次なる一歩
倒れてから十日ほどが過ぎていた。
五日間眠り続けた後も、すぐに訓練へ復帰できたわけではない。
体力を戻しながら、少しずつ以前の日常を取り戻していく。
研究院へ通い、訓練を受け、王城へ戻る。
その繰り返しだった。もっとも、訓練内容は以前とは違っていた。
実地訓練で見つかった課題。
対象を限定すること。
それが新たな訓練の中心となった。
浄化する範囲を明確に定め、不要な場所へ力を流さない。
治癒も結界も同じだった。簡単そうに聞こえるが、実際は容易ではない。
何度も失敗した。それでも訓練を重ねるうちに、少しずつ成果は現れ始めていた。
護衛との連携訓練も続けられた。実地訓練で倒れたあの日、栞は自分のことしか見えていなかった。
だから今度は違う。周囲を見て、護衛の位置を把握する。指示を聞き、状況を判断する。
そうした訓練が繰り返された。
気付けば、以前のように慌てることも少なくなっていた。
アシュレイの指示にも自然と反応できる。
騎士たちの動きも以前より理解できるようになっていた。
訓練の成果が少しずつ形になっているのを、栞自身も感じていた。
◇◇◇
ある日の訓練後、木陰で休憩していると、アシュレイが近付いてきた。
「体調はどうだ」
相変わらず前置きのない質問だった。
「問題ありません」
「隠すなよ」
栞は思わず苦笑する。
「そこまで信用ないんですか」
「五日寝込んだ前科がある」
返す言葉もなかった。アシュレイはそれ以上何も言わないけれど、倒れたことを気にしているのだと、今なら分かる。
「次は倒れません」
「それならいい」
短いやり取りだったが、その短いやり取りが以前より心地良く感じられた。
◇◇◇
そんな日々が続いたある日、訓練を終えた栞は研究院の会議室へ呼ばれた。
部屋へ入ると、すでにアシュレイとアルフレッドが待っている。
机の上には大きな地図が広げられていた。
「何かあったんですか?」
栞が尋ねると、アルフレッドは満足そうに頷いた。
「ええ」
老人は地図の一点を指差した。
「まずは訓練の件ですな」
栞は思わず身構える。
しかし返ってきた言葉は予想外だった。
「ひとまず合格です」
「本当ですか?」
「完璧ではありませんが、次へ進むには十分でしょう」
胸の奥が少しだけ軽くなる。
アルフレッドは改めて地図へ視線を落とした。
「それでは本題です。こちらをご覧ください」
指し示された場所は王都から離れた地域だった。
実地訓練で訪れた村よりもさらに遠い。
「ここに何があるんですか?」
栞が尋ねる。
アルフレッドは静かに答えた。
「瘴気核です」
その言葉に、栞は思わず息を呑んだ。
ついに来た。
帰還の条件。聖女としての本来の役目。
何度も聞いてきた存在が、ようやく現実として目の前に現れた。
アルフレッドは地図を示し、説明を続けた。
「瘴気核は王国各地に存在します。
北部、東部、西部、南部。それぞれ大規模な瘴気核が確認されております」
その後、王都近郊を指差す。
「ですが、最初からそちらへ向かうわけではありません」
「違うんですか?」
「まずはこの小規模な瘴気核ですな」
王都から比較的近い場所だった。
「初めての遠征には丁度良いでしょう」
「瘴気汚染と何が違うんですか?」
栞は率直な疑問を口にした。
村で見た汚染地域との違いがよく分からなかった。
アルフレッドは頷く。
「これまで見てきたものは結果です」
「結果?」
「ええ。瘴気によって土地や森が侵された状態ですな」
老人は地図を指先でなぞる。
「ですが瘴気核は原因です」
栞は黙って続きを待った。
「周辺へ瘴気を放出し続ける源」
その説明は分かりやすかった。
「つまり、核がある限り汚染は続くということですか」
「その通りです」
アルフレッドが満足そうに頷く。
「一時的に土地を浄化しても、根本原因が残っていればいずれ再び侵されます」
だから瘴気核を浄化する必要がある。
「大きいんですか?」
「大小様々ですな」
アルフレッドは答える。
「今回向かうものは比較的小規模な瘴気核です」
アルフレッドは続けた。
「しかし油断は禁物ですな。周辺には魔獣も出没しております」
栞は地図へ目を落とした。
実地訓練とは違う。本当の意味での第一歩になる。
その事実が自然と胸を引き締めた。
「出発は五日後です」
アルフレッドが告げる。
「それまでは遠征準備に入ります」
会議はそこで終わった。
栞は席を立たず、しばらく地図を見つめていた。
その横でアシュレイが静かに口を開く。
「準備はできている」
短い言葉だった。
栞は顔を上げる。
「お前も」
アシュレイの視線が向く。
「俺たちもだ」
それだけ言って部屋を出て行く。
いつも通りの無愛想な言い方だったが、心強かった。
部屋に一人残された栞は、改めて地図へ目を向けた。
ついこの前まで、実地訓練だけで精一杯だった。
だが今は違う。
課題は見つかった。そして、それを乗り越えるための訓練も重ねてきた。
まだ未熟なのは変わらない。
それでも前へ進んでいる。
栞はそっと拳を握った。
◇◇◇
五日後。遠征隊はすでに王都を離れていた。
街道の両脇には秋の草原が広がっている。
馬車の窓から外を眺めながら、栞は小さく息を吐いた。
実地訓練の日について考える。あの時は何もかも初めてだったが今は違う。
自分の課題も知っている。失敗の痛みも知っている。
そして、それを乗り越えるための訓練も重ねてきた。
「何を考えている」
向かいに座るアシュレイが尋ねる。
「少し前のことです」
栞が答えると、アシュレイはそれ以上聞かなかった。
馬車は街道を進んでいく。
目的地は最初の瘴気核。
栞は窓の外へ目を向ける。王都はすでに見えなくなっていた。
次なる一歩は、もう始まっている。




