第二話 地上から続く道
ドレッシングは、紙の束が嫌いだった。
鍵は開く。罠は外せる。壁は読める。だが紙は、めくってもめくっても、めくった数だけ増えていく気がする。
ギルドの二階の卓には、それが山になっていた。
「そもそもよ」
ドレッシングは、いちばん上の束を指で弾いた。
「これ、俺たちの仕事か? 依頼でもねえ。報酬も出ねえぞ」
「あの坑道で、アンリさんは死にかけた」
シンが言った。
「あそこがどういう場所か、俺たちは知ってる。そこに、武器も持たない連中が、子供を連れて入ってるんだ」
ドレッシングは、何か言いかけて、やめた。
「……坑道は、俺たちの仕事場だしな」
彼は、束を引き寄せた。
「妙なことになりゃ、食い上げだ」
「搬入記録が、月ごとに一冊です」
ミルナが、束の背を揃えながら言った。段の上に立っているので、卓の上が彼女の胸の高さにある。
「門の通行記録は、日ごとに一枚。荷車の台数と、荷主の名と、通した時刻が入ります」
「全部読むのか、これ」
「読みません」
ミルナは即答した。
「絞ります。夜の通行だけを見ます」
彼女の指が、一枚を引き抜いた。
「門は日没で閉じます。それ以降に通すには、届けが要る。届けの出ている荷車は、月に十台前後です」
彼女は、そこで一度、束の背を指でなぞった。
「増えたのは、この一年です。それより前は、月に三つか四つでした」
「十台か。それなら」
「そのうち、記録上の行き先が街の外になっているのに、翌朝の外門を出ていない車を探します」
ドレッシングの手が、止まった。
「……つまり、街の中で消えた荷車か」
「そうです」
「あんた、俺と同じ考え方するな」
「事務の仕事です」
ミルナは、次の束を引き寄せた。
「盗みの技ではありません」
◇
紙は、昼を過ぎてもまだ減らなかった。
シーザーが数字を読み上げ、アンリが日付を照らし、アミアンが荷主の名を控える。シンは半日で音を上げて、代わりにギルドの中を歩き回り、坑道帰りの冒険者を一人ずつ捕まえていた。
「そのへん、何か見なかった?」
「見たっつっても、あんた」
「夜の荷車とか。人が多かったとか」
「ああ、そういや」
シンの掴んできた話は、雑だった。雑だったが、数だけはあった。
石を運ぶ台車の音を、夜中に聞いた者。西の路地で、荷を担いだ列を見た者。三番坑の口の脇に、見慣れない木箱が積んであったと言う者。
ドレッシングは、その断片を紙の隅へ書き留める。
やがて、線が寄りはじめた。
夜に消える荷車。西の路地。古い区画。
「ミルナさん」
「はい」
「西のほうの、古い倉庫の名簿ってある?」
「街の登記になります。役所です」
「役所か」
「私が請求します」
ミルナは、もう別の紙を書きはじめていた。
「ギルドからの照会として出せば、二日ほどで戻ります」
「二日……」
「その二日で、地下を見てきてください」
彼女は顔も上げなかった。
「地上と地下は、どこかで繋がっています。両方から詰めるのが早いはずです」
◇
大迷坑へ入ったのは、翌朝だった。
手順は、もう体に入っている。灯りが前後で二つ。予備の油と火種は別々。チョークは十分。縄は担いでいる。
ドレッシングは先頭を歩きながら、分岐ごとに印を打った。
浅層で、最初の一群と当たった。
スケルトンが三体と、ゾンビが二体。前と同じ組み合わせだ。
「アンリ」
「はい」
いつもなら、そこで押し退けて、シーザーとシンが撃破する。
だが今日は、少し違った。
「——〘退骸〙」
光が広がり、五体が揃って半歩下がる。
シーザーが盾で押し込み、退路の脇へ寄せた。シンが剣を構えて踏み込みかけて——止まった。
「シン」
声をかけたのは、先頭のドレッシングだった。
「……ん」
「通るぞ」
「うん」
六人は、その脇を通り抜けた。
誰も、一体も倒していない。
アンリの術は、押し退けただけだ。彼女は光を長めに保ち、六人が全員通り過ぎるまで、杖を下ろさなかった。通り過ぎたあと、下がっていた五体は、また元の場所へ戻っていった。
ドレッシングは、後ろを振り返らない。
誰も、そのことについて何も言わなかった。
◇
中層へ下りたところで、空気が変わった。
「……暑くない?」
「暑いわ」
アミアンが、額に手をやる。
石を刳り貫いた細い水路が、坑道の脇を通っている。かつては地下水を逃がすための排水路だったのだろう。底には、いまも浅く水が流れていた。
その水から、湯気が立っている。
「温いぞ、これ」
シンが指を浸けて、すぐに引っ込めた。
「熱いのか?」
「熱いってほどじゃない。……風呂よりぬるいくらい」
「地下水が温むんは、下に熱があるっちゅうことや」
オタキラーが、水路の縁にしゃがんだ。
「温泉が出る土地なら普通のことやけどな。ここ、そういう話は聞いとらんで」
ドレッシングは、足元を見た。
水路の縁に、苔が生えていた。濡れて、ぬめっている。石の目が全部埋まって、足の置き場が読めない。
「渡るなら、気をつけろよ。ここ、滑る」
「では」
アンリが杖を掲げた。
「——〘堅歩〙」
足の裏に、温かいものが通った。
ドレッシングは試しに苔の上へ体重を移してみた。ぬめる感触はある。だが、足が流れない。踏んだところで止まる。
「便利だなぁ、これ」
