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第二話 入って良い、という合格です

 坂の中ほどの冒険者ギルドは、石造りの二階建てで、入口の扉だけがやたらと大きい。担架を横向きに通すためだと、入ってすぐに分かった。土間の隅に、血の染みた布が畳んで積んである。

 ギルドの中は騒がしく、依頼票を貼り出した掲示板の前に人だかりができ、奥では素材の秤が絶えず鳴っている。石の床は磨り減って光り、足の裏から冷たさが上がってくるようだ。外はまだ明るいのに、天井から下がった灯りはもう点いている。

 受付は、三つ並んでいる。

 そのうちの一つの前に、シンは立った。

 誰もいない。


「あれ? 空いてるのかな」

「下や」

「え」


 カウンターの向こうから、声がした。


「ご用件をどうぞ」


 シンは身を乗り出した。

 いた。

 カウンターの内側で、彼女は膝をついていた。床に並べた木箱から、綴じた書類の束を選り分けている。

 束を抱えて立ち上がり、据え付けの段へ上がる。それでもなお、カウンターの縁が胸の高さにあった。ドワーフよりもさらに小柄なハーフリングで、けれど頭の大きさや手足の釣り合いは、大人のそれだった。

 手が、止まっていなかった。

 左手で紙を捲り、右手で判を押し、視線だけが上がってシンを捉える。その間にも、脇へ差し出された別の紙を顎で示して、後ろの職員へ回している。


「三番坑、負傷者四。うち二名は搬送済み。三人目は脚の縫合が要ります。詰所へ回して」

「はい」

「それと、七番の依頼票は下ろして。受注者が戻っていません」

「はい!」


 言い終える前に、彼女の目はもうシンに戻っていた。


「お待たせしました。ご用件は」

「あ、はい。えっと、大迷坑に潜りたくて」

「観光ですか、お仕事ですか」

「し、仕事です」

「では登録が要ります」


 紙が、六枚、滑り出てきた。

 速い。


「ミルナと申します。この街の受付を預かっています。管理区域の利用と、正規依頼の受注には冒険者登録が必要です。無登録での入坑は禁じられていませんが、その場合は救助の対象になりません」

