刑事① 人間と人外
道警でもっとも優秀な刑事を問われた警察関係者は、まず間違いなく芹梨澄美警部補の名を挙げるだろう。
国家公務員総合職試験を合格し、キャリアとして警察庁に採用された彼女は、警察大学校でもトップの研修成績を叩き出して卒業した。のが、今の彼女である。
身体能力についてはからっきしだが、それを踏まえても彼女が優秀であることに変わりはない。
未だ道警において研修中の身でありながら、全国にその名が知れ渡っている彼女。
その理由は、単純である。
「………………尿検査を受けてもらえますか?」
「俺は絶対にやってないです。だからやりません」
取り調べを受ける中年の被疑者と、研修中の若い女性警官――という図。
彼女――芹梨は、面倒くさそうな顔を隠そうともせず、後ろの席で調書を取っていた俺に対して言った。
「はあ。なんでこんなのが刑事課の仕事なんですか」
「……………………」
ここで、『文句を言うんじゃねぇ!』と大きい口を叩くことはできない。
彼女は、俺より何倍も優秀な刑事なのだ。研修中で、正式な刑事ではないにもかかわらず。
「瞳孔を見れば一発で分かるのに、どうして証拠なんて求めるんですか。任意同行だし、もう帰らせてもいいでしょう。強制採尿で後悔するのは彼ですよ」
「…………ここでコイツを帰せば、一般人に被害が及ぶ可能性もあるだろう」
ようやく口を開けたが、芹梨はそんなことを考えるタイプの人間ではなかった。
「だったら、そうなったときに捕まえればいいじゃないですか」
根本的に分かり合えない人間は、どの職場にも必ずいる。
しかし――芹梨と分かり合える人間なんて、いないんじゃないか?
人として終わっている。倫理観があまりにもなさすぎる。犯罪者も被害者も、同等に人として見ていない。
どうして警察になれたのか以前に、どうして警察になろうと思ったのかが分からない。そんな考えで警察を志望できるのはある種の才能なのかもしれなかった。
正義感がまるでない。
ただ、仕事としてすることをするだけ。
正直なことを言えば、俺は芹梨のことが本当に嫌いだった。
「小学五年生の児童が乱暴された事件がつい最近あったらしいんですけど、どうして私はそれを知らされていないんですか?」
「………………」
誰かが、コイツに情報を漏らしたのか。
舞台は雨の日、小学校の近く。
被害者は、沙藤柏という十歳の少女。一週間後に、十一歳の誕生日を迎える。
犯人は見つかっていない。
被害者の事情聴取は難航している。事件のことを思い出すと、精神的に不安定になってしまうのだ。
「小学校の近くなのに、どうしてこんな痛ましい事件が起こったんでしょう。気になりますね」
「…………………………」
「もしかして、犯人は先生かも? 同級生って線も考えられますかね?」
本当に、心の底から黙ってほしかった。
「ねぇ、どうして私はなにも知らされていなかったんですか? 性犯罪被害者への対応は女性警官の仕事でしょう?」
自分の言動の最悪さに無自覚すぎる。複雑な事件の真相はすぐに導き出せるのに、どうして自分のことはなにも分からないのだろう。客観視という機能が脳に備わっていないのでは?
