被害者④ 病人
いったい、ぼくはなにを間違えたのだろうか。
ぼくがなにも間違えていないんだったら、どうして柏は死ななければならなかったのか。
毎日が休日であるぼくは、暇だったので事件現場に赴いた。
ふらふらと、身体を左右に揺らしながら。
「…………………………懐かしい」
現場は、過去に親しくしてくれた刑事さんの家の目と鼻の先にあった。おじさんは、もう警察を辞めてしまったようだけれど――ぼくのことは、覚えているだろうか?
最後に会ってから、すでに六年以上経っている。さすがにぼくのことを覚えてはいないかもしれない。
挨拶でもしようかなと思っていたけれど、やめておこう。気分も乗らないし。
おじさんの家に背中を向けて、ぼくは帰宅することにした。
それから、しばらくして。
「こんばんは」
「…………………………」
夜中、小腹が空いて立ち寄ったコンビニにて、ぼくはとある人間と鉢合わせた。
「芹梨さん」
「覚えていてくれたんですね。あれ、喋れるじゃないですか」
なにかを話す気力が湧かなかったため、警察の前ではなにも喋らずにいただけだ。しかし、どうして警察を辞めたはずの芹梨さんがそれを知っているのだろうか。
どうでもいい。
「なにか奢ってください」
「じゃあ、二百番のキャメルでいいですか?」
「タバコは要らないです」
未成年にタバコを買ってあげる元警察も、元警察にタバコをせがむ未成年もおかしい。
しかし、ぼくがそれを指摘しても、芹梨さんはその『おかしい』にいまいちピンときていない様子だった。
倫理観と常識と社会性を見事にドブに捨ててしまった人間を反面教師として、今日も一日をやり過ごそう――ぼくはそう決意を新たにした。
「一緒に、ピザまんを食べましょう。飲み物も買ってあげます」
「…………………………ありがとうございます」
やけに親切にしてくれるけれど、なにか裏があったりするのだろうか。
いや、今日ここで会ったことはただの偶然だ。単なる芹梨さんの気まぐれだろうと結論を出す。
「飛び級でハーバードを入学卒業して、総合試験に受かって、十八歳で警察になった私ですが――」
いつの間にか、人生の先輩が自分語りを始めてしまったので、聞き流しながらこんがらがった頭の中を整理する。
どうして、ぼくはこんなにも落ち着いているのだろう。
柏が殺された。
それなのに。
「とある事件で小晴さんという女子高校生が人を殺してしまいまして――」
ぼくは、なにも悪くない。
ただただ犯人が悪いだけだ。
こんなにも理不尽な目に遭ったのに。
「女子高校生の親友に柚子さんというかたがいて、その人も意味分かんない理由で人を殺してしまいまして――」
今思えば、ぼくを取り巻く環境はすべてが理不尽だ。
天才が幼馴染で、幼馴染がレイプされて、精神を病んでぼくが面倒を見て、でもぼくは上にいたのに落ちてきた彼女の面倒を見るのが苦じゃなくて、しばらく経ってぼくも同じ目に遭って、今度は面倒を見てもらって、そのあとすぐに柏が殺されて。
世界でもっとも波乱万丈と言って差し支えない人生だ。
「挙句の果てに、彼女は殺人鬼一賊に自殺を依頼してしまったんです――」
幸の薄い人生だ。
…………だから、なのかもしれない。
「でも、殺される直前で私が柚子さんを助けました――」
ぼくはもう、なにもかもを諦めている。
多分、ぼくは理不尽に慣れてしまったのだ。
不当が当たり前になってしまったぼくに、絶望する余地などない。
心が枯れてしまったのかもしれない。
「………………聞いてませんね?」
「あ、バレました?」
自分語りを聞き流されていたことに大して怒った様子もなく、芹梨さんはずっと微笑を崩さなかった。にやけている、へらへらしている、といった類のマイナスな笑顔。不気味でも、人間味は十分あった。
「やっぱり、あなたは柏ちゃんの前で泣くべきじゃなかったんですよ」
「………………………………」
なにも知らないくせして、分かったような口ぶり。
「あなたはもう少し、理不尽に抵抗するべきでした」
「…………………………」
ぼくの『理不尽』の中には、芹梨さんもきちんと含まれているのだけれど。
「これから、どうするつもりですか?」
