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不器用な辺境伯一家に拾われた7歳の幼女。無自覚な精霊魔法で家族を癒やしたら、絶対に手放さないと溺愛されました  作者: 藤宮かすみ


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第8話「冷たい気配を運ぶ風とゆれる波紋」

 先日、都から視察と称してやってきた高慢な神官の一派が、北の厳しい冬に恐れをなして逃げ帰った。

 それから数日が過ぎ、屋敷の玄関はそれなりの活気をもう一度取り戻していた。

 だが、それもつかの間の出来事であった。

 普段は風雪をはねのけるための強固な防衛だけにあてられるはずの辺境の平原の一角に、あきらかな温度を伴わない真っ黒なもやが昼日中にもかかわらず地をはしるような違和感を備えはじめている。

 外にあてがわれた監視の高やぐらから息をせききらすようにして屋敷のもっとも重厚な扉を打ち開いて駆け込んできた甲冑の歩兵のもたらした第一声は、館内の空気をひとめで凍らせる強い剣呑さを帯びてみせた。


「北側、第二の区間において森の封じ帯にいくつかのほころびが拡大。魔獣、それも上位のものらしき群生を五から六は目視。一直線に放置すればこの区画までまっすぐ向かって参りますぞ」


 報告のあせりを含んだ声は吹きすさぶ外気の冷たさよりも冷酷な針となってリリアの耳を刺しつらぬいた。

 やはり数日前に風の精霊が恐ろしさとともにはきだしていった予知のざわめきはその冷たくて黒い嫌われ者の到達となってこの場所へ至ろうとしているのであろうことを確定させるのであった。

 都の権力者たちが強引に自らの道に踏み込んだ際の魔法の強引な痕跡により、元来から土地に宿って封印の役割を持っていた微細な均衡がわずかにゆがめられてしまったことで長年地下の森深くですすり泣いていた魔が大きなほころびを得て雪の面へと出てしまえたことを意味している。


「出陣の布告だ。前衛をとにかく張れるものを呼び集め、民の被害が出ぬうちに我等ですべて狩りとるのほかあるまいよ」


 怒鳴るのではなく静かにより鋭い静謐の青色を沈めてその判断を告げたヴォルフガングの声が広間の中央に落ちると同時に、屋敷で働いていた周囲のもの全員の足裏がバネ仕立てのように一斉の慌ただしさではねあがり準備の足音をたてはじめる。

 分厚い皮製の装甲服をまたたく間に羽織り直している男のすぐ後ろでは、まだたかだか十歳ほどのルカが細いながらも木ではない硬い金属のこすれる長剣を備えようと腰当てにつかみかかったところであり、レオのほうもしずかに短い短刀のいくつかを黒い上着の内側のおさめに入念さをそそぎ入めているのだった。


「俺達も行くから。結界が完全にちぎり取られたわけじゃないのならあいつらを穴の一つ先で押しのけるだけなら十分役に立つだろうさ」


 強い声をおしひろげる長兄の退路なき言葉に対して、いつもは安全の釘を刺すレオですらその視線を屋敷内の防衛から遠方への同行の意思に固めて小さくうなずいているのみである。

 彼らの血肉は辺境の北の風雪というもっとも過酷でのたうちまわる魔力と戦うために鍛え抜かれているものであり、どれだけ優しくて甘い兄であってさえ戦いの時には決してうしろの守りに縮こまってはいられない役目のもとの生であることがありありと明示された。

 リリアは二階の奥にある少し見晴らしだけがきく太い柱の下部へとしがみつくようにかくれたまま、階下でくりあがる甲冑たちのおそろしい金属音の重なりにただ恐慌のままの立ちすくみを手放せずにいる。


「留守を頼む。何に代えてもこの城壁の分厚い奥の壁の外には出すんじゃない」


 ヴォルフガングはそばで祈るように指先を手元に寄せ合わすエレノアの長く美しい髪を無骨にあわただしく触れるとそのまま扉の方へ振り返らずに歩をのばしていく。

 階下へ視線を下げていたリリアと男の深く暗い青い瞳がただの一筋だけ交差をしたとき、その目に込められたのは戦の前にある興奮の狂気ではなく、『どんなにおそろしくとも必ず俺がここに防波堤をもたらしながら帰る』という無言に近い大きな愛の決断であった。


 馬のいななきが建物の四方で鳴り響き、足踏みの厚い音の連続が雪をすっかり切り開いて一直線の平野のかなたへ吸い込まれてしまうまでどれほどの刻の経過があったのだろうか。

 リリアはいつのまにか自分の唇の厚みを小さな二本の歯でもって深く傷にしないまま押し込んで噛んだまま壁に身を押し当てている。

 先ほどまで自分の部屋を優しくつつんでいた温かい空気というものがまるで意味をなさないほどに、胸の深い場所の鼓動がとてつもない嫌な冷汗をしぼり出していたのを肌で知っている。

 彼女の中をいま駆け巡っていたのは、孤児院の薄暗がりで一人見捨てられてしまった過去という古傷にからんでのものではないことであるのがより彼女を強烈に苦しませる要因であった。

 あの強く頼もしく彼女を絶対に見捨てようとしない優しさに満ちた家族の男たちが、自分という存在を生かし温める場所を作るために魔の群れによって真っ白に冷やされて砕かれて行ってしまうのではないかという恐怖に対する明確なおびえであったのだ。

 おびただしい数の精霊の粒子が恐怖にすがるようにして部屋に押し寄せるものの、いつのまにかリリアだけは指の先の冷気が熱を帯びはじめ自分の背中の後ろにある冷たい壁ではなくはるかに遠のくその厚い軍人達の歩みの行方だけに意識がおのずから突き刺さっていくのであるのを感じる。


『いなくならないで、おいていかないで』


 その喉の奥で音になる前のあたたかい切実さが体を少しだけ前に倒れ込ませるだけの勇気を押し出そうとしてしまっていくのだった。

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