「救助の——」

「事故が起きたとき、ギルドが人を出す相手は登録者だけ、ということです」


 説明は、それで終わった。

 シンは慌てて懐から紙を出した。


「あの、これ! 俺、勇者候補として登録されてて、選別も通ってて」


 ミルナは、それを受け取った。

 受け取って、両手で持ち、一瞥した。


「拝見しました。控えを取ります」

「はい!」

「候補としての登録は確認できます。冒険者としての資格と等級は、これとは別の制度です。実力の証明にもなりません」


 判が、押された。


「新規のお方は、七等から始まります。まずはお名前を」

「……七等」

「はい。最下等です」


 シンの肩が落ちた。落ちたのを、彼は自分でも分かっていた。

 だが、それは一拍で終わった。

 七等でいい。ここへ来た理由は、等級ではない。大迷坑で腕を上げて、武具を買って、その先へ行く。そのための入口だ。


「よろしくお願いします!」

「では、こちらへ」


 その隣で、アミアンがギルド証を出していた。


「移管手続きをお願い」

「支部間の移管ですね。承ります」


 ミルナの手が、そこだけ少し止まった。


「三等。……失礼ですが、単独でのご活動が長い方ですか」

「ええ」

「承知しました。移管は即日で通ります」


 判の音が、また鳴った。


「なお、パーティを組んだ場合、受注可能な依頼は最も低い等級に揃います。六名でしたら七等です」

「……わかった」

「単独でお受けになる場合は、三等のままです」

「そう」


 それだけだった。

 彼女はギルド証を懐へ戻した。

 名を書き終えると、金属の札が五枚、カウンターへ滑り出てきた。掌に収まる大きさで、縁がどれも擦れている。返された品を磨き直したものだ。


「ギルド証です。坑道では、見えるところへ提げてください」


 最後に、ミルナは六枚の紙を揃え、角を打って束にした。


「登録は以上です。おめでとうございます、と申し上げるべきかもしれませんが……勘違いなさる方が多いので、先に申し上げます」


 ミルナは、シンの目を見た。


「これは、腕を認めたという意味ではありません。入って良い、という合格です」


       ◇


 シーザーが最初に気づき、振り向いたときには後ろに人が立っていた。

 掲示板の前の人だかりが割れ、割れた道を通って、四人がこちらへ歩いてくる。

 先頭は、人族の男である。

 歳は四十ほど。上等な外套の裾を石の床に触れさせないよう、歩き方まで計算されている。指に嵌めた石が、ギルドの灯りを受けて赤く光った。

 その通り道に、木箱が一つ置かれている。

 荷を担いだドワーフが、慌ててそれをどける。


「すまないね」


 卿は礼を言う。

 言いながら、その男の顔を見ていない。木箱がどききる前に、もう歩き出していた。

 後ろの三人は冒険者なのだろう。ギルド証を胸に下げている。そのうちの一人はまだ若く、二十歳そこそこに見えた。


「ご登録ですかな」


 男の声は、柔らかかった。


「新しい顔だ。この街は、よそから来た方に冷たくてね。私はヴァルドと申します。この辺りの倉庫と、坑道の採掘区画をいくつか預かっております」

「ご丁寧に」


 シーザーは頭を下げた。作法として、そうすべき相手に見えた。


「見たところ、騎士どのだ。それに——」


 ヴァルド卿の視線が、動いた。

 シーザーの鎧を値踏みし、その後ろへ移動していく。

 視線に対して身構えるアンリで少し留まり、アミアンの顔で止まる。

 そちらのほうが、長かった。


「ほう。エルフの方まで」


 卿の首が、わずかに傾いた。


「エルフにしては、ずいぶん人の街に慣れておいでだ。……いや、失礼。この街には珍しいものでね」


 卿は微笑んだ。


「七等からでは、坑道の浅いところしか回れません。それでは日銭にもならない。私の名で口を利けば、明日にでも実入りのいい区画へ入れます。倉庫の融通もききますし、宿もね」


