刑事② 人間
警察は常に後出しじゃんけんをしています。
後出しは反則なので、私たちに勝ち目はありません。
被害者は、被害を受けた時点で脱落しています。私たちも、被害者を守れなかった時点で負けています。だから、私たち警察は犯人を脱落させるために動きます。
敗北以外の結末がひとつもない、最悪な仕事です。それでも、誰かがやらなければならないのでした。
被害者から感謝はされません。なぜなら、被害者はすでに被害を受けているからです。
犯人から感謝はされません。犯人は、私たちのせいで自分の人生が終わったと思っているからです。
同僚から感謝はされません。私が、被害者を追い詰めて潰していくからです。
上司から感謝はされません。私が、被害者を殺してしまうからです。
後輩から感謝はされません。私が、なにも教えないからです。
被害者家族から感謝はされません。私が、被害者を潰したからです。
加害者家族から感謝はされません。私たちが、加害者を終わらせたからです。
どうして、犯罪がなくならないのですか?
自分が不幸なら、他人を不幸にしてもいいのですか?
報われないからって、人に理不尽を押し付けてもいいのですか?
運が悪かった。環境が悪かった。仕方なかった。人のためだった。それ以外に道はなかった。
そんなの、ただの言い訳です。
薬物を売ってもいい理由にはなりません。
人を殴ってもいい理由にはなりません。
あなたの大事な人が馬鹿にされたからって、目の前の馬鹿を殴っていい理由にはならないんですよ。
「だから、もうやめてください」
私は、私を冷たい目で見下ろす大男に対しても、冷静に対応します。
心の中はパニックで覆われていて、対応を一歩間違えれば即死というこの状況。
きっと、私はなにかいけないことを言ってしまったのでしょう。
この大男は、私が聴取を担当した被害者の遺族です。私のせいで自殺した被害者の遺族、と言ったほうが正しいでしょうか?
ひとり娘だったそうです。
「お前のせいで、お前のせいで…………っ!」
あ、そうか。彼は、私が被害者を自殺させたことに対して怒っているのか。
ようやく状況を理解した私は、どうすればいいのか考えます。完全にプライベートを狙われたので、武器も持っていません。衝動的な犯行でしょうし、この大男はすぐに捕まることでしょう。
私が、また人を不幸にしました。
でも今回は、彼が悪いです。
そう思える脳みそがあればよかったのに。
「…………………………」
自分の顔が今どうなっているか、想像したくもありません。鼻が折れているのは自覚しています。酷い顔になっているでしょうが、このまま死ねばこの顔はエンゼルメイクで直してもらえるでしょうか?
この状況で私が自覚してしまったのは、自らの希死念慮でした。
いや、死にたいわけではないのです。
だけど、ここで殺されるのは仕方ないなという私の諦めは、死にたいという願望とほとんど同一でした。
同位置でした。
痛みを感じません。
喋る気も起きません。
やり残したことはありますが、やりたいとは思っていません。
私は瞼を閉じて、静かにその時を待ちました。
「芹梨係長。怪我の具合はどうですか」
どうせ生き延びるんだろうな、と思っていました。そのとおりになりました。
年上で先輩の部下が、少しだけ心配そうな顔をしてくれていました。今、私の顔はどうなっているのでしょう?
「敬語、使わなくてもいいですよ」
彼の質問をスルーして、私は年配を敬いました。
私は敬語を使われるのがあまり好きではありません。嫌いなら、もう少しぞんざいに扱ってくれてもいいのに。
「……………………了解」
「犯人はどうなってます?」
「反省も後悔もしていないそうだ」
「でしょうね」
少し可笑しかったですが、私は笑いませんでした。
この状況で、笑う必要性がないと判断したからです。
「最初の質問ですが」
ふと気になったので、私は訊いてみることにしました。
「同じ質問を返します。鏡がなくて、自分の顔がどうなっているのか分かりません」
「酷い有様」
彼は、たった四文字で説明してくれました。将来は良い教官になれるだろうなと先輩の明るい未来に心の中で感涙しながら、私はなんとなく考えました。
もう限界だ――と。
自分のせいで犯人が増えてしまいました。私は、新たな犯罪者を生み出してしまったのです。
もう限界でした。
犯罪を減らさなければならないのに、警察は犯罪が起こってからでないと動けません。
そもそものシステムが破綻しています。
犯罪の数だけ犯人が増えて、犯人の人生を完膚なきまでに壊しても、また犯人は現れます。警察は人間なので、すべての事件に対応できるわけではありません。
だったら、私がしていることの意味はなんですか?
犯人を潰すのが、私の目的です。でも、それはたまにでいい。
犯人を潰す数だけ、被害者も潰さなければならない――それなら、犯人を潰さない代わりに被害者も潰さないほうが、まだ心が楽です。
被害者から、新たな犯人が生まれるかもしれない。
だったら、この仕事をしている意味はなんですか?
せいぜい一ヶ月に一回くらいでいいのに、どうしてこんなに多いんですか? 胃もたれがします。
だからもう、やめます。
これ以上は過剰摂取です。
私の欲求のために被害者が増えるのは、もうこりごりなのです。
退院したら、辞職しようと思います。
「私は電話が使えないので、あなたから署長にそう伝えてもらえますか?」
「……………………」
その顔、なに?
私が初めて逮捕に失敗した二週間前のメイル・レイプ事件。
被害者は、過去に私が解決した性犯罪事件の被害者と親しい少年でした。
犯人の男は、犯行の数時間後に自室で首を吊って自殺しています。
犯人が罪から逃れ、少年には消えない傷が残った痛ましい事件――その時点で、私はすでに仕事をやめようと考えていました。私は被害者である彼を追い詰めて、情報を得ました。しかし、犯人はとっくに死んでいた――私のしたことは、ただの無意味なセカンドレイプにしかなりませんでした。
あの行動に意味がなくなった瞬間、私の心は悲鳴を上げました。
今までは、被害者を追い詰めて手がかりを得る行為が、犯人逮捕によって報われていました。被害者が私のせいで自殺したりしましたが、それでも犯人を逮捕して罪を償わせることには成功したのです。
しかし、今回はなにもかもに失敗しています。
少年は聴取の時、自分が泣いていることに気付いていませんでした。自身への無頓着は、彼が着々と壊れている証拠です。おそらく、今ごろは大変なことになっているでしょう。笑えません。
犯人は罪を償わずに済みました。アパートで首を吊ったため、周囲にも迷惑をかけました。あの男はなにも遺さなかったため、少年やその家族は損害賠償請求をすることすらできず、ただただ傷付けられただけで終わりました。
私は、犯人を逮捕することができず、被害をよりマイナスにしました。
救いがなにもない。
少なくとも、被害者の彼が壊れた責任の一端は私にあります。それに、私が優しい刑事だったら、彼を少しでも癒してあげられたかもしれません。
自業自得です。
これ以上、自業を自得したくありませんでした。
しかし、私は一度思いとどまります。
たった一度の失敗で逃げるだなんて、格好悪いと思ったからです。
でも、それは幼稚な理由でした。
稚拙でした。
拙かったせいで、その理由はどうでもよくなりました。
だから、もうやめます。
「お世話になりました」
部下にも上司にも嫌われているので、職場に思い入れはありませんでした。
ですが、この仕事にはたくさんの思い出があります。
過去に担当した、殺人未遂事件。自殺願望者が殺人鬼に依頼をして殺されようとしていたので、そこを私が助けたのです。被害者を追い詰めるのではなく助けたのは、あれが最初で最後のことでした。
救えはしませんでしたが。
『芹梨さん、どうして死なせてくれなかったの!?』
『仕事ですから』
死のうとした彼女には、親友がいました。その親友は、人を殺して捕まっています。
それ関係で色々あって死のうとしたみたいです。恋煩いなので、私にはあまり理解できませんでした。
でも、印象的でした。
『小晴と何十年間も会えないだなんて、私には耐えられなかったんです。死んで、なにも思わなくなっちゃえば、もう苦しまなくても済むのに』
死ねば、なにも思わなくなる。
この一言が、今の私の希死念慮に繋がったのかもしれません。
死んでもいいや。死にたくないけど。
だって、死んでもなにも思わなくなるだけだし。




