聖女の訓練
「では訓練を始めましょう」
アルフレッドの言葉に、栞は思わず目を瞬いた。
「今からですか?」
「今からです」
研究院の建物を出て案内されたのは、裏手にある広大な訓練場だった。
高い石壁に囲まれた円形の空間。
地面には複雑な紋様が描かれ、ところどころに魔法陣が刻まれている。
「訓練場ですな」
アルフレッドが説明した。
「魔法の実験や訓練に使用されます」
栞は周囲を見回した。学校のグラウンドより大きいかもしれない。
「研究室じゃないんですね」
「先ほどの水晶をご覧になったでしょう」
アルフレッドは真顔で言う。
「正直、室内は危険です」
研究員たちも揃って頷いた。
信用がないらしい。
ほんの少し前、巨大な水晶を真っ二つにしてしまったばかりだ。
反論はできなかった。
「ところで」
栞はふと疑問を思い出した。
「訓練ってアルフレッドさんが全部教えるんですか?」
「本来なら違います」
アルフレッドは頷く。
「魔力操作なら魔導士、治癒術なら治癒師、それぞれ専門家がおります」
「じゃあ結界は?」
「聖結界は聖女固有の力です」
栞は首を傾げた。
「使えないのに教えられるんですか?」
「理論は分かっていますので」
さらりと言われた。
「実際には使えないんですよね?」
「使えませんな」
アルフレッドは頷く。
「ですが、歴代聖女様の記録は残されています」
「記録?」
「ええ。発動条件、消費魔力、効果範囲、術式構造。過去数百年に渡って研究されてきました」
つまり。使ったことはないが研究はしている、ということらしい。
「それで教えられるんですか?」
「学問とはそういうものです」
妙に説得力があった。
「浄化もですか?」
「同じですな」
アルフレッドは頷く。
「浄化も聖女しか扱えません。しかし研究は続けられております」
「すごいですね」
「聖女がいない時代もありましたので」
その一言に栞は少し驚いた。
聖女がいなくても、人々は諦めず研究を続けてきたらしい。
「じゃあ召喚された人なら誰でも聖女なんですか?」
何気なく聞いた言葉だった。
だがアルフレッドは首を横に振る。
「いいえ」
「違うんですか?」
「聖女召喚は無作為ではありません」
栞は目を瞬いた。
「ランダムじゃない?」
「召喚陣は適性を持つ魂を探し出します」
「適性……」
「ええ。聖女の力を扱うための適性ですな」
栞は少し黙った。
「じゃあ私にはその適性があったんですか」
「そのはずです」
アルフレッドは頷く。
「もっとも、なぜ安藤栞様が選ばれたのかまでは我々にも分かりません」
正直よく分からない。だが少なくとも完全な偶然ではないらしい。
「ただし」
アルフレッドは続けた。
「少なくとも魔力量は間違いなく規格外ですな」
「嫌な予感しかしないんですけど」
「私もしております」
研究員たちまで頷いていた。
解せぬ。
◇◇◇
「その前に、本日から何を学ぶのか説明しておきましょう」
アルフレッドが訓練場の中央で手を叩いた。
「聖女様に習得していただくのは大きく三つです」
「三つ?」
「聖結界術、治癒術、浄化術」
「最終目標は各地の瘴気核を浄化することです」
アルフレッドは続ける。
「ですが、そのためにはまず生き残らなければなりません」
「だから結界ですか」
「その通りですな」
栞は頷く。
確かに城の中ならともかく、旅に出れば危険もあるだろう。
「聖結界は浄化と並ぶ聖女固有の力です」
「へえ」
「まずは身を守るために習得していただきます」
アルフレッドは続けた。
「治癒術は怪我への備えです」
「なるほど」
「そして浄化術」
アルフレッドの表情が少し真剣になる。
「これが瘴気を消し去る力です」
「一番大事そうですね」
「一番大事です」
迷いのない声だった。
「ですが、土台もなしに習得はできません」
「土台?」
「魔力感知と魔力制御です」
アルフレッドは栞を見る。
「本日の目的はそこですな」
◇◇◇
「まずは魔力感知です」
アルフレッドとともに訓練場の中央へ移動する。
「目を閉じてください」
言われた通り従う。
「呼吸を整えます」
ゆっくり息を吸う。吐く。
「そして体の内側を意識してください」
正直、よく分からない。
だが何となく心当たりはあった。
昔読んだ小説。漫画。ゲーム。
