第三話 勇者狩り
「ご存じも何も」
シンが身を乗り出した。
「今日、聞いたばかりですよ。勇者候補が襲われてるって」
リンバの目が、ゆっくりと動いた。シンから、オタキラーへ。オタキラーから、ドレッシングへ。
値踏みだった。
シンの腰に吊られた、身なりに不釣り合いなほど立派なロングソード。オタキラーのローブの合わせから覗く、束ねられたスクロールの端。ドレッシングのベルトに並んだ、投擲用の小ナイフ。
視線は一つずつ、丁寧に降りていった。
シンは気づかなかった。
オタキラーは気づいて、口をつぐんだ。
「では、先に申し上げておきましょう」
老人が背もたれから体を起こす。
「あの噂は、この村がこしらえたものです」
熾火が、ぱち、と鳴った。
「……は?」
「勇者様……正確には勇者候補と名乗られる方々に、来ていただきたくないのですよ」
あっさりとした声だった。悪びれてもいなければ、開き直ってもいない。明日は晴れるかな、程度の話をするような調子だった。
「隣町の生き残りだという魔法使いも、村の者です。芝居が上手い男でしてな」
ドレッシングが顔をしかめた。
「それ、俺たちに言っていいわけ?」
「あなた方は他の人達とは違う、とラティアが申しましてな」
リンバは膝の上で指を組み直した。
「勇者狩りはいません。ですが——北の外れに、廃教会がございます」
オタキラーの背が、わずかに伸びた。
「かなり旧い遺跡でしてな。宝があるという話が、どこからともなく流れております。それを聞きつけて、これまでに十五組ほど探索にいかれました。が、誰も、戻っておりません」
「十五組」
シンが息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
「魔物ですか」
「見た者はおりません」
「じゃあ何が——」
「見た者が、おりませんので」
言い切って、老人はまた黙った。
その口ぶりに、シンは違和感を持たなかった。だがオタキラーは、フードの奥で目を細めていた。
——怖がっている顔ではない。
知っている者の顔だ。
「明日にはこの村を離れ、隣町を目指されたほうがよろしいかと」
「なぜ、俺たちに教えてくれるんです」
シンの問いに、老人は初めて、目元だけをわずかに緩めた。
「ラティアが、あの方々は志が高い、報酬目当てで人助けを言い出すお人ではない、と」
壁際でラティアが小さく身を縮めた。
「儂は人を見る目には自信がございます。ですが、あの娘の目のほうが確かなことも、確かでございます」
「……ありがとうございます」
シンが頭を下げた。
その素直さに、リンバはもう一度、目元を緩めた。
◇
扉が叩かれたのは、その直後だった。
叩くというより、体ごとぶつかる音だった。
「村長! 村長っ!」
転がり込んできたのは、丸い頭をした小柄な男だった。法師の衣が肩からずり落ちている。息が上がりすぎて、最初の一言が言葉にならなかった。
「落ち着きなされ」
「寺院に——三人組が、寺院に立ち寄りまして、その、噂を、廃教会の噂を聞きつけて」
部屋の空気が変わった。
「向かわれました。今しがた」
「止めなかったのか」
「止めました! ですが、事情を、その、こちらの事情を申し上げる前に、発たれてしまって」
法師は喘ぎながら、両手を合わせた。
「重装の騎士と、僧衣の娘御と、エルフの——」
シンが立ち上がった。
長椅子が後ろへ倒れた。
「アミアンたちだ」
「え」
「あの三人だ。街道で会った」
シンはもう扉のほうを向いていた。
「行きます」
「待ちなさい、儂は今、行くなと申し上げたばかりですぞ」
リンバの声が、先程の穏やかさを捨て、鋭くシンへ突き刺さる。
「聞きました」
「聞いて、それで」