どうして芹梨さんはそんなことを気にするのだろうか。贖罪でもしたいのか? 少なくとも、彼女の償いを受け入れるつもりは一ミリもない。
「芹梨さんには関係のないことです」
「いいえ、あります」
やけに力強く、芹梨さんはそう言った。どうして関係があるのかはさっぱり分からないが、そこまで堂々と言われると、なんだか本当にそうなのかもしれないと思ってしまう。
「ヒップホップが好きなら、ラッパーになるのはどうでしょう? あなたのバックボーンは唯一無二ですよ」
「音楽には興味がないんですけれど……………………」
正直、柏のいない将来のことなんて、考えたくもなかった。
というか、考えられなかった。
「じゃあ、警察になるのは?」
「はあ?」
ラッパーの対極みたいな職業が出てきた。
「無理ですよ。ぼく、正義感とかないし」
「私もありませんでしたよ?」
「だから辞めることになったんでしょ」
「確かにそうですね」
ダメじゃないか。
「でも、あなたは警察向きですよ。薄幸どころか不幸にすら慣れてしまったあなたにぴったり」
警察がとんでもなく闇深い仕事であることだけはなんとなく理解した。
……………………警察か。
考えたこともなかった。
「じゃあ」
ふと気になって、ぼくは訊いた。
「芹梨さんは、どうして警察という職業を選んだんですか?」
正直、誰にも感謝されなさそうな仕事なのに。
大人にも子どもにも嫌われるだろう。
「そうですね――」
芹梨さんは、どう答えるか迷っているようだった。理由を捏造するか、正直に答えるかの二択。
迷った末に芹梨さんは、正直に答えるほうを選んだらしい。
「私の両親は車に轢かれて死にました。信号無視だったそうです」
交通事故か。
「車の運転手は、自らの犯した罪の重さに絶望し、自殺しました。要するに、逃げたんですよ」
微笑は崩さないまま、芹梨さんは自分語りを続ける。
「幼かった私は、両親を殺した運転手への怒りでいっぱいでした。でも、その運転手に罪を償わせる方法はもうない。死んだ人間にできることなんて、ないんですから」
「……………………そうですね」
死んだ人間にはなにもできないし、死んだ人間になにかしてあげることもできない。
死ねば終わりだ。
「被害者が自殺する分にはかまいません。可哀想ですし、死んで楽になるくらいのことは許されてもいいでしょう。でも、加害者が死んで楽になることは、絶対に許したくない」
それが、芹梨さんの動機か。
ただの人外だと思っていたけれど、彼女のありかたにきちんとした理由があることに驚いた。
「その犯行にいかなる理由があろうとも、犯人は罪を償うべきなんです」
「そうですね」
しかし、この世界に完璧なシステムは存在しない。罪を犯した人間が捕まらなかったり、罪のない人間が冤罪で捕まったりするというケースも存在してしまう――だから、結局。
「理想論ですね」
「もちろん」
理想的でしょう――芹梨さんは、なぜか自慢げに言った。
「理論よりかは理想のほうがいいですよ」
それが本当に理想論であることは、火を見るよりも明らかだった。都合のいい妄想と言い換えられるレベルのしょうもなさだ。
現実が見えていない。
大人のくせに。
「ピザまん、冷めちゃいますよ」
「あ」
話に夢中になって、食べるのを忘れていた。せっかく奢ってもらったので、無駄にするのはもったいない。冷めたピザまんもそれなりに美味しかった。冷めていないほうが絶対に美味しかっただろうけれど。
「ありがとうございました、奢ってくれて」
「いえいえ。私は大人ですから」
正直、そんなふうにはあまり思えなかった。あまりにも、か。
大人なのに、大人っぽくない。子どもでは絶対にないが、大人とはどうしても思えない。
新種の生物なのかもしれない。ヒト亜族には含まれるだろうが。
芹梨さんと別れると、ぼくはふらふらと平衡感覚を失いながら歩いていた。バランスが取れなくなった原因は、一週間くらい前に突然パニック発作を起こしたぼくが暴れたせいで左目を損傷したからである。暴れていたせいで、手術も無駄に終わった。
今は眼帯をしている。
「……………………」
芹梨さんは、一度もぼくの眼帯について言及しなかった。
元から知っていたのかもしれない。
誰から訊いた?
…………本当に、偶然だったのか?




