第一話 ここは仕事場で、墓場だ
地上へ出たとき、日はもう傾いていた。
坂を上がるあいだ、ガレスは一言も口をきかなかった。
シンは、その背中に何度も追いつこうとした。追いつくたび、老ドワーフの歩幅がわずかに広がって、また離される。追わせているのではない。ただ、話す気がないのだ。
酒場に入り、いちばん奥の卓に六人が座り、ガレスがエールを頼んで、それが運ばれてくるまで、何も始まらなかった。
外は冷えている。扉が開くたび、床の高さを冷たい空気が這ってくる。暖炉の火はよく燃えていた。それでも、足元だけが寒い。
ガレスは杯を半分空けてから、ようやく口を開いた。
「何が訊きたい」
「全部です」
シンは即答した。
「あの人たち、街の人ですよね。子供までいた。あんな地下で、何をやってたんですか。あんたは、なんで知ってるんですか。なんで止めたんですか」
「一つずつだ」
ガレスは杯を置いた。
「順番を間違えると、あんたらは分かった気になって帰る。それがいちばん困る」
彼は、卓の上で指を組んだ。
「先に、この街の話からだ」
◇
「ドヴェルグスタッドは、この百何十年かで建った街じゃない」
ガレスは、そう始めた。
「この下には、もっと古い街がある。ドワーフの王国があった頃の、地方都市だ。地方の、鉱山の街だった」
「王国……」
「知らんか」
「聞きました。酒場で。王都がヴェルグヘイムで、竜がいるって」
「聞いただけだな」
ガレスは、それきり少し黙った。
シンは、その沈黙の意味が分からなかった。
「竜が来たとき、王都だけがやられたわけじゃない」
やがて、彼は続けた。
「街道も、鉱山も、地方の街も、順に潰された。ここもだ。足のある者は、山向こうまで走った。走れなかった者は——」
彼は、床を指した。
「下だ」
卓が、静かになった。
「坑道は、避難路になった。石で囲まれてるからな。実際、そこで助かった者もいる。だが、奥まで逃げすぎた者は出てこられなかった。崩れて塞がった場所もある。何日も待って、待ちきれずに」
ガレスは、そこで言葉を切った。
「……何日も、って」
「そういうことだ」
「じゃあ」
シンの喉が、乾いた。
「じゃあ、俺たちが坑道で倒してる、あれは」
「ここの者だ」
答えは、短かった。
「全部とは言わん。よそから流れてきたのもいる。だが、あんたらが浅いところで会う、背の低いのはな」
シンは、金槌を思い出す。
柄が朽ちて、頭だけが残っていた。その隣に、腰にも届かない背丈の胸当てが落ちていた。
オタキラーが「触らんでええ」と言った。
「拾わんでええ、って」
彼は、無意識に呟いていた。
「あんたの連れは、分かってたんだろう」
ガレスが、オタキラーを見た。
オタキラーは、杯の中を見ていた。
「よそ者にしちゃ、ものを知ってる」
「……長いこと歩いとるだけや」
「そうか」
それ以上、二人は何も言わなかった。
ガレスは、残りのエールを一息に空けた。
空けて、立ち上がる。
「ここから先は、口で言うより見せたほうが早い」
銅貨を卓へ置き、老ドワーフは扉のほうへ歩き出した。
「トルヴァンの店だ。ついて来い」
◇
武具屋の奥へ通されたのは、そのあとだった。
親方の家は、店の奥にそのまま続いていた。土間を抜けて、鍛冶場を抜けて、その先の板張りの部屋。
部屋の壁は、道具で埋まっていた。
「座れ」
親方は、六人を座らせると、奥から巻いた紙を持ってきた。
卓の上へ広げられた紙は、細かい描き込みがされた図面だ。
信じられないほどの緻密さで、坑道の枝分かれが、一本ずつ描き込まれ、そのそれぞれに数字が振ってある。
「うわ、すごい……」
「写しだ。元は焼けた」
親方は、指で図面の一点を叩いた。
「今あんたらが潜ってるのは、この辺だ。全体の、上から三つ目まで。ここから下は、もう地図がない」
「地図がないって、誰も行ってないんですか」
「行った奴は、帰ってこなかった」
彼は、別の紙をめくった。
「こっちが古いほうだ。王国の頃の坑道だ。上の街の道と、こっちの坑道と、線が合わないだろう」
確かに、合っていなかった。上の図と下の図では、道の走り方がまるで違う。
「上は、あとから建てた街だ。下の街の上に、そのまま乗せた」
「乗せた……」
「更地にしてから建て直す余裕なんぞ、なかったからな」
親方は、壁の道具を一つ外した。
鶴嘴だった。柄は新しく、頭は古い。継ぎ目のところで、金属の色がはっきり違っていた。
「頭だけが、王国の頃のだ。うちの婆さんの、そのまた親父のだと聞いてる」
彼は、それを卓へ置く。
次に、木箱を一つ持ってきた。
