第六話 勇者候補として、合格だ
夜明けの村は、霧の底にあった。
斜面の家々は輪郭だけになり、段畑の柵が霧の中へ一本ずつ消えていく。空はもう白みはじめているのに、谷底までは光が届かない。六人の吐く息だけが、順々に白く生まれては、霧に混ざって見えなくなる。
村の入口に、三つの人影が立っていた。
村長リンバ。給仕のラティア。そして、あの丸い頭の法師。
まるで、帰ってくる刻限を知っていたかのように。
「……お帰りなさいませ」
リンバが、深く頭を下げた。
シンは足を止めた。言いたいことが山ほどあった。あったはずなのに、その老人の一礼があまりに静かだったので、出かかった言葉が全部、喉の途中で渋滞を起こした。
「話は、儂の家で」
老人は身を翻した。
「湯を沸かしてございます」
◇
村長宅の暖炉には、朝から火が入っている。
六人ぶんの椅子が、すでに並べてある。ラティアが盆を運び、湯気の立つコップが一人ずつの手に渡っていく。夜通し地の底にいた体に、白い湯気と薪の爆ぜる音が、骨まで染みた。
アンリが両手でコップを包み、ほう、と息をついた。それを見て、シーザーの肩からも、ようやく力が抜けた。
「さて」
リンバが、背もたれの高い椅子に腰を沈めた。
「どこからお話しいたしましょうかな」
「全部です」
シンは即答した。
「全部、聞かせてください。……俺たち、殺し合うところだったんです」
部屋が、しんとなった。
ラティアが目を伏せた。法師が手を合わせた。リンバだけは目を逸らさず、シンの視線を正面から受け止めて、それから、ゆっくりと頷いた。
「この村は、この地を治める国が営む——勇者候補の、選別所でございます」
薪が、ぱち、と爆ぜた。
「勇者狩りの噂も、廃教会への案内も、すべて仕掛けでございました。ラティアも、法師殿も、見届け役。あなた方は村に入られた時から、ずっと観察されていた」
「見られて……」
シンの目が、壁際のラティアへ動いた。
彼女は、酒場の給仕の顔ではなかった。まっすぐ立ち、目を伏せもせず、任を果たした者の顔で、そこにいた。あの夜道の、鼻をすすった娘とどちらが本当なのか、シンには分からなくなった。
「試験、ということか」
シーザーの声は硬かった。
「我々を廃教会へ走らせたのも」
「はい。互いに、逆の嘘を」
リンバは隠さなかった。
「あなた方には『別の一行が向かった』と。あちらの三人には『あなた方が向かった』と。——見ず知らずの他人が死地にいると聞いた時、その者が何をするか。試験は、それひとつきりでございます」
「それ、ひとつ……?」
「強さは二の次。金勘定も三の次。身銭を切り、命を懸けて、赤の他人のために走れるか。……勇者を名乗る資格とは、儂どもの見るところ、それだけでございますよ」
酒場での噂話。困りごとはないかという問い。報酬を求めたかどうか。村長宅への夜道。——すべてが前段の試しだったのだと、老人は淡々と並べていった。
「幻の罠があることは、儂どもも存じておりました。仕掛けの罠がいくつかあることも。……引き返す判断のできる者なら、命までは取られぬ場所。そう信じて、使うてまいりました」
「十五組は」
ドレッシングだった。椅子の背に体を預けたまま、目だけが老人を見ていた。
「帰ってきてないんだろ。命までは取られない場所からさぁ」
「帰らなんだのではございません」
リンバの声は、変わらなかった。
「帰したのです。——不合格を、言い渡しましてな」
六人が、顔を上げた。
「旅の資格を取り上げ、国へ引き渡した者もおります。宝目当てに仲間を置き去りにした者。村の娘に狼藉を働こうとした者。噂ひとつで刃を抜いた者。……ですが」
そこで初めて、老人の言葉が、わずかに重くなった。
「全員を、帰せたわけではございません。幻の罠に化かされ、仲間に刃を向け、その手にかけてしまった者がおりました。奪い合いの果てに、動けぬ仲間を置いて出た者も。……儂らは、そういうものを、ずっと見てまいりました」
誰も、何も言えなかった。
シンは、思い出していた。腐った化け物に見えた影へ、全力で振り下ろした自分の剣を。その刃を受け止めた、細い両腕を。あの一撃が、指一本ぶんずれていたら。
隣で、アンリがそっと目を閉じた。同じものを思い出している顔だった。
「あなた方は、違いました」
リンバの声が、ふ、と柔らかくなった。
「危険を知らされてなお、見ず知らずの他人のために夜の山を駆けられた。宝より人を選ばれた。幻に刃を向けながら、踏みとどまり、見破られた。——六人とも、です」
老人は立ち上がった。
そして、武人のように背を伸ばし、六人を順に見渡して、言った。
「勇者候補として、合格だ」
それまでの慇懃な言葉遣いが、その一言だけ、素で出た。
シンは、束の間ぽかんとして——それから、じわじわと頬が緩んでいくのを、止められなかった。
「合格……合格! やった、合格だって!」
「うるさ」
「聞こえとるわ」
騒ぐシンの向こうで、リンバはシーザーとアンリへ目を移した。
「そちらの兄妹どのも、同じく。……遠いところを、ようこの村まで」
それだけだった。
勅命がどうの、と老人は訊かなかった。どこの国の、誰の命で旅をしているのかも。シーザーが何かを言いかけて口を開き——リンバが、静かに首を横に振る。
訊かぬ、という首の振り方だった。
シーザーは口を閉じ、深く、頭を下げた。
「ひとつ、言わせていただきますとな」
リンバは椅子へ戻りながら、付け加えた。
「素行がどうであったかは、知りませぬ。評判も、聞いておりませぬ。儂が見たのは、あんたらが、《何をしたか》。それだけでございます」
ごほ、と誰かがむせた。
二人だった。オタキラーがフードの奥で咳き込み、ドレッシングが拳を口に当てて明後日を向いた。
「……どうかしたの」
「なんでもあらへん」
「埃だよ、埃」
シンだけが、屈託なく笑っていた。
◇
「では、事務のお話を」
リンバが文机から帳面と、小さな印を取り出した。
「登録勇者候補の、認証でございます。この国の選別を通った証。旅券に、印をひとつ」
シンは弾かれたように懐を探り、折り目のついた旅券を差し出した。
他の五人は、動かない。
オタキラーは、首を横に振った。ドレッシングは、肩をすくめた。アミアンは短く「不要よ」とだけ言った。アンリは兄を見て、何も言わなかった。シーザーも、動かなかった。
リンバは、誰にも、何も訊かなかった。
帳面が開かれ、ペンが走り、印が朱に浸される。
こん、と乾いた音がした。
シンは返された旅券を両手で受け取り、窓から差しはじめた朝の光へかざした。まだ湿った朱の印が、紙の向こうから透けて見える。指先に、紙一枚ぶんだけ、確かに重さが増えた気がした。
「これで……俺は、正式な勇者候補だ」
「言うておきますがな」
リンバが、釘を一本だけ刺した。
「それは、《この国》が発行したものでございますよ」
「はい! 大事にします!」
通じていなかった。老人は少し目を細め、それ以上は、何も言わなかった。
◇
和んだ空気を割ったのは、シンの、何の気なしの一言だった。
「でも村長さん、あの目玉の化け物まで用意してあるのは、さすがにやりすぎだと思いますよ。俺たち、本当に死ぬかと思ったんだから」
リンバの顔から、表情が消えた。
「…………何の、話でございますかな」
「え? だから、あの、廃教会の地下の。丸くて、でっかくて、目がいっぱいある」
「シン様のおっしゃるとおりです」
アンリが続けた。
「通路を塞がれて、逃げ場もなくて……」
「罠は、幻といくつかの仕掛けだけでございます」
リンバの声は、平坦になっていた。
「幻の罠と、仕掛けの罠。それだけです。あの遺跡に——魔物などおりませぬ」
「いたんだよなぁ、それが」
ドレッシングが身を起こした。
「宙に浮く肉の塊。表面びっしり眼だらけ。見られただけで体が固まる。あんたらの言う『引き返す判断ができれば命は取られない場所』にさぁ、あれはちょっと、そぐわなくないよ」
「戯れを——」
「ほな、もう一つ聞くで」
オタキラーが、静かに割り込んだ。
「あんたら、十五組は全部『帰した』言うたな。行方の知れん者は一人もおらん、と」
「おりませぬ。帳面に、全て」
「ほな——奥に得物を置いてったんは、誰や」
部屋の空気が、凍った。
「折れた剣が一振り。焼け焦げた外套が一枚。名ぁ刻んだ徽章が、二つ。祭壇の前に落ちとった。……あんたの帳面に、載っとるか?」
「そ、それは、拾いものということも」
「ほな訊くけどな」
オタキラーの声は、静かだった。
「あんた、名前の彫ってある徽章を、あの地下へ置いて帰るか? 折れた剣ならまだ捨てるやろ。外套も、燃えたら捨てるかもしれん。せやけど、徽章はちゃう。あれは身元や」
誰も、答えなかった。
「言うとくけどな。骸は無かった」
オタキラーは、指を二本立てた。
「無かったんや。剣と外套と、徽章が二つ。持ち主は、どこにもおらん。生きて出たんか、あの下で死んだんか、わいらには分からん」
彼は、その二本を下ろした。
「分からんまま置いてきた。……せやから訊いとる。徽章の主は、あんたの帳面のどこにおるんや」
リンバの口が、開いて、閉じた。
ラティアが、両手で口を押さえた。法師の合わせた手が、小刻みに震えはじめた。
「載って、おりませぬ……そのような者は、この村を、通っておりませぬ……」
「やろな。嘘ついとる顔やないわ」
オタキラーはフードを軽く直した。
「そっちも嘘やない。こっちも嘘やない。……気色悪いやろ。せやから、順を追うて話したるわ」
◇
オタキラーとドレッシングは、交互に語った。
あの番人は、村の仕掛けではないこと。あの廃教会には本当の持ち主がいて、番人は、その持ち主が据えたものであること。
「持ち主……? あの遺跡に、持ち主が……?」
「おるんや。誰かは知らんでもええ。あんたらの噂よりずっと前から、あそこはあいつの——あの持ち主の、家や」
番人は本来、奥の聖域に踏み込まれない限り、眠っていること。
そして——六人より先に、何者かがそこへ踏み込んでいたこと。
「封が破られとった。祭壇が荒らされて、箱が空になっとった。何かが持ち出されとる。……番人はそれで目ぇ覚まして、務めに戻ったんや。以来ずっと、通路を巡回しとる。わいらが行き会うたんは、ただの——事故や」
「では……では、儂どもは……」
リンバの声が、掠れた。
「せや」
オタキラーは、容赦しなかった。
「あんたらはいつの間にか、『引き返せるとは限らん試験』を課しとったんや。それも、いつからかも知らんまま」
「もし村の誰かが様子を見に潜ってたらさぁ」
ドレッシングが、天井を仰いだ。
「今ごろ、村ごと終わってたんじゃねぇの」
リンバが、椅子に沈み込んだ。
一気に十も老け込んだように見えた。膝の上の節くれ立った手が、所在なく組まれ、ほどかれ、また組まれた。
「……廃教会は、封鎖いたします」
長い沈黙のあと、老人は言った。
「二度と、選別には使いませぬ。国へも、あるがままを報せます。……あそこは、儂らの手に負えるものでは、なかった」
深々と下げられた白髪頭に、答える者はいなかった。
ただ、窓の外がもう、すっかり明るくなっていた。
◇
馬車は、村へ置いていくことになった。
言い出したのは、オタキラーだった。
「なんでだよ!」
「六人やぞ。あの荷台に六人乗ったら、馬が保たん。ほんで、これから向かうんは西の山越えや」
「乗らなきゃいいだろ、俺たちが」
「ほな何を運ぶんや。空の荷台と、馬一頭ぶんの飼葉代だけか」
オタキラーは、指を擦り合わせてみせた。
「六人ぶんの飯と、馬一頭ぶんの飯。どっちを削る」
「…………馬」
「せや」
買い手は、すぐに見つかる。
村長が口を利いてくれたのだ。値は、思っていたよりずっとよい。あとで法師が、あれは村が上乗せしておりますと、こっそり教えてくれた。
引き渡す前に、シンは荷台の縁を一度だけ撫でた。
いつもドレッシングが寝そべっていた場所は、板が少し磨り減っている。
「世話になったな」
馬は、まるで興味がなさそうに鼻を鳴らした。
◇
村の出口の街道は、朝日の中にあった。
霧は谷底へ沈み、山肌は上から順に、赤と金に色づいて燃えていた。畑へ出る村人が、六人を見て——今度は、足を速めなかった。ぎこちなく会釈する者さえ、いた。
背負い袋が、昨日までより重い。荷台に放り込んでいたものが、そのまま肩に乗っている。
「シン様!」
ラティアが駆けてきた。前掛けのままだった。
「あたし、メダル、また集め始めたんです。一枚目」
彼女は掌の銅色を、宝物みたいに見せた。
「次にいらっしゃるまでに、揃えておきますから。だから、その」
「ああ! 絶対また来るよ!」
シンは即答した。即答してから、付け足した。
「揃ったやつ、見せてもらうからな!」
「……ふふ。お約束です」
その後ろで、リンバが六人へ、武人めいた一礼を送った。詫びとも、見送りともつかない、深い礼だった。法師は千切れるほど手を振っていた。
街道の分かれ道で、六人は自然と輪になった。
「さて、や」
オタキラーが伸びをした。
「わいらは西や。向こうの方のダンジョンに、お宝の噂があるらしいで」
ドレッシングの目が、現金に光る。
「詳しく」
「またそれかいな、って言う側やろ、わい……」
「西には、俺たちも用がある」
シーザーが言った。
「西方教会へ行く。法王に——申し上げねばならんことがあるのだ」
それ以上、彼は語らなかった。
アンリが、目を伏せた。ほんの一瞬だけ。すぐにいつもの、清らかに整えられた顔へ戻る。
誰も、何も訊かなかった。オタキラーもドレッシングも、珍しく、茶々ひとつ入れなかった。
「私は、どちらでもいいわ」
アミアンは、腕を組んでいた。
「目的地が同じなだけ。……当分は、ね」
「じゃあ決まりだ!」
シンが手を打った。
「六人で、パーティだ! 前衛が二人、魔法使い、僧侶、盗賊、魔法剣士——完璧じゃないか!」
「回復役がおるっちゅうだけで、わいはもう文句あらへん」
「俺は文句しかねぇけどな。エルフと女子供連れの大所帯とかさぁ……」
「聞こえているわよ、ドレッシング」
「怖っ。耳良すぎだろ」
「まあ、いいじゃないか」
シンは笑った。
「全員、生きてるんだから。まずはそれでいいだろ」
誰もそれに反対しなかった。それが、結成の全てだった。
歩き出す前に、シンは一度だけ、足を止めた。
北の空の際に、白い峰が並んでいた。朝日を受けて、雪を戴いた頂だけが、燃えるように光っている。魔王国は、あの山なみのさらに向こうだという。
シンは、長いことそれを見ていた。
何も言わない。
それから、背を向けて、西へ歩き出した。
◇
街道は緩やかに下り、朝日が六人の影を長く引いた。
先頭でシンが調子外れの鼻歌をやり、シーザーが歩幅を合わせ、アンリが二人分の笑いをこらえ、アミアンが少し離れて続く。
その横顔が、ふと、街道の先の遠くへ向いた。
西。人の街々と、その先の知らない土地。——探し続けている妹の顔は、どれだけ経っても、少しも古びてくれない。生きているなら、どこかにいる。どこかにいるなら、いつかは行き会う。
当分は、この六人と行くのも、悪くない。
アミアンは、それきり前を向いた。
そして、隊列のいちばん後ろ。
四人から十分に離れたのを見計らって、ドレッシングが、隣のフードへ小声を落とした。
「……なあ。あの絵、アシュタロスだったよな」
「しっ」
オタキラーの目が、前の四人へ走った。誰も振り返らない。
「……生きとったんやな、あいつ」
「みたいだなぁ。……なんだって、あんな辺鄙なとこに別荘なんか」
「知らんわ。番人だけ置いて、本人は留守て。何を考えとるんや」
「昔から、考えてることが分かった試しないだろ、あいつはさぁ」
「せやけど、おかしいやろ」
オタキラーの声が、一段沈んだ。
「あんたのじいさんらが——」
「……やめとこう」
ドレッシングが、遮る。
軽い声である。軽い声で遮った、ということだけが、軽くなかった。
オタキラーは、それきり口をつぐんだ。二人の靴音だけが、しばらく、揃わないまま続いた。
「おーい!」
先頭から、能天気な声が飛んできた。
シンが後ろ向きに歩きながら、大きく手を振っている。
「二人とも、さっきから何こそこそ話してんだよー!」
「「なんでもない」」
声は、見事に揃った。
朝日の街道を、六人の影が西へ伸びていく。