魔力というものは大抵、体の中を流れる力として描かれていた。
なら。胸の奥に光があるような感じだろうか。
そんな風に想像してみる。
すると。
「あれ?」
温かな何かを感じた。胸の奥。
小さな光のようなものが脈打っている。
それが全身へ流れていた。
「感じましたか?」
アルフレッドが尋ねる。
「何かあります」
「魔法で最も重要なのはイメージです」
アルフレッドが言った。
「あなたは魔法を知らなくても、想像することには慣れているのでしょう」
たぶん漫画のおかげだと思った。
◇◇◇
次は魔力を動かす訓練だった。
「今度は魔力を指先へ流してみてください」
栞は再び魔力を意識した。
胸の奥の光。それを腕へ流す。指先へ送る。そのイメージ。
「あっ」
突然、掌がまばゆく光った。
「強すぎます!」
アルフレッドが叫ぶ。
慌てて止める。光も消えた。
「加減が分かりません」
「そこを学ぶのです」
研究員たちが苦笑する。
「ちなみに今のどれくらいなんですか?」
「蝋燭に火を点けるつもりで、かまどに突っ込んだくらいですな」
「ひどい」
先行きが不安になった。
◇◇◇
その後も訓練は続く。
光を出す。消す。出す。消す。
だが全く安定しない。出ないと思ったら急に強くなる。
弱くしようとすると消える。オンかオフしかなかった。
「普通は調整できるんですよね?」
「当然です」
アルフレッドは即答した。
「まずいですね」
「非常にまずいです」
それも即答だった。
◇◇◇
昼食を挟み、午後からは結界術になった。
「聖女の最重要技能の一つです」
アルフレッドが言う。
少し離れた場所に木製の杭が立てられる。
「まずはこれを覆う程度の結界を作ってください」
「小さめですね」
「非常に小さめです」
念押しされた。
結界。守る力。壁。盾。
そう言われると、どうしても昔見たアニメやゲームを思い出してしまう。
半透明のシールド。
仲間を守るドーム状の防御フィールド。
そんな映像が頭に浮かんだ。
「こうですか?」
光が溢れた。
次の瞬間。巨大な結界が出現した。
「なっ!?」
「広すぎる!」
研究員たちが叫ぶ。
結界は杭どころか訓練場全体を包んでいた。
半透明のドームが空高く広がる。
栞は呆然と見上げた。
「大きすぎません?」
「大きすぎます!」
アルフレッドが叫ぶ。
「杭一つです!」
「シールドを想像したら……」
「規模を縮小してください!」
その方法が分からない。
数秒後。結界が消えた。
「うっ……」
頭がくらくらする。
その場にしゃがみ込んだ。
「魔力切れですな」
アルフレッドがため息を吐く。
「出力が高すぎます」
◇◇◇
そこからが本当の訓練だった。
大きすぎる。出ない。
場所が違う。薄すぎる。消える。
暴走する。大きすぎる。消える。暴走する。
まったく安定しない。
「杭です!」
アルフレッドが叫ぶ。
「杭を守るのです!」
「守ってます!」
「訓練場ごと守っています!」
「結果的に!」
研究員たちが吹き出した。
アシュレイは腕を組んだまま見ていたが、口元が少し動いた気がした。
◇◇◇
そして夕方。
「もう一度です」
アルフレッドが言った。
栞は深呼吸する。大きなシールドはいらない。
王都も守らない。訓練場も守らない。杭だけだ。
目の前の杭だけを守る。それだけを意識する。
胸の奥の光を少しだけ動かす。
本当に少しだけ。
光が集まる。形になる。そして。
半透明の結界が杭を包み込んだ。
直径二メートルほど。今までで一番小さい。
十秒。二十秒。三十秒。消えない。
訓練場に歓声が上がった。
「成功ですな!」
アルフレッドが笑う。
研究員たちも拍手した。
栞はその場にへたり込んだ。
「疲れた……」
「一日目としては十分です」
◇◇◇
訓練場を後にし、栞はアシュレイと並んで城への道を歩いた。
夕暮れの空は赤く染まっている。
「どうだった」
アシュレイが聞く。
「難しかったです」
「そうか」
栞は小さく笑った。
「でも」
「何だ」
「帰れる可能性があるなら頑張れそうです」
アシュレイはしばらく黙っていた。
やがて小さく頷く。
「そうか」
その一言は、なぜだか少しだけ優しく聞こえた。
まだ何もできない。魔力も結界も全然思い通りにならない。
それでも。
帰るための第一歩くらいは踏み出せた気がした。




