番外編「冷たい森で見つけたかけがえのない炎」
◇ヴォルフガング視点
俺の両耳をとらえて離さないのは、いつも乾ききった激闘の余波だった。
人を殺める刃の音と、むせ返るような血の鉄臭さばかりが、毎日の記憶として刻まれている。
辺境と呼ばれるこの北の果ての地を長年おさめる役割というものは、冷徹な冬のはざまから沸きあがってくる終わりのない魔なる獣たちの命の略奪と常に向き合い続けて背の防壁としつづけることそのものであったからだ。
自らの手首や手のひらを見てもそこに残るは巨大な分厚い剣だこと何十と縫い合わされた皮膚の切り裂かれた跡だけであり、おおよそ平和でやわらぐような日差しのぬくもりなど自分自身のような武力を行使するためだけの器にはまったく似かわしくないのだと長年の自覚と信じ込みがあった。
あの暗く底冷えの荒れる針葉樹の森で、馬の手綱を引くことさえも疎ましいほどの冷酷な空吹きの暴落の中を一団とともに行軍していた日のことなど今にしては完全に過去へと追いやられてしまっているかもしれない。
だがあの大木の下のわずかな起伏の場所でどうしようもなく微かな白い息の細い管を空に向けて倒れ込んでいたあの小さなものを遠目に見定めた時の、俺の内臓の奥からふいに引っ繰り返されたような重く強い動悸だけは肌がそのまま残して忘れてはいない。
あれほどの深い重みを持つ冷波のただなかに生身をさらしたまま捨て置くことなどどうしてできただろう。
雪だまりの中で自ら縮こまるために両膝を固抱えてかさかさになっていた小さな命の最後の火を目にした俺は、反射的に分厚い手甲の革を外し去ってしまう以上の選択を持てなかった。
直にその背もたれへ武骨な手を触れ当てながら持ち上げてみた際に伝わってきた、折れてしまいそうなひしゃげた骨の細さにあ然と心を強打されたのだった。
薄汚れて冷えをまともにまとっていたボロ切れのような布の向こう側に、それでも必死に自分の熱をこの命の底へ留めておこうとしている切実でもどかしい微弱の反発がまだ残されているのを見た。
俺が剣を持って戦ってきたのは、このか弱いものたちがこんな場所で身を冷たくして死んでいく世界を構築するためなどであっただろうか。
否だと体の全細胞がわめきあげる音が聞こえた。
思わず身に着けていた自分を守る一切の獣の外套をとりのけ、その小さな胸の中にあるわずかな鼓動を取り戻させようと己の発するすべての体熱の深部までの密着をもって彼女をくるみあげて守ったのを強固にありありと思い返している。
そして彼女が屋敷にてあたたかい飯を一口腹に入れたときのひどい安堵の静かな瞳孔のちからのおちこみを見て。
さらにあの氷で閉ざされたばかりの前庭で見せつけられたすばらしい植物たちの芽吹きを引き寄せたあの不思議であたたかい緑の魔力の粒のかたまりを見てしまったあの日に。
親などというものにうまくもなれないような不細工極まる俺という戦の具のなかにすら、誰にももう手離すわけにはいかない本能としての圧倒的なる親のエゴの熱狂がどす黒くしかもきらびやかに根付き広がってしまったというわけなのだからだ。
中央の醜くふくれあがった俗物どもが、この娘とその力のみを欲して鼻をうごめかせてきた時。
俺の進むべき道と、心の重心は完全に定まっていた。
自分が握りしめているのは人を守ると口実をなした殺戮のための刃などではないはずなのだ。
彼女のあの柔らかな髪を一回なでるためや、傷を癒してもらった男の手の上の余韻のあたたかみのために。
娘がおびえて身をちぢませて振り返ったときにその後ろにどこまでも広く途切れのない安全の防波堤があるのだと示す盾としての分厚さとなるためにこの体が培われてきたのだと確信があったからだ。
戦地へとふたたび突出し娘から遠ざかる足を踏み出すときに見た、あの彼女の恐れに泣いた寂しそうな瞳のかたち。
いなくなっては生きていけないというほどの激しさを持ってもたらされた癒やしの力の恩恵に包まれたときの衝撃のすべて。
俺はもうかつての冷たい雪の中の獣にはもどるべくもないのである。
どれほど格好悪く不器用な表情を引きつらせようとも、あの小さな華奢に守られた娘の実の父親として全生命力の防衛をもって空につきだしていることに何の迷いもないのだと誓いを立てられたのを知りえてしまうばかりであったのだ。




