第10話「吹雪を裂く小さな決意と光の導き」
一人残された広い寝室の中で、リリアはただ立ち尽くし、窓の外の白い闇を凝視していた。
エレノアが部屋を出ていってから、どれほどの時間が流れただろうか。
室内の暖炉の明かりは徐々に勢いを失い、壁に映る影が不気味に揺らめいている。
リリアの胸の中では、息苦しくなるほどの激しい動悸が鳴り響き続けていた。
彼女の小さな手のひらが、冷たい窓硝子へとそっと触れる。
指先から伝わる氷のような冷たさが、彼女の皮膚を鋭く突き刺した。
その瞬間、彼女の周囲に浮遊していた精霊たちが、悲鳴を上げるように激しく瞬き始めた。
銀色や薄緑色の光の粒子が猛烈な速度で円を描き、部屋の空気を急激に振動させていく。
精霊たちがリリアの脳裏へと直接送り込んできたのは、はるか遠くの戦場から発せられる生々しい痛みの記憶だった。
激しく飛び散る血の匂い、引き裂かれる甲冑の金属音、そして大切な家族が苦悶する荒い息遣い。
父親のヴォルフガングが猛攻に晒され、兄たちが必死に剣を振りながらも追い詰められていく情景が、明確な皮膚感覚となって彼女の全身を駆け巡る。
冷や汗がリリアの額を伝い落ち、彼女の視界は恐怖で赤く染まりかける。
『いなくならないで、おいていかないで』
喉の奥から絞り出されたその思いは、もう誰にも止められない確かな決意へと変わっていく。
彼女は自分のためにあつらえられた、あたたかな衣服の裾を強く握り締める。
汚すことを恐れていた新しい衣服が、今は彼女の身体を優しく守る盾となっていた。
リリアは意を決し、部屋の重厚な扉へと小さな手をかける。
静まり返った屋敷の長い廊下を、彼女は一心不乱に走り出した。
使用人たちは皆、階下の治療所の設営や物資の運搬で手一杯であり、彼女の小さな影に気づく者は誰もいない。
冷たい床の感触が靴の底を通して伝わってくるが、彼女の足が止まることはない。
裏庭へと繋がる、もっとも分厚い鉄製の扉の前にたどり着いた。
リリアは両手で金属の冷たい取っ手を握り締め、全体重をかけるようにしてそれを回す。
扉が重い音を立てて開き、外の苛烈な猛吹雪が牙を剥いて一気に室内に流れ込んできた。
視界を白く染め上げる嵐の中へ、リリアはためらうことなく一歩を踏み出した。
刃のような冷気が彼女の頬を容赦なく叩き、引き裂くような痛みが走る。
しかし、家族を失うかもしれないという底なしの恐怖に比べれば、その寒ささえもすぐに麻痺していった。
雪の中に深く足が沈み込むが、彼女は前を向いて歩き続ける。
庭の中央にたどり着いたとき、リリアは両手を自らの胸の前で固く握り締めた。
「みんなのところへ、行かせて、お願い」
彼女が心からそう願った瞬間、周囲の空気が大きく震えた。
彼女の周りに集まっていた数千、数万という途方もない数の精霊たちが、一斉に眩い輝きを放ち出す。
銀色と薄緑色の光の奔流が、彼女の身体を包み込む巨大な光の渦となって吹き荒れた。
精霊たちの紡ぎ出す温かな風の衣が、リリアの身体から重力を奪い去る。
彼女の小さな身体が、深い雪面からふわりと宙へと浮き上がった。
次の瞬間、光に包まれたリリアは荒れ狂う猛吹雪を真っ二つに切り裂きながら、北の平原へと向かって一直線に飛び去っていった。
◆ ◆ ◆
同じ頃、北側の平原の戦況は悪化の一途をたどっていた。
騎士たちの堅固だった盾の列は崩され、多くの者が血に染まった雪原へと次々に沈んでいる。
魔獣たちの尽きることのない物量と、上位種特有の狡猾な連携が、防衛線をじわじわと削り取っていた。
ヴォルフガングは傷だらけの身体で大剣を構え直すが、三匹の上位魔獣が同時に彼を包囲し、口元に邪悪な魔力を高めている。
頑強な甲冑は随所が引き裂かれ、流れ落ちる汗と血が冷気によって白く凍りついている。
ルカとレオは父親の危機を救うべく気配を消して周囲の針葉樹の枝へと駆け上がり、奇襲の機会をじっとうかがっていた。
少年たちの手に握られた長剣と短刀が、冷たい光を反射して静かに研ぎ澄まされている。
辺境の英雄と呼ばれた男の命がまさに危機に瀕し、少年たちが飛び出そうとしたその瞬間。
荒れ狂う吹雪の向こう側から、強烈な純白の光の球が猛烈な速度で接近してきた。
その眩い光の塊は戦場のすべての者の視線を奪いながら、激しい嵐を突き抜けて中央へと真っ直ぐに突き進んでくる。




