エピローグ「愛しき風景と誕生のお祝い」
冷え切った冬の足がかりがすっかりとほどけ、辺境と呼ばれるこの屋敷のまわりにもどこまでも柔らかなみずみずしい緑の土の生気が戻ってくるすばらしい季節が深まったばかりの頃合であった。
よく手入れされて広がった裏庭の中央に向けて、かつてそこで花を展開させたときに生まれた温かく清らかな力の結界のような心地の良さがあちこちに残され生命が豊かにざわめいている。
空を舞う白や黄色のはねのような精霊たちは雪のかわりではなく確かな春への祝賀の一部となって庭中のあらゆる枝花のはたのまわりではつらつとした音のない音楽を作り上げているようであったのだ。
長机は、透けるような美しい白色の絹布ですっぽりと覆われている。
その上には何色ものつややかな木の実や、新鮮なパンが並べられていた。
甘く香ばしい匂いが、辺り一面にただよっている。
それらの料理の中央に一つだけひときわ大きなどでんと控えるような幅をとってそびえたちおかれているのが、この屋敷で作られ用意される限界の大きさを持った白い柔らかな生クリームをふんだんによせきって塗りつけられた特別なしつらえで作られた巨大な手作りの菓子ケーキの重さであった。
砂糖をしぼってつくられた甘い花弁の形をしたきれいな赤い飾りが縁取る側面にほどこされており、どこからどう見ても今日というこれからの日の幸福を食べるためだけに用意された主のための造形だとわかる。
足についた緑の靴裏の柔らかな生地が草を踏むたびにきゅっきゅっと静かな土ごたえを鳴らしながら歩むたび、リリアは少しばかり顔まわりに血をのぼらせているような赤みを持ったまま自分の身の丈すべてを覆う信じられないほどの布の量に対しておずおずとした視線を上むかせてみる。
エレノアが数日徹夜に近い状態で寸法と飾りをととのえ、仕立て上げた見事なドレス。
桃色と白が幾層にも編み込まれたその布地は、リリアが歩くごとに細かな波のような起伏を作り、優しく揺れている。
まるで本から抜け出てきたどこか別の国の大切なお姫さまであるかのように手入れ仕上げた完璧なまでの美しい光景を前に、後ろをついて歩く兄二人ばかりはその口をつい半開きにしたまま言葉を奪われる始末になってさえいるのだ。
「兄上。あまりの直視はよろしくないかと」
そう牽制を入れるレオですらその藍の瞳尻はずいぶんと下にさがったきり動揺の熱を帯び、ルカは「最高だなこれ」と声ばかり少し空のむこうへ吹き抜けさせたまま顔を真っ赤にして髪を乱暴に指ですいて見せている。
大きな椅子の間に腰を下ろして待っていたはずの大男の当主などももはや座っているような器用に持ち合わず、とっくの間に立ち上がって胸もとの両手を組みほどくわすれるまますすり泣きの静かな涙を手袋にしいておしつける有様にかわっていたのであった。
「リリア。あなたがここへ来て無事私たちと歩んでくれる一日を、誕生日として今日から祝うことに決めたからね」
エレノアがとても満足の優しさからくる柔らかい目つきによってリリアの耳の横を流れる髪束の手櫛を取って言い聞かせ含める。
自分が今、どれほど深く愛され、大切にされているのか。
それを振り返ろうとしても、かつて暗い箱に閉じ込められていた頃の痛みは、もう欠片ひとつ残っていないことに気づく。
ただ胸にあるのは、あの巨大でおそろしい手のあたたかさに、おずおずと触れた初めの日の一歩だった。
ヴォルフガングが不器用に伸ばした分厚い右手が、そっと彼女の頭頂部を撫でる。
その軽い圧と振動が、出会ったあの時と同じあたたかな熱を通し、家族の絆を繋いでくれるのを感じていた。
精霊たちがはなやかに輪を作る舞へと勢いをおしだすテーブルの中央に向かってリリアの満開にあふれる小さな息の塊にのせられた純白の歯で彩られる笑いのかたちそのものが答えになることであり、
重なるあまたの誰が放ったものかもしれない「おめでとう」という柔らかな一団の風に乗せられた音だけの声たちが、この広くて青の透けた世界の北側のすべてのぬくもりのなかに優重で幸福な結末としてすべていつまでも溶かし込まれて生きていくのであるのみであった。




