第三話 礼儀正しい敵
ヴァルド邸は、坂の上にあった。
教会よりも高い場所に建っていて、街のどの家より窓が大きかった。硝子が惜しみなく使ってある。この街で硝子は、山向こうから運んでくるものだ。
シーザーは、門で名を告げた。
待たされたのは、十分ほどだった。
「どうぞ。旦那様がお会いになります」
通された先の応接間は、安宿とは違い外套がいらないほど暖かい。
外の風で耳が痛くなっていたのが、扉一枚で嘘のようになる。暖炉には薪が惜しげもなく積まれ、卓の上には銀の燭台が二対。まだ日が高いのに、火が入っていた。
「ようこそ。掛けてください」
卿は、立ち上がって迎えた。
礼を欠いたところは何もなかった。椅子を勧める手つきも、六人ぶんの席を用意させてあったことも、非の打ちどころがない。
「先日は、失礼をしました。あなた方は、もうパーティを組まれたそうですね。結構なことだ」
「本日は、お願いに参りました」
シーザーは、切り出した。
「西の古い区画に、旧資材庫がございます。登記の管理者欄に、貴殿のお名前がありました」
「ありますな」
「夜間、荷車があの路地へ入っております。この二か月で十七台。うち一台も、外門を出ていません」
「ほう」
卿は、ワインの器を持ち上げた。
「よく調べられた」
「中を、確認させていただきたい」
「お断りします」
迷いも、間もなかった。断ることを、あらかじめ決めていた者の速さだった。
「理由を、伺っても」
「理由は三つあります」
卿は、指を折った。
「一つ。あれは私の管理する建物です。中身も、出入りも、私の裁量です。街の役所へ届けは出しております。何か問題があるなら、役所が言ってくるでしょう」
二本目。
「二つ。荷車のことは、私も承知しています。あれは資材の移送です。坑道の支柱に使う古材を、あそこへ集めております。街の外から買い付けたものを、外門を通さずに市中で降ろすのは、通行税の話でしてね。褒められたことではないが、この街の商人は皆やっている。摘発なさりたければ、どうぞ役所へ」
三本目。
「三つ。これが最も大きい」
彼は、指を下ろした。
「あなた方は、七等の冒険者です」
部屋が、静かになった。
「この街で最も危険な区域は、大迷坑です。地下で人が死ぬたび、私の名前が出ます。倉庫を貸したのは誰か、資材を運んだのは誰か。……私は、責任を負う側の人間です。負う側の人間は、負わない側の人間へ鍵を渡しません」
「我々は」
「立派な志をお持ちだ。それは疑っておりません」
卿は微笑んだ。
「だからこそ、お断りするのです。何かあったとき、私が困る」
シーザーは、返す言葉を探した。
探して、見つからなかった。
言っていることは、どれも筋が通っている。役所へ行けと言われれば、行くしかない。責任の話をされれば、自分たちには背負う立場がない。
殴りたくなる相手のほうが、まだ楽だった。
◇
「しかし、意外ですな」
卿は、話題を変えるように器を置いた。
「あなた方のような若い方が、地下の心配をなさる。地下で困っているのは、ドワーフの連中でしょうに」
「街の話です」
「街、ね」
彼は、少し笑った。
「あなたは真面目な方だ、騎士どの。だから申し上げておきますが、この街は少し変わっておりましてね。人族が半分、ドワーフが三割、あとは寄せ集めです。誰が誰の面倒を見るという線引きが、どこにもない」
「線引きが要るとは思いませんが」
「思わない方は、たいてい線の内側にいる方です」
卿の視線が、卓を回った。
オタキラーの上を、素通りするように。
ドレッシングの上を、少し止まって。
そして、アミアンの上で止まる。
シーザーは、その止まり方を見ていた。
敬意ではなかった。値打ちを測る目だ。宝石商が石を見るときの、あるいは馬喰が馬の歯を見るときの目つきで、彼はアミアンの顔から肩、指先までを順に見た。
「エルフの方は、この街には長くいらっしゃらない」
「そうね」
「なぜだと思われます」
「気候かしら」
アミアンの返しは、平坦だった。
「なるほど。気候ですか」
卿は笑った。
その笑い方が、シーザーの喉を締めた。
「この街には、あなた方を守る仕組みがないのですよ。ギルドの規則も、教会の保証も、紙の上の話だ。実際に人を動かすのは、私のような者です。何かあったとき、あなたを助けに走る者が何人いるか。……一度、数えてごらんになるといい」
