中央に刃物で切れ込みが入っている。
「傷付いた植物です」
「植物でも治療できるんですか?」
「生命力の回復という意味では同じです」
なるほど。まず練習用ということらしい。
「基本は昨日と同じです」
枝を栞に渡し、ライナーが続ける。
「イメージが重要になります」
「傷が塞がる様子を想像してください」
「分かりました」
栞は枝を見つめた。
切り傷。治る。回復。
ゲームの回復魔法のようなものだろうか。いや、違う。
もっと自然な感じ。傷付いた組織が元に戻る。再生していくようなイメージで。
胸の奥の魔力を動かす。手へ集めて、枝へ流す。
淡い光が枝を包み込んだ。
次の瞬間。
「あれ?」
枝から新芽が生えていた。
一つではない。二つでもない。何本もだ。しかも勢い良く成長している。
ライナーが額を押さえた。
「治りました」
「良かった」
「治療というより成長です」
何となくそんな気はしていた。
◇◇◇
その後も失敗が続いた。
葉が増える。茎が伸びる。花まで咲く。
「私は治療しているんですよね?」
「そうですね...」
ライナーが言う。
「植物栽培ではありませんよね?」
「残念ながら違います」
栞は遠い目をした。
◇◇◇
昼食後は、ついに人への治癒へ進むことになった。
「本当に大丈夫ですか?」
「軽傷ですので」
ライナーが答える。
協力してくれるのは騎士団の若い騎士だった。訓練中に転んで両ひざを怪我したらしい。
「よろしくお願いします、聖女様」
「こちらこそ」
何だか緊張する。人相手だ。枝とは違う。もし失敗したらどうしよう。
栞は慎重に魔力を流した。
傷を治す。塞ぐ。元に戻す。それだけを考える。
光が溢れた。傷が綺麗に消える。
「あ」
騎士が目を瞬いた。
「治りました!」
栞は思わず声を上げた。
だが、周囲の様子が少しおかしい。
「どうかしましたか?」
騎士がその場で軽く飛び跳ねる。
「いえ……」
「何か問題が?」
「問題というか」
もう一度飛ぶ。今度は妙に高く跳んだ。
騎士自身が驚いている。
少し離れた場所まで駆けて戻ってくる。
「身体が軽いです」
ライナーがため息を吐いた。
「何ですか?」
「余剰魔力が身体の活性化まで起こしています」
「つまり?」
「身体強化までしています」
またやり過ぎた。
◇◇◇
休憩時間に栞は訓練場の隅に座り込んでいた。
「難しいなぁ,,,」
思わず呟く。
できないわけではないが、思った通りにもならない。
「何で普通にできないんだろう...」
隣から声がした。
「できてはいる」
アシュレイだった。いつの間に来たのだろう。
「そうですか?」
「加減ができないだけだ」
「それが一番困るんです」
栞は肩を落とした。
アシュレイは少しだけ黙る。
「昨日よりはいい」
「本当ですか?」
「少なくとも訓練場全体は治していない」
失礼だった。
◇◇◇
午後の訓練。ライナーは新しい説明を始めた。
「聖女様は力を抑えようとしすぎています」
「そうなんですか?」
ライナーは地面に線を引いた。
「大河を想像してください」
「川ですか」
頷く。
「川そのものを止めることは難しい」
「ですが、水路を作ることはできます」
栞は少し考えた。つまり、魔力を無理に押さえ込むのではなく、必要な分だけ流すということだろうか。
「やってみます」
最後の練習に協力してくれる騎士の手には擦り傷がある。
小さな傷だった。丁度いい。
栞は集中した。
傷を見る。回復を想像する。必要な分だけ、魔力を流す。
淡い光。
数秒後。
傷が綺麗に消えた。余計な光はない。
「どうですか?身体の方は何か変化ありますか?」
「手の傷が良くなった以外は特に変化はないと思います」
ライナーが頷いた。
「今のです」
「え?」
「必要な量だけ流せていました」
栞は消えた傷を見つめる。
「できた……?」
思わず声が漏れる。魔力の流し方が掴めた気がした。
◇◇◇
帰り道。夕日が王都を赤く染めていた。
栞はアシュレイの隣を歩く。
「今日はどうだった」
「結界よりは向いてるかもしれません」
そう答えると、
「まだ一日だ」
「それもそうですね」
栞は笑う。失敗も多いが昨日よりは少しだけ進めた気がする。
帰るために、その一歩を積み重ねていくしかない。
栞は夕焼け空を見上げながら、静かに拳を握った。
守のもとへ帰るために。
うん、明日も頑張ろう。そう思えた。