中には、金物が詰まっている。ねじ回し、鑿、鏨、名前の分からない工具がいくつも。どれも坑道の底から拾い上げたもので、錆が浮き、原形を失いかけていた。
最後に、親方は箱の底から一つを取り出して、卓の上に置く。
胸当てだった。
小さい。シンの腰にも届かない背丈の者が着る大きさで、留め具の位置が、人族のものとは違っていた。
「これは、坑道で拾ったんですか」
「貸してもらった、と言え」
親方の声が、そこだけ低くなった。
「持ち主は、まだ下にいる」
◇
誰も、しばらく口をきかなかった。
シーザーが、鎧の膝に手を置いたまま俯いていた。アンリは胸の前で指を組んでいた。ドレッシングは天井を見ていた。アミアンは、小さな胸当ての留め具を、じっと見ていた。
「……俺たち」
シンが、口を開いた。
「素材って言って、換金してました」
「そうだろうな」
「腕試しって言って、倒してました」
「そうだろうな」
ガレスの声には、責める色がなかった。
「怒ってないんですか」
「怒らん」
彼は、杯代わりの木のコップを傾けた。
「あれを片付けんと、誰も潜れん。潜れんと、街の飯が減る。ここは仕事場だ。そこは変わらん」
彼は、コップを置いた。
「ただな」
置いた手を、そのままにして。
「ここは仕事場で、墓場だ」
◇
「王都のほうは、どうなんです」
しばらくして、シーザーが訊いた。
「竜が居座っている、と聞いた。取り返そうという者はいないのか」
「いる」
ガレスは頷いた。
「毎年いる。金を出す者もいる。武具を送る者もいる。行く者もいる」
「では」
「城壁を越えた者は、まだ聞かん」
彼は、それきり王都の話をやめた。それがシンにも、はっきりと分かった。
◇
話が地下へ戻ったのは、親方が図面を巻き直したあとだった。
「で、あんたらが見たものだ」
ガレスは、鶴嘴の柄を握り直した。
「儀式の連中だな」
「はい」
「あそこは、王国の頃の祈りの広間だ。坑道じゃない。祭祀用の通路が別にあった。あんたらが開けた石扉は、その通路の坑道側の入口だ」
「別の入口があるってことですか」
「そうだ」
「じゃあ、あの人たちはそっちから」
「そういうことになる」
ガレスは、そこで初めてシンの目を見た。
「わしは半年ばかり、あれを追ってた」
「半年」
「奴らがいつからいたのかは、わしにも分からん。わしが気づいたのが半年前、というだけだ」
「妙な資材が運び込まれてる。掘った跡がある。武装してない連中の靴跡が、坑道の中に増える。ミルナのところの記録と突き合わせると、夜に荷車が動いてる。……それだけ集めるのに、半年かかった」
「そんなに前から」
「わしは冒険者だ。ギルドの職員でもなけりゃ、街の役人でもない」
彼は、鶴嘴を肩へ担いだ。
「勝手に人の倉庫を開けられん。だから足で稼いだ」
◇
「そういえば」
ガレスは、立ち上がりかけて、アミアンのほうを見た。
「あんた、『銀閃』だな」
卓の空気が、動いた。
「銀閃!? なにそれ。二つ名? あんた、そんなのあったの」
「アミアンさん、二つ名があるんですか!?」
「私は、初めて聞きました……」
アミアンは、五人の顔を順に眺めた。
眺めて、それから、ガレスへ向き直った。
「どこで聞いたの」
「東のほうだ。名前は覚えてない。だが、そういう仕事をする奴がいると聞いた」
「そう」
彼女は、それだけ言った。
「それより、資材庫の話よ。夜に荷車が動いているなら、記録が残っているはずでしょう。ギルドの搬入記録と、街の門の通行記録は照らせるの」
「照らせる」
「なら、明日そこからね」
二つ名の話は、それで終わった。
シンが「なあ、銀閃って」と言いかけたが、アミアンはもう別の話をしていた。
◇
外へ出ると、風が変わっている。
坂を吹き上がってくる風に、夜の冷たさが混じっていた。坂の下から、まだ鎚の音がしている。
ガレスは、扉の前で足を止めた。
「一つだけ、先に言っておく」
六人が振り返った。
「あんたらが見たあれは、ただの集まりじゃない」
「分かってます。儀式でしょう」
「誰を拝んでるかの話だ」
老ドワーフは、坂の下の暗がりを見ていた。
「地下にいたのは、アシュタロスを拝む連中だ」
シンは、聞き返さなかった。
聞き返せなかった、というほうが近い。酒場の隅で誰かが言いかけて、飯がまずくなると止められた、あの名前だ。東でまた何かがあったという、あの名前だ。
シーザーの手が、剣帯の上で止まっていた。
「……なぜ、半年も黙っていた」
「祈っとるのは、街の善男善女だ」
ガレスは、こちらを見なかった。
「中心にいるのは、あの聖母さまだ。証拠もなしに『アシュタロス教団だ』と言ってみろ。街が、真っ二つに割れる」