「聞いたから行くんです」
シンが振り返った。
その顔から、宿での軽口も、酒場での照れ笑いも、きれいに消えていた。
「あの人たちは、村長さんの話を知らない。俺は知ってる。知ってる奴が行かないで、誰が行くんですか」
老人が、何かを言おうと口を開きかけた時、二人の叫び声がそれをかき消した。
「えええええええ」
「待て待て待て待て」
ドレッシングが両手を突き出し、シンを押し留める。
「今の話聞いてた? 十五組帰ってきてないって話、聞いてた?」
「聞いてた!」
「聞いてこれ!?」
オタキラーが立ち上がりながらローブの裾を払った。
「シン、一応聞いとくけどな。夜やで。山道やで。灯りは?」
「オタキラーがいる!」
「答えになっとらんわ」
だが、その男もすでに扉のほうへ歩き出していた。
◇
村を出ると、空気が変わった。
昼のあいだ日を受けていた土が、もう冷え切っている。息が、わずかに白い。道の脇の下生えは夜露を含んで重く、歩くたびに靴の先が濡れていく。
梢を渡る風が、ひとつ、大きな波のように山を撫でていった。木々がいっせいに鳴り、それから静まる。
「なあ、シン」
オタキラーが灯りを掲げながら、横に並んだ。丸い光が、二人の足元だけを切り取っている。
「正直に言うてみ。本音は何や」
「人助けだよ」
「本音や言うとるやろ」
少し間があった。
「……アンリ達が心配だ」
「そらそやろな」
「あと、アミアンさんも」
「そらそやろな」
「あと」
シンが少し声を落とした。
「宝の話、聞いたよな」
「出よったな」
「いや違うんだ、俺が欲しいわけじゃなくて、その、装備がさ、ほら、ドレッシングも言ってたし、鎧くらい買えって」
「言い訳が長いで」
後ろから、だるそうな声が飛んできた。
「お前らさぁ。人助けと宝探しを同じ感覚でいくわけ? 器用すぎない?」
「両方だよ! 両方大事なんだよ!」
「開き直った」
オタキラーが灯りを少し持ち上げ、前方の闇へ向けた。
光の届く先で、道が二つに割れていた。
「北や」
「うん」
三人は、細いほうへ入った。
◇
最初に気づいたのは、ドレッシングだった。
「道、ないぞ」
「あるじゃないか。今歩いてる」
「これは獣道。参道じゃない」
彼は足を止め、しゃがんで地面を撫でた。
「轍もない。人も通ってない。教会ってさぁ、人が来るところじゃないのか」
「祈る場所っちゅうんは、人が通える所に建てるもんや」
三人は顔を上げた。
木立が切れた先は、崖を背負った窪地だった。
日が差さない。昼でも差さないだろう。土は痩せ、下生えも疎らで、風だけが崖に当たって渦を巻いている。村を出てから徐々に冷えてきた空気が、ここへ来て一段落ちた。しかし、首筋を撫でた感覚は、季節特有のそれとはまた違う。
小さな建物が窪地の底に蹲るように建っている。
「あれ、教会、なんだよな?」
シンが目を凝らす。誰も答えない。
近づくにつれ、答えられない理由が増えていく。
墓地がなかった。鐘楼もなかった。供物台も、喜捨を受ける箱も、参拝者が長い年月をかけて擦り減らすはずの敷石も——何ひとつ、なかった。石段は真新しい形のまま角が立っている。誰も踏んでいないのだ。何十年も、誰ひとり。
「……気持ち悪」
ドレッシングが小さく言った。
建物そのものは粗末だった。石を積んだだけの箱に、申し訳程度の屋根が乗っている。田舎の祠のほうがまだ手が込んでいる。
その正面に、聖印が一つ掲げてあった。
オタキラーが灯りを近づけた。
輪。輪の中に、交差する三本の線。線の端が、それぞれ違う形に処理されている。片方は葉のように広がり、片方は釘のように尖り、片方は途中で断ち切られている。
長い沈黙があった。
「オタキラー?」