「兄さん」
アンリの声は小さかった。
シーザーは、握っていた籠手を、ゆっくりと開いた。
◇
帰り際、シーザーは玄関の脇で足を止めた。
壁に、古い絵が掛かっていた。
肖像ではない。街の絵だった。今より家の数が少なく、坂の上に建物がない。石を運ぶ荷車と、それを取り囲む人々が描かれている。人々は皆、背が低い。ドワーフだ。
その中に一人だけ、背の高い男が描かれていた。荷車の轅を握っている。
「先代の先代でございます」
見送りに出た老いた使用人が、静かに言った。
「竜が去ったあと、あの方が蔵をお開けになりました。麦も、材木も、鉄も、全部。この街の一階の石壁は、たいていあの頃に積まれたものでございます」
「……立派な方だったのですね」
「はい」
老人は、絵を見上げた。
「はい、あの方は」
それきり、彼は口をつぐんだ。
シーザーは、それ以上訊かなかった。
◇
ギルドで待っていたミルナは、三枚の紙を並べた。
「役所の写しです。ヴァルド家の権利の履歴」
「見せてくれ」
「一枚目は、復興期の記録です。採掘区画の一部と、川沿いの土地の管理権が、街の合議から与えられています。理由は、資材の供出と、坑道の再開削への出資」
「与えられた、と書いてあるのか」
「はい。買ったのではありません。街が渡したのです」
ミルナは、二枚目を重ねた。
「二枚目は、その三十年ほど後。同じ家が、街の職人組合へ融資を始めています。ここから性格が変わります」
「変わる?」
「担保です」
彼女の指が、細かい文字を辿った。
「返せなかった工房の設備と、倉庫の使用権が、順に移っています。二十年で十一件。手続きは、どれも正当です」
「……正当なのか」
「正当です。だから止まりませんでした」
三枚目。
「三枚目は、この十年です。倉庫、荷役、通行の手配が、一つの家に集まっています。街の物は、たいていどこかで一度、この家の帳面を通ります」
シーザーは、三枚を順に見る。
一枚目の男と、三枚目の家は、同じ名前だった。
同じ名前で、まるで違うことをしている。
「祖先を、悪く言えんな」
「言えません」
ミルナは、紙を揃えた。
「街の年寄りは、皆それを覚えています。だから、誰も強く出られないのです」
「もう一つ、いいか」
ドレッシングが、卓に肘をついた。
「あの屋敷、私兵が何人いた?」
「登録されているのは、八名です」
「八人?」
彼は眉を上げた。
「今日、門の前に四人、庭に三人、廊下の奥に二人いたぞ。門から見えないところにも、たぶん二人。……十一人以上だ」
ミルナの手が、止まった。
「増やしたのか、最近」
「届けは出ていません」
「届けの要る話なんだよな、それ」
「要ります」
彼女は、新しい紙を引き寄せた。
「記録します」
◇
その夜、ヴァルド邸の私室では、器が一つ割れた。
銀の燭台が倒れ、蝋が絨毯へ垂れた。使用人の娘が慌てて膝をつき、それを拭こうとして、頭の上を器の欠片が飛んだ。
「七等だぞ」
卿の声は、応接間のときとまるで違っていた。
「七等の小僧どもが、私の倉庫を検めさせろだと。あの騎士面をした男、どこの馬の骨だ。どこかの国のと言っていたな。国がどうした。国がこの街の何を建てた」
彼は、椅子を蹴った。
「エルフの女も、いけ好かん。気候ですか、だと。何様のつもりだ」
「旦那様」
控えていた中年の冒険者が、静かに言った。
「あの連中、資材庫まで辿り着いております。役所の写しも取っている」
「分かっている」
「時間の問題かと」
「……ふん」
卿は、割れた器の破片を靴の先で寄せた。
「まあいい。もう終わる」
彼は、袖の埃を払った。
「向こうも、あと一つで揃うと言っていた。届いたのだろう」
「本日、届いたそうです」
「では、今夜だ」
卿は、暖炉の火を見る。
火の中に、彼の欲しがっているものが映っているわけではない。彼は、まだ何も見ていない。地下に何があるのかも、それが何であるのかも、彼は薄い噂と家に残る古い書付から組み立てただけだった。
それでも、彼は確信していた。
この街の地下には、王国の秘宝があると。
「連中に伝えろ」
卿は、火から目を離さずに言った。
「今夜のうちに終わらせろ、と」




