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不器用な辺境伯一家に拾われた7歳の幼女。無自覚な精霊魔法で家族を癒やしたら、絶対に手放さないと溺愛されました  作者: 黒崎隼人


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第4話「あたたかな衣服と不器用な手のぬくもり」

 やわらかく沈み込んで背中の形にそう羽毛布団から這い出すことが許されるまでに、さらにいくつかの穏やかな夜明けを見送る時間があった。

 窓硝子の向こうから差し込む光の束は明るさを増しており、北の地を閉ざす分厚い鉛色の雲も少しだけ背を丸めて薄さを覗かせているような午前のものである。

 ベッドの天蓋によせられた薄織りの布をわずかにすかして見れば、部屋の長い椅子のうえには幾重にも重ねられた美しい布の山が淡く日の光をはじいてまぶしいほどの彩度を散らしていた。

 静かな絨毯のうえを滑るように進んできたエレノアが、寝台のふちに柔らかい膝をあててごく自然にリリアの小さな手首をとる。


「ずいぶんと顔色がよくなりましたね。今日からは、少しだけこうして体を起こして外の空気に慣れさせていくといいわ」


 そう告げる声はやはり春風のようにまろやかで、ゆっくりと引かれる彼女の手のひらはリリアの細い体をいともたやすく起き上がらせてみせる。

 冷たい外の空気を一ミリも通さないように密閉された室内とはいえ、毛布の中から飛び出すことへの本能的な竦みを覚えたのも束の間だった。

 あらかじめ火であぶって細心の熱を持たせたふっくらとした綿布の下着が、彼女の華奢な二の腕から小刻みに震える背骨のあたりへとすっぽりと被せ落とされる。

 これまで彼女の記憶にこびりついていた布というものの肌触りは、ところどころがけばだち摩擦で真っ赤に肌を荒れさせる硬い麻の粗い袋のような感触しかなかった。

 しかし今素肌を覆いはじめたそれは、微細な織り目が空気の層をたっぷりと含んでおり、触れた端から肌の上に静かで確かな熱源を灯していくようにただ安らぎの重みだけをまとわせてくれる。

 驚きで見開かれた紫色の瞳に映ったのは、次に寝台のそばへと運ばれてきた、ひかえめながらも美しい銀色の糸がつむがれた分厚くてあたたかな羊毛の編み着であった。

 孤児院での底冷えする地下室ではいくら自分の腕をさすり重ねても生み出すことができなかった体温というものが、布を重ねるごとに体の内側から反響して指先の果てにまでゆっくりと満たされていくのを知る。


「どれが良いかしらと、いろいろと仕立てさせてごめんね。あなたにちょうどよく似合う色を選ぶだけで、一日が足りなくなってしまったの」


 エレノアはその整った顔に心底申し訳なさそうな眉間の寄りを少しだけ作りながら、それでも楽しげな眼差しを隠しきれずに幾つものドレスの色合いを確かめるように手にとっている。

 それは真っ赤な花のようにふくらんだスカートであったり、森の奥の湖を静かにすくったような深くあたたかな群青色の厚手のワンピースだったりした。

 リリアは言葉を出せずに、おろおろと視線を空中に浮かせたまま小さな両手で自分が着せかけられたばかりの真新しい布の裾をそっと握りしめて小さく指をたじろがせる。

 孤児院で着ていたものは、使い回されてボロボロになったお下がりの共有物ばかりだった。

 自分のためだけに新しい服があつらえられるなど、これまでの彼女には想像すらできないことだったからだ。

 間違えて触れてしまえば叩かれるのではないか。

 過去の恐怖がよみがえり、彼女の小さな身を震わせる。

 しかし、目の前にいる婦人の深い慈愛に満ちたまなざしに包まれると、その不安は雪にふれた火の粉のように小さく消えてなくなった。

 彼女の小さな肩があたたかな起毛の柔らかな素材に包み込まれると、エレノアの細く白い指先がきゅっきゅっと器用に襟元へ青色の細いリボンを蝶のような形に結び合わせてみせた。