「わい、こんな聖印は見たことないで」
男は、灯りを掲げたまま動かなかった。
「珍しいってこと?」
「ちゃう」
フードの奥で、青と翠の目が細くなる。
「どこの神さんでもない」
シンが眉を寄せた。
「大地の神ヴィルヴやったら麦や。天の四柱は四つの点で描く。海の神は波、鍛冶の神は槌、死を看取る神は伏せた眼や。わいは各地の祠も廟も見てきた。名の知れとらん土地神かて、必ずどこかの型を借りとる」
灯りが、わずかに揺れた。
「これは、どの型にも入っとらん。誰にも祈られたことのない印や」
「じゃあ何のために掲げてるんだ」
「そら」
オタキラーは灯りを下ろした。
「教会に見えるように、やろ」
その言葉を、ドレッシングは黙って聞いていた。
彼は建物の壁を、指の腹でなぞっていた。表情が、いつのまにか半笑いを失っていた。
◇
中は、拍子抜けするほど何もなかった。
祭壇の形をしたものが正面にあるだけで、長椅子もなければ燭台もない。石の床に埃が積もり、その埃の上に、乱れた足跡がいくつも残っていた。
「新しい」
ドレッシングがしゃがんだ。
「乾いてない。今夜だ」
「アンリたちか」
「三人ぶん。そのうち一人はやたら重い」
彼は指で埃の縁をなぞり、それから顔を上げて壁を見回した。
「……で、こいつらどこ行った」
部屋には扉がなかった。入ってきた正面口以外、どこにも。
「地下だよ」
「どうしてそう思うんや」
「だって、この建物、小さすぎるだろ。あれだけ立派な石段作っといて、中がこれって、変じゃないか」
ドレッシングとオタキラーが、同時にシンを見た。
「たまに勘が働くんよなあ、こいつ」
「勘だけで生きてるからな」
ドレッシングは立ち上がると、壁沿いに歩き出した。
手際に無駄がない。まず床の摩耗を見る。埃の積もり方が不自然に薄い箇所を探す。次に壁の継ぎ目を指で叩き、音の変わる場所を拾う。最後に、装飾のうち《動きそうなもの》を順に潰していく。
「盗賊ってのはさぁ。相手の考えることをなぞるわけよ」
三つ目の柱の根本で、彼の手が止まった。
「隠し扉なんてもんは、隠したい奴の都合でできてるわけ。人間のやることは似たり寄ったりなんだよ」
柱の側面に、掌ほどの円盤が嵌め込まれていた。
浮き彫りにされているのは、顔だった。
口を大きく開け、目を見開き、こめかみに皺を寄せて——叫んでいる。
ドレッシングの指が、その顔の縁に触れたまま、止まった。
ほんの一拍である。
だが、灯りを持って背後に立っていたオタキラーは、それを見た。フードの奥の目が、わずかに動いた。
「どないした」
「……別に」
ドレッシングは円盤を掴み、回した。
石が擦れる重い音。祭壇の裏で、床が沈んだ。
「開いたぞ」
「すげえ! ドレッシング、お前すごいな!」
シンが駆け寄る。
「盗賊なんだから、これくらいできて当たり前だろ」
胸を張った顔は、もういつもの半笑いに戻っていた。
◇
降りた先は、まるで別の建物だった。
地上のあの粗末な箱は何だったのか。
通路は広く、天井が高い。壁は磨かれた石が隙間なく積まれ、一定の間隔で燭台が据えられている。台座には彫刻まで入っていた。
誰も来ない場所に。
「金かかっとるなあ」
オタキラーが低く言った。
「上と下で、どっちが本体か分かるわ」
闇は、灯りの丸い光の外側で、どこまでも続いていた。
「あ、待って」
シンが手を挙げた。
「俺、やる」
「何を」
「灯り。二つあったほうが見えるだろ」
シンは掌を前に出し、目を閉じた。
息を吸う。
肩に力が入る。
「——〘宵灯〙」
掌の上で、光が生まれた。
白い、小さな球。
それは一度だけ大きく脈打ち、輪郭を保てずに滲み、細かく震え——ふっ、と消えた。
あとには、指先に残った微かな熱だけがあった。
