被害者① 少年と少女
この世界はぼくの敵で、アイツの味方である。
ぼくの幼馴染――沙藤柏にできないことなんてない。
勉強は常にクラスでいちばんで、しかも、女のくせに運動だって男子より得意だ。こないだは、読書感想文コンクールで表彰もされていた。さらにはピアノも弾けて、音楽の先生よりも上手だった。
色んな習い事をしている――というわけではなく、初めてのことでも、簡単にこなしてしまう本当の『天才』。父親はみんな知っている有名企業の社長で、母親は元モデルの超美人な女。彼女は、環境にすら恵まれている。
ぼくは、彼女が羨ましかった。なんでもできて、悩むことなんてなくて、みんなに愛されていて、みんなを愛せる彼女が――とても羨ましかった。もしかしたら、恨んですらいたかもしれない。
なにをやってもだめなぼくと、なにをやっても完璧な彼女。
仲がよかったわけではない。たまたまずっと一緒で、たまたