刑事③ 人外
芹梨がいなくなってから、この中西警察署の雰囲気はかなり和らいだ。
過労死や健康上の問題による退職が減少し、やらなければならない仕事の数も少しはマシになった。書類仕事を嫌がっていた芹梨は、そのすべてを上手く他人に押し付けていたのだ。
しかし、芹梨はもうこの署にいない。彼女は、警察を辞めたのだ。
芹梨の同僚や上司、部下はみんな喜んだ。
だが――警察大学校時代の同期の中には、彼女と仲のよかった人間もいたそうだ。
「澄美ちゃんには無理だろうなって思ってましたよ、正直」
「………………そうなん?」
東城木船警部――来月から中西警察署に異動してくる上司。
芹梨の同期である彼は、誰よりも彼女のことを理解しているようだった。
「あの子に道徳や倫理観は存在しないけど、それでも人の心がないわけじゃないんです」
「…………………………」
人の心がないわけじゃない…………? とてもそんな風には思えないが。
芹梨の中に少しでもソレがあれば、少なくともあんな方法で被害者から情報を引き出したりはしないはずだ。
「行動と感情を完全に切り離せる人間がいるってことですよ。まあ、それでも限度はあったでしょうけどね。澄美ちゃんはきっと、限界を感じて警察を辞めたんでしょう」
警察になる奴なんて、たいていまともじゃない。
だから、感情がないような人間なんてのも、別に珍しくはないわけだ。
酷い現実を見てきたから、酷いことに躊躇がない人間だって、当然のようにいた。
しかし――感情があるのに、酷いことに躊躇がない?
「犯人逮捕のために必要だったら罪悪感を抱きながらも躊躇せずに人間を壊す、みたいな奴なんですよ」
みたいというか、そのままだった。
「そんなこと……………………」
「あるんですよ。あの子には、目的のためになんでもできるくらいしか取り柄がないんです。情報ナシで犯人を推理できるほど頭が良いわけでもないし、腕っぷしも弱い」
情報ナシで犯人を特定できる人間が刑事なんかやっている場合じゃないだろう。
ただの超能力者じゃないか。
「俺も人のことは言えないけど、わざわざキャリアが刑事を続けて、昇進も断って…………、頭の良い人間がすることじゃあないですよ」
「……………………まあな」
それはそうだ。
芹梨は、あまりにも例外的すぎる。
これ以上彼女の話を聞いていても、ただただ不快になるだけだった。
俺は話の流れを変えるため、東城に質問を投げかけた。
「そういえば、アンタはどうして現場に残ってるんだ?」
「え、俺ですか?」
ほかに誰がいるんだ、と突っ込むことはしなかった。一応、年下でも上司相手なのだ。
「そんなの、本庁勤めよりも向いてたから以外ないですよ」
事件は、十月二十日の夕暮れに起こった。
十七歳になったばかりの女子高校生が、何者かによって殺害されたのだ。
被害者の名前は――沙藤柏。
それは、五年前の十月二十日、当時大学生だった二十代の男から性暴力の被害に遭ったことで、長らく精神を病んでいた子だった。
「沙藤柏のご遺体はどんな状況だった?」
「鈍器のような物で頭を強く殴打されてます。それ以外に外傷はありません。あと――」
今回の事件、殺害方法では犯人を絞れないそうだ。なにしろ、『鈍器のような物』に該当する、凶器に使われたであろう物が付近には多く散乱していたのだから。
事件現場はとある閑静な住宅街の道路である。地面はボロボロで、四十センチ以上あるアスファルトの破片も現場からは見つかっている。また、被害者の死亡直後に雨が降り、証拠が洗い流されてしまったため、情報があまりにも少なすぎる。
「……………………」
それにしても、沙藤柏が殺されるとは。
五年前、性被害に遭った直後の彼女に無断で接触した芹梨は、被害者を追い詰める形で情報を引き出し、犯人を特定して事件を解決させた。
――いや、解決は未だにしていないか。
芹梨の非道が、被害者の壊れた原因であることは疑いようもない真実だった。
犯人に罪を償わせることはできた――しかし、あの事件は永遠に解決しないのだ。
「………………ということで、なんか知ってることはありますか?」
現在、俺たちはある人物に事情を聞いていた。
数ヶ月前のメイル・レイプ事件の被害者であり、被害者である沙藤柏と親しかった少年――疚田英愛。
「…………………………………………」
彼は、この取調室にて沈黙を保っている。
呆けているようで、こちらと目が合わない。
どうやら彼は、突然に愛する人間を失ったことで、正気を保っていられないようだった。
聴取を担当する時任巡査部長が必死に話しかけても、彼はピクリとも動かない。
ただでさえこないだの事件で芹梨に壊されかけていたのに、今回の事件で少年の心は粉々に砕かれた。もう二度と、戻れないかもしれない――そう思うと、彼に同情の念を抱かずにはいられなかった。
しかし、俺たちは刑事である。
邪魔な感情は切り捨てなければならない。
事件解決のために。
「英愛くん、なにか些細なことでもいいんだ」
「……………………」
相変わらず返事はない。
まあ、彼からなにか有力な手がかりが引き出せるとは思っちゃいないが。
犯行方法の手軽さから、おそらく犯人は衝動的に今回の殺人を行ったと思われる。
現場からは消えていたが、道路状況を見るに凶器はまず間違いなくアスファルトの破片だ。たった一撃で被害者を即死させたことから、犯人はある程度力の強い人間――すなわち男性であると結論付けられる。とはいえ、様々な状況を考慮しなければならないので、犯行が計画的であったり、凶器が別の鈍器であったり、また犯人が女性であったりする可能性も捨てることはできない。
さて、絞れたのは性別だけだ。
沙藤柏と事実上の同居関係にあった疚田英愛の母親の話を聞く限り、柏ちゃん(関わりのない人様の娘をちゃん呼びはちょっとキモいか?)は家から片道十分くらいの距離にあるスーパーマーケットに行っていたと思われる。どうやら、おつかいを頼んでいたらしい。
そして、スーパーの防犯カメラで死亡直前の柏ちゃんが確認された。
卵コーナーでLサイズの卵を手に取る様子も、レジでお金を払っている様子も、しっかりと映されていた。
しかし――それだと、おかしい。
それならどうして、犯行現場に卵が残っていなかった?
防犯カメラの映像だと、柏ちゃんは買い物を終えたのちに殺害されている。
だったら、卵は現場に残されていたはずだ。
つまり犯人はわざわざ、卵を現場から持ち去った――いったい、なんのために?
卵が犯人に繋がる手がかりだったりするのか?
人をぶっ殺す系のひったくりなのか?
…………捜査に行き詰まるというのは、久しぶりかもしれない。
前までは、芹梨がだいたいの事件を解決していたのに。
当日以内に犯人特定が済まなかったことなんて、ほとんどなかった。
そう考えると、芹梨は優秀な刑事だった。研修時代、道警でもっとも優秀な刑事という二つ名を得ていたらしい彼女がいない刑事課は、思ったよりも弱体化しているのかもしれなかった。
内心そんなことを思っていると、仕事用の携帯に電話がかかってきた。
「………………東城?」
年下の上司である刑事課長こと東城からの連絡。
なぜだか、胸騒ぎがした。
『多村巡査部長。今、平気ですか?』
「平気だが、どうかしたのか…………?」
『今すぐ署長室に来てください。お願いします』
「え」
署長室に呼び出されるって、俺なにかしたっけ?
不安で心を満たしながら、とりあえず上司の指示に従った。ここで逆らうほうが怖いからだ。
指定場所に到着したので、一応「失礼します」とほぼないに等しい礼儀をアピールしながら入室した。
中にいたのは、署長、副署長、そして刑事課長――東城だった。
「来たか、多村」
「えっと…………?」
これはどういう集まりなんですか、と訊こうとしたタイミングで、先に部屋の壁と床を響かせたのは東城の声だった。
「ここだけの話なんですが…………………………」
続けて、東城はとんでもないことを言い始めた。
「澄美ちゃんを呼び戻します」