「……あれ」
「あれ、やないわ」
オタキラーが横から手を伸ばし、懐からスクロールを一枚抜いた。指で封を弾く。乾いた音とともに、彼の頭上に安定した光の球が浮かんだ。
通路が、はっきりと照らし出された。
「一枚無駄になったやろが」
「今のは無駄じゃない! あと少しだったろ!?」
「あと少しの奴は光るんや。あんたのは温もっただけや」
「厳しくない!?」
「節約せんかい」
オタキラーが灯りを掲げ、通路の奥を照らした。
「あんたの術は高うつく。使えん術を使うより、使える奴に任せぇ」
「……はい」
シンが掌を握って開いた。
残っていた熱は、もうなかった。
◇
地下は迷宮だった。
通路は幾度も折れ、いくつもの分岐を作り、時折、意味の分からない小部屋へ突き当たる。
ドレッシングが先頭を行った。
彼は歩きながら床の石目を読み、壁の高さを見て、ときどき片膝をついた。
「止まって」
三度目の分岐で、彼の手が上がった。
「二歩先、踏むな」
「何かあるのか」
「石が一枚だけ新しい」
彼はベルトからナイフを抜き、切っ先で継ぎ目をなぞった。それから鞘ごと外した短刀を、その石の縁へ差し込む。
「持ってて」
「え、こう?」
「そう。動かすなよ」
ドレッシングは腹這いになり、石の下へ指を滑り込ませた。しばらく何かを探り、やがて小さな金属音がした。
「はい終わり」
「終わり!?」
「槍が出るやつだった。安っぽい」
彼は立ち上がって膝の埃を払った。
「金はかかってるくせに、罠は雑なんだよな、ここ」
その言い方に、オタキラーが小さく顔を上げた。だが何も言わなかった。
◇
歩くうちに、二人の口数が減っていった。
シンは気づいていない。通路の造りに感心し、燭台の彫刻を見上げ、時折「すげえな」と呟いている。
だが、ドレッシングとオタキラーは、別のものを見ていた。
扉の把手が、片方だけ長い。
左右対称に見える装飾が、よく見ると右だけ一枚多い。
三つ並んだ窪みのうち、中央だけが逆さを向いている。
どれも、崩れているのではなかった。わざと崩してあるのだ。整えられるだけの腕がある者が、整えないという判断を、いちいち下している。
開けても何もない仕掛け扉があった。仕掛けだけが精巧で、中は空っぽだった。
来客のいない地下に、豪奢な燭台が並んでいた。
「悪趣味だな」
ドレッシングがぽつりと言った。
「せやな」
オタキラーが答えた。
「けど、筋は通っとる」
二人はそれきり黙った。
シンが振り返る。
「なあ、二人とも。なんか静かじゃないか?」
「あんたがうるさいだけや」
「そうかなあ」
◇
通路は下へ、下へと続いていた。
石の冷たさが靴を通して上がってくる。地上の夜気とは種類の違う冷たさだった。風がなく、動かない。ここには季節がなかった。
やがて、前方の空気が変わる。
匂いだった。甘い、腐った果実に似て、しかし果実ではない。喉の奥に張りつくような、湿った甘さ。
「止まれ」
ドレッシングが手を上げた。
半笑いも、軽口もなかった。
「奥に何かいる」
オタキラーが灯りを前へ押し出した。
丸い光が、通路の先へ届く。届いた縁で光は闇に吸われ、終わっている。
その、光と闇の境目に。
三つの影が、立っていた。
いや、立ってはいなかった。片方の膝が折れ、上体が傾ぎ、それでも倒れずにいる。もう一つは腕が肩から不自然に垂れている。三つ目は首が横を向いたまま、正面へ向き直る様子がない。
ゆっくりと、前へ出てきた。
足を上げていなかった。引きずっている。
石の床を、何か柔らかいものが擦る音がした。
匂いが、濃くなった。
「シン」
オタキラーの声が、これまで聞いたことのない硬さになっていた。
「剣、抜き」