「効果時間は短いですから、急いでください」
◇
それは、水路の下流で待ち構えていた。
赤い石かと思い通り過ぎようとした時、赤石が動いたのだ。
鉱殻蜥蜴より小さい赤色の蜥蜴だ。体の表面は鉱殻蜥蜴と違い、鱗の隙間が赤く光っている。炭火に似た光り方で、動くたびに、その隙間から熱が漏れた。
「……なんだ、こいつ」
「火脈蜥蜴よ」
アミアンの声が、いつもより硬かった。
「地熱のあるところにいるの。ずっと下の、深い層に」
「じゃあ、なんでここに」
「それが問題ね」
蜥蜴が、水路を蹴った。
速い。鉱殻蜥蜴のような重さがない。石を跳ねるように距離を詰め、口を開いた。
開いた口の奥が、紅蓮を思わせるほど赤く染まっている。
「散って!」
熱の塊が、通路を舐めた。
炎ではない。火柱でもない。ただ、熱い空気が壁沿いに走った。それだけで、ドレッシングの頬の産毛が縮んだ。壁の苔が、通ったところだけ白く枯れた。
「うわっちぃ!」
「あれ、正面から行けないわね」
アミアンが、レイピアを抜いた。
「みんな、下がって。水路の縁から離れて」
「一人で行く気か!?」
「一人で行くほうが速いのよ」
彼女は言い直さなかった。
代わりに、刃を横へ寝かせた。
「——〘氷刃〙」
細身の刃が、白く曇った。
霜だ。刀身の縁に、細かい霜が張っている。周りの空気が、そこだけ音を立てて縮んだ。
アミアンは、走らなかった。
構えたまま、一歩ぶんだけ体を沈めて——
「——〘雷駆〙」
消えた。
いや、消えてはいない。ドレッシングの目に残ったのは、銀色の線だけである。
彼女がいた場所から、蜥蜴のいる場所まで、一本の線。髪の色か、刃の色か、どちらとも分からない銀が、通路を真っ直ぐに裂いて、そこで途切れた。
熱の塊は、その線を追えずに空へと散っていく。
それを通り抜けた先で、レイピアが下から突き上がっていた。
鱗の薄い顎の下へ。霜を帯びた刃がそこへ沈み、赤く光っていた鱗の隙間が、内側から白く曇っていく。
蜥蜴は、二度だけ痙攣して、水路へ落ち、湯気がいっそう濃くなった。
「……いま、なにしたの」
シンが呆然と言った。
「速く動いただけよ」
アミアンは剣を引き抜いた。
引き抜いた右手の指先が、小刻みに震えていた。彼女はそれを一度握って、開いて、また握った。呼吸が、いつもより深い。
「なあ、それって——」
「熱を弱めてから刺したの。あれは冷たいものに弱いから」
「いや、そうじゃなくて、その、銀の——」
「オタキラー」
アミアンは、話を折った。
「この水、どこから来ているの」
「……下からやろな」
オタキラーは、湯気を手で扇いだ。
「上から流れてきた水が温もっとるんやない。温い水が、下から上がってきとる」
「下がおかしい、ってこと?」
「そういうことになるわ」
◇
二日後、ミルナが役所からの写しを持ってきた。
西の古い区画の登記。使われなくなって久しい建物が四つ。そのうち三つは、屋根が落ちているか、別の商会が資材置き場に使っている。
残りの一つに、ドレッシングの指が止まった。
「これ」
建物の記載は、そっけなかった。
旧資材庫。石造。地下あり。
「地下ありって書いてある」
「登記上は、そうなっています」
「使ってるのか、ここ」
「届けは出ていません。ただ」
ミルナが、別の紙を横に並べた。
夜間通行の記録だった。
「西の路地を通る夜間の荷車が、この二か月で十七台。行き先の記載は、いずれも街の外です」
「外門は?」
「翌朝までに出た記録は、一台もありません」
卓の周りが、静かになった。
「……十七台、街の中で消えたのか」
「消えたのではありません。どこかで降ろしています」
ドレッシングは、登記の紙をもう一度見た。
石造。地下あり。
「オタキラー」
「なんや」
「その荷車の轍、まだ残ってると思うか」
「土の路地やったら残っとるやろ。二か月ぶん重ねて踏んどるはずや」
「見に行こう」
◇
西の路地は、日の当たらない場所だった。
両側の建物が高く、道幅が荷車一台ぶんしかない。土は湿っていて、確かに轍が刻まれていた。それも、深く。
ドレッシングは、しゃがんで縁をなぞった。
「重い荷だ。何度も通ってる」
「石か、鉄か。……木箱やないな」
オタキラーは、轍の上に立って、懐から一枚抜いた。
封を弾く。
「〘透眼〙」
彼の目の前で、空気が薄く色づいた。
ドレッシングには何も見えない。だがオタキラーは、屈み込んで、轍の一点をじっと見ていた。
「……あるわ」
「何が」
「魔力の痕や。薄いけどな。荷車に、術の掛かったもんが乗っとった。それも一度やない。何度も」
「どこまで続いてる」
オタキラーは、轍に沿って歩いた。
路地を進み、角を曲がり、突き当たりまで。
突き当たりに、石造りの建物があった。
二階建て。窓は塞がれている。正面の扉は木で、そこだけ新しかった。錠前も新しい。
轍は、その扉の前で終わっていた。
「ここや」
オタキラーが、術の切れた目を擦った。
「痕は、この中へ入っとる」
ドレッシングは、扉を見上げた。
脇の壁に、小さな木札が打ちつけられていた。街の登記の札だ。風雨で色が褪せて、文字が半分読めない。
彼は、指で泥を拭う。
管理者の欄には、ヴァルドと記載されていた。