嫌味を言ってやりたい気持ちに駆られたが、そんなことをしても犯人は見つからない。
芹梨は、なにも悪くないのだから。最悪なのに。
「お前はまだ研修中だ。ほら…………、こんな酷い事件だから、お前には任せられないだろう」
「先月の連続猟奇殺人事件をもう忘れたんですか? 私、犯人と一対一で対峙しましたけど」
俺は、なんとしてでも芹梨をこの事件に関わらせたくなかった。
彼女は、犯人を捕まえるためになんだってする。
被害者を徹底的に追い詰め、欲しい情報を手に入れた途端に捨てる。フォローもなにもなしに、『犯人は捕まえられたんだから、別にいいでしょ?』という顔をして。
三ヶ月後。
「犯人は、他腹江繰という大学生です」
突如として、彼女はその名前を口にした。
沙藤柏は、なにも喋らなくなった。
彼女の幼馴染である疚田英愛の傍を片時も離れず、そのほかの人間を拒絶するようになった。
食事はすぐに吐いてしまう。
常に涙を流している。
喋りかけても、反応はない。
家族すら受け入れない。
時々、声にならない声で発狂する。
無自覚に、自傷し始める。
そしてそういう症状は、一年後に綺麗さっぱりなくなった。
代わりに、彼女は年を取らなくなった。
心だけ。
「芹梨」
「どうしたんですか?」
まるで、本当になにも知らないというような顔で、心当たりは本当になにもない。
一年前に起こった事件にて、芹梨は犯人を特定した。
どんな方法を使ったかは不明だが、彼女は証拠すら用意してみせた。仕事の合間で、勝手に捜査していたのだ。
だからおそらく、芹梨は接触したのだろう。
事件の被害者――沙藤柏に。
「お前は、柏になにをしたんだ?」
そんなことが聞きたくて呼び出したんですか、と芹梨は予想外な顔をした。表情が分かりやすすぎて、これはなにかしらの罠なんじゃないかと疑ってしまう。なんでも完璧にこなせる彼女にとってこれは、唯一の苦手分野なのかもしれない。
「答えろ」
「いいですよ。別に、隠すつもりはなかったので」
あっけらかんとした態度で、芹梨は自らのやったことを語り始めた。
「今の須々木部長と同じことをしただけですよ」
「………………は?」
「ただ、答えてもらったんです」
数分後、俺は自らの行いを後悔した。
「何度も何度も何度も彼女に訊きました。自分がされたことと、犯人の特徴。どんな状況だったか、どんな気持ちだったか。痛かったか、苦しかったか、なにも感じなかったか。事件当時の状況を再現させたりもしました。おかげで、私はあの少女から数々の有力な情報を得ることに成功しました。それだけです。大したことじゃありませんよ」
訊かなければよかった。一生知らないままでいればよかった。
当時の俺が面倒を見ていた研修生が、嫌いだけど一緒の課にいた仲間が、道警でもっとも優秀である目の前の女が、被害者を精神疾患にまで追いやった――だなんて。
もしこれが表に出たら大変なことになるが、そんなことはどうでもいい。
人として、こんなことは許されない。
「…………………………ふざけるな」
「…………ふざけているわけないでしょう。私たちの仕事は、犯人を捕まえることです。心を病んだ被害者のサポートではありません」
芹梨は、なにも分かっていない。
「違う」
警察はそんな非道な組織じゃない。
「違うだろ………………」
どうして、そうなってしまったんだ。
「………………………………」
目の前の人外にかけてやる言葉が見つからない。
こういう人間が、一定数いることは俺も理解している。何度も逮捕し、話を聞いたのだから。
それなのに、そんな人種が敵でない味方になった瞬間――生まれたのは、嫌悪どころか恐怖だった。
意味が分からなくて怖い。
気持ち悪い。
小学生並の悪口くらいしか、頭に浮かばない。
芹梨は、どうしてそうなってしまったのだろう。本当に元からそうだったのか?
なにが彼女をそうさせた?
どうしてこんな人間がこの世に生まれてしまったんだ?
たとえどんな事件を起こした犯人だとしても、コレ以上の気持ち悪さは出せないだろう。
無理だ。
「もう、帰れ」
こんなのと一緒に、仕事なんてできない。
これが警察の仕事だというのなら――もう、やめよう。
俺には、向いていない。
警察をやめてからも、俺は怯えていた。
永遠に頭の中を渦巻いているのだ。
引きこもりながら、在宅の仕事でなんとか食っている状態。
ただ、自炊ができないので、飯は外で買う。
徒歩五分くらいのところにあるスーパーの弁当がいちばん安くて美味い。
今日も夕飯を買いに、スーパーへと向かう一歩目。
玄関の扉を開けて、
目の前に