 言葉には、何一つ棘がなく、それが、シーザーには気持ち悪かった。


「見返りは」

「見返り、などと」


 卿は心外そうに手を広げた。


「時折、屋敷へ顔を出してくださればいい。田舎の方は堅苦しくていけない。そちらのお二人には、着るものも用意させましょう。せっかくの器量が、旅の埃で台無しだ」


 シーザーの籠手が、鳴った。


「——貴様」

「兄さん」

「シーザー」


 どちらの声よりも早く、横から腕が伸びる。

 ドレッシングだった。

 鎧の腕を掴んだのではない。肘の内側へ、自分の腕を差し込んで、そのまま体重をかけている。力ずくで止めているというより、動きの起点を殺す止め方だった。


「やめとけって」

「離せ」

「離すよ。あんたがそれから手を離したならな」


 ドレッシングの声は、いつもより低かった。


「ここ、ギルドの中。証人がいっぱい。あんたが先に殴ったら、明日から俺たちこの街にいられねぇんだわ」

「……っ」


 シーザーの腕から、力が抜けた。

 抜けきる前に、ドレッシングの腕も離れた。


「おお、こわい」


 卿は少しも動じていなかった。

 むしろ、満足しているようですらあった。


「よろしい。血の気の多い方は嫌いではない。ただ、この街ではね、腕っぷしより後ろ盾ですよ。後ろ盾のない者は——」


 彼は、ちらりとギルドの奥を見た。


「困ったときに、誰も出てこない」


       ◇


 卿がギルドの二階へ去ったあとも、しばらく誰も口をきかなかった。

 掲示板の前の人だかりは、いつのまにか元に戻っている。だが、こちらを見ないようにしている気配だけが、はっきりと残っていた。


「……お恥ずかしいところを」

「いいえ」


 ミルナは、判を並べ直していた。


「あの方の口利きは、私どもの記録には残りません。等級も、それでは上がりません」

「はい」

「それだけ、申し上げておきます」


 その隣の卓で、古い顔をした人族の老人が、酒でもないのに杯を回していた。


「悪く思いなさんな、兄さん」


 誰にともなく、老人が言った。


「あの家の曾祖父はな、竜に襲われたあと、街を建て直すのに蔵の中身を全部出したんだ。うちの婆さんは、あの家からもらった麦で冬を越した。恩はあるんだよ、恩は」


 老人は、そこで言葉を切った。


「……曾祖父の代にはな」


 それきり、杯を回すだけになった。


       ◇


「後ろ盾ならば」


 言い出したのは、アンリだった。

 全員が、彼女を見た。


「あの、私、思ったのですけれど。あの方が仰ったのは、後ろ盾のない者は誰も出てこない、ということでした」

「せやな」

「でしたら、後ろ盾があればいいのだと思います」


 アンリは、両手を前で組んでいた。


「この街に、西方教会の礼拝堂はありますか」


 ミルナの手が、止まった。


「……ございます。坂の上に」

「兄と私は、教会の発行した所属証明を持っています。ヘイムダルムの正教会ですが、系統は同じです。事情を申し上げて、この街の教会から一筆いただけないでしょうか」

「保証書ですね」

「はい」

「有効です」


 ミルナは即答した。


「教会の身元保証は、ギルドの記録に載ります。載れば、口利きの話とは重みが違います」

「行きます」


 シンが言った。


「俺も行く。アンリさん、一緒に」

「シン様が?」

「頭を下げるなら、多いほうがいいだろ」


       ◇


 坂の上の教会は、小さい。

 石を積んだだけの箱に、麦の穂の意匠を掲げただけの造りで、鐘楼だけが不釣り合いに立派だった。日はもう傾いていて、坂を上りきったところで、ちょうど鐘が鳴った。

 その音は坂を下っていった。石畳の上を滑り、市場の喧騒を越えて、坑道の口のあたりまで届いている気がする。教会そのものは貧しいのに、この鐘だけはよくできている。

 出てきた司祭は、ドワーフの女性だった。

 二人は事情を話した。旅の途中であること、この街で仕事を得たいこと、後ろ盾がないこと。

 そして、頭を下げ、司祭の返答を待った。

 長い沈黙。石の床は、ギルドのそれよりもさらに冷たく、膝が痛くなるほど床が冷えていることを、シンは初めて意識した。


「顔を上げなさい。教会は身元を保証しますが、品行を保証するのではありません。あなた方が悪事を働けば、保証は取り消され、記録に残ります。それでよろしいですか」

「はい!」

「では」


 書き付けが、二通。

 その署名を待つあいだに、シーザーが祭壇の前へ進んでいた。

 膝をつき、剣を横たえ、目を閉じる。


「大地の神よ」


 声は低かったが、聞き取れた。


「妹の傷を癒す力を、私にもお与えください」


 彼は一度、息を吸った。

 吸って、また続けた。


「陽光の神よ。この剣が、人ならぬものへ向くとき、鈍らぬようお守りください」


 アンリは、その背中を見ていた。

 彼女は祈らなかった。手を組むこともせず、兄が立ち上がるまで、そこに立っていた。


       ◇


 ギルドへ戻ると、卿はまだ帰っておらず、二階の手すりに寄りかかって、下を眺めていた。連れの三人も一緒で若いほうの一人だけが、こちらを見ていた。

 ミルナは、書き付けを両手で受け取った。


「登録しました。西方教会ドヴェルグスタッド礼拝堂による身元保証。以上、記録します」


 彼女の声は、まったく大きくならなかった。

 なのに、二階にいるヴァルドの耳まで届いたのか、彼の顔が少しだけ歪んだ気がする。


「それと、パーティ登録を承ります。名称はいかがなさいますか」

「え、名前!?」

「依頼票に、書く欄があります」

「え、えっと、じゃあ——」


 シンが振り返り、五人を見る。

 誰も、勝手に決めろとは言わず、誰も、名を出さなかった。


「……すみません、あとで」

「では、後日で結構です」


 ミルナは、名称の欄を空けたまま判を押した。


「登録は、これで成立します。名称は、届け出をいただいた時点で記載します」


 六人ぶんの名前が、一枚の紙に並んだ。

 二階から、拍手が一つだけ聞こえた。

 卿だった。笑顔のままだ。


「結構、結構。制度は正しく使うものです」


 彼は外套を翻した。


「では、また」


       ◇


 卿が階段を下り、扉を抜けていく。

 その後ろ姿へ向けて、脇の壁から低い声がした。


「あの男は、また来る」


 シンが振り返った。

 壁にもたれて、ドワーフの老人が立っていた。分厚い革の胴当て。擦り切れた背負い袋。昨日、坂で担架を組み直していた男だった。


「あの、あなたは」


 男は答えなかった。

 鶴嘴(つるはし)を担ぎ直し、そのまま扉のほうへ歩いていく。


「一度断られた男は、次は断れんやり方で来る。覚えとけ」


 扉が閉まった。


「……なんだったんだ、今の」

「シン」


 オタキラーが、懐から布袋を出して振った。

 中で、硬貨の音がした。思っていたよりも、ずっと少ない音だった。


「感動しとるとこ悪いんやけどな」

「なんだよ」

「……で、宿代はどうすんねん」

「あっ」


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