 その結び目のかたちを整える指先がリリアの顎の真下をこすったとき、わずかに香る花のような気配が彼女の鼻腔にするりと入り込み、あがっていた肩の力がふっと抜けていくのを助ける。


「見てごらん。これがあなたの新しい飾りよ。どれもみんな、あなたのためのものだから」


 室内にひとつだけ備え付けられた巨大なしつらえの鏡台の前にリリアはそっと背を押されて立つ。

 なだらかな波を打つように整えられた銀色の髪の毛の間から、驚いたようなまるい目を見開いた小さな少女がこちらの様子を信じられない光景でも見るかのようにじっと見返してくる。

 薄幸な青白さに埋もれていた皮膚は見違えるほどの血色を取り戻しており、深い青色に金色の糸を少しだけ散りばめられた厚手の服の中で、確かな生気を揺らしている自分の輪郭であった。


◆ ◆ ◆


 そこへ背後の扉の金属取っ手が低く重い音を立てて回され、廊下の向こうのはるかな刺すような冷気をほんのわずかだけ道連れにして長身の男がゆっくりと足を踏み入れてくる。

 彼の太い首筋のまわりには相変わらず荒々しい獣の毛皮が巻かれていたが、リリアの姿を視界の端にとらえた瞬間に軍靴の踵を踏みしめる音がぴたりと静まり返った。

 辺境伯ヴォルフガングは、分厚い扉の枠にその広い肩幅を少しだけぶつけそうになりながら一歩だけ部屋の中央へと歩みをにじり寄らせる。

 その荒削りで傷跡の残る顔面にはまったく似つかわしくない、何かを見て困惑したように目じりを緩めきるその呆然とした表情があった。

 彼が身につけたままの皮手袋をすばやい手つきで外し、腰のあたりに無造作に押し込むと、その空になったごつごつとした骨ばった素手をなんの躊躇いもなく前方へと少しだけ浮かせてみせた。


 巨大な手が影となって彼女の顔のあたりまで降りてきた瞬間に、リリアはかつて知る罰を予行して小さなまぶたをひゅっと強く閉ざしてしまう。

 呼吸を一気に飲み込みその場で首をすくめる彼女に触れたその温度はしかし、叩きつけられる痛みの熱などでは決してなくただゆっくりと髪全体を平たく覆う静寂の布のような重みであった。

 男の巨大な剣だこの無数に張り付いた指の腹が、やわらかく新しく梳かれたばかりのリリアの髪を乱さない程度の微弱な力で後頭部へ向かってぎこちなくこすり合わせられていく。

 ごりごりとした皮膚の音が直接鼓膜へと骨をつたって聞こえ、これまでに大地の魔獣を何十体と屠ってきたであろう恐ろしい力の手であることが容易に推し量れる熱を持っていた。

 しかしその手がリリアのもつもろくて細い首の骨に向ける力の配分は、ひたすらに柔らかいものを初めて触る子供のような震えをまとった愛情そのものに等しい。

 まぶたの裏でかたく組んでいた痛みの予測がすこしずつ溶けていくのを感じ、リリアはゆっくりとその手の下で紫色の瞳をあけ直した。

 目の前で膝をついてこちらに顔までの高さを合わせた男のその顔には、どう見ても自分がうまく笑えているとは言い難いぎこちない笑顔が張りついている。

 その恐ろしくも限りなく間抜けで優しさの滲みすぎた男の努力の顔つきに触れ、リリアの小さな口角のあたりに生まれて初めてといってよい自然な安堵のさざ波のような笑みのかたちがそっと刻まれる。


『わたしのための、わたしの熱』


 言葉にはならないその実感だけを胸の奥深くに仕舞い込み、彼女は逃げることなく自らの頭をそのおおきな手のひらへとおずおずと小さく押し返し、そこであふれてくる温もりだけをじっくりと確かめるのだった。

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