第5話「氷の庭に咲き誇る見知らぬ季節」
肺の底まで凍らせてしまうのではないかというほど、外の空気は刃のような鋭さを残して吹いている。
屋敷の重厚な裏扉が開き払われた奥には、どこまでも白い絨毯を敷き詰めた上に氷の粒を散りばめたような北の過酷な冬の顔があけすけに広がっていた。
厚くて滑りのよい革で底を強化された靴の中で、リリアは念の入れようとばかりにさらに一枚追加されたもこもことふくらむ足袋の触感に小さく足の指を曲げ伸ばしてみる。
自分が倒れ伏していたあの薄暗い森の奥ではなく、ここは丁寧に刈り込まれていた名残のある植栽が等間隔に配置される見晴らしの良い広大な庭園の真ん中だ。
冷たい風が頬をかすめるたびに彼女の顔の周りまで持ち上げられた分厚い白銀の毛皮の襟がおぼろげに揺れ動き、その寒さをすべて首元でせきとめてくれている。
「こっちだこっち! ここなら足が沈まないように踏み固めておいたからな」
十歳になる双子の兄たちのうち明るい声色を持つルカが、太陽のように屈託のない白い歯をこぼしながら少し前方を陣取るようにはしゃいで飛び跳ねる。
リリアが初めて外の空気を吸いに出るという一大行事を聞きつけ、真っ先に彼女の手を引いて案内を申し出たのもこの元気がありあまる長兄であった。
彼が真新しく深い雪の面を革の長靴で大胆に割り崩しながら小道を作ると、その細かく砕かれた氷の破片たちが冬の冷たい太陽の光を反射してきらきらと宙で躍りながら地上へ還っていく。
その真横では、もう一人の兄であるレオが寒さに静かに耐えるように防寒の長い襟巻きへ口元をすっぽりと隠したままで、何かあったら瞬時に飛びつけるように慎重すぎるほどの抜き足で彼女の並行位置を歩き続けている。
「だからうるさいと何度言えばわかるのですか、兄上。彼女が驚いてしまったらどうする気も――あっ、あそこの根が張っている出っ張りには気をつけて」
レオはぶつぶつと文句を言いながら、眉間に小さくしわを寄せている。
それでも彼の鋭い藍色の瞳は、リリアがこれから足をおろす半歩先の地面に対し、絶え間なく安全確認を行っていた。
リリアは冷気にさらされた自分の小さな鼻先がいそぎ早に赤い色を帯びていく感覚を覚えながら、前を歩く広い背中と横から放たれる熱心すぎる気遣いを少しだけくすぐったいようにその目尻を受け入れる。
周囲にあったのは凍てつくような孤独な空気ではなく、どれほど深く息を吸い込んでもすぐ横で守ってくれている誰かの命の鼓動が熱を持って返ってくる安心の庭そのものであった。
だが冬の精気は冷酷に地面の土の一切を奪い去り、岩のように硬く変容させた表面には一切の命の色を見出すことができないような風景が長く続いているのもまた事実である。
彼女のかさ高い防寒の靴の裏に伝わる大地は、もはや本来土が持っているはずのやわらかでふくよかで豊かなあたたかい反発の感触すら失われた凍結の連続だ。
リリアは二人の兄のあいだを進みながら、植え込みの土台があったと思われる石組みのそばで立ち止まると、ふかふかと着込んだ体をぎこちなく二つ折りにしてしゃがみ込んだ。
小さな手がやがて薄い雪の膜の下に潜り込み、冷気で張りついた濃茶色の凍土の塊のうえに無造作に指の腹を触れ合わせる。
『つめたい』
胸の中にゆっくりした音として生まれたのは、寒さではなくこれまで土の中に隠れていたはずの何か小さな命たちに対する純粋な共感の哀れみによるため息だったのかもしれない。
彼女が手首を少しだけおしつけその温もりを土へ伝えたその瞬間、厚い毛皮の袖口の周りから先触れのように微力な薄緑色の光の粒子がはらりとひとつ解けて浮かび上がるのを彼女のまぶたは捉えた。
それはまるで地中の深部で眠らされていた大地の精霊たちのこぼれ落ちて消えそうであったあくびを、無造作にそして力ずくで地上全体へと誘い出してしまうかのような呼び合いの波へと直ちに変貌を遂げていく。
リリアの指が触れた点をひとつの円の中心にして、見事なばかりにきれいに放射された何層もの光の渦が透明な音階もないさざなみを立てて円形に大地を震わせはじめた。
足の裏にまで響く小さな振動がおこると同時に、あれほど固まっていた黒く冷たい氷土がつるんとした音とともに一気に水蒸気を吐き出し、ぽろぽろと柔らかな春の黒い土へと還っていく光景が足元の至るところで見え隠れしていく。
すぐ横で声を裏返らせたルカが後ずさりをし、レオが反射的に上着のふところへ片手を入れる動きを静止させた時だった。
彼女の手のひらから供給される、とめどなくあたたかな魔力のうねり。
それに応えるかのように、黒い土の割れ目から鮮やかな黄緑色の新芽が顔を出した。
数百、数千という途方もない数が、一斉に地上へと姿をあらわしはじめる。
その芽はいっときのためらいもなくぐんぐんと天を目指して細い茎を伸ばし、氷点下の風などまるで影響すら受けないかのように緑の葉をみずみずしく何枚も重ねて広げてみせたのだ。
次の瞬間、空気に乗ってやってきた甘く胸をつく花の蜜のようなすばらしい匂いとともに、緑の絨毯の上を埋め尽くすようにして数え切れないほどの季節外れの花々がつぼみを一気に押し開いてその可憐な顔をさらした。
群生し続ける精霊たちが花の蜜を花粉のごとくまといながら飛び回り、光の粒とともにさらに庭の雪そのものを溶かす温かな季節の外側の結界域を生み出してしまう。
深い雪の原のただ一点、三十歩四方の空間だけが突然に世界を隔絶されたかのごとき春の色彩を誇らしげに咲き乱れさせる。
「これが、君が……」
レオが足元でやさしく花を揺らすその花弁の根本を見つめたのち、信じられないものを見るような見開きの視線をリリアの方へと戻す。
兄たちの発した荒い呼吸の震えと同時に事態の深刻さに引き戻されたリリアは、自分が空中に放り出し続けてしまった手首を震えながらひき戻し、自分の行為がただの逸脱であるという事実を過去の痛みの傷痕とともに知らされるのであった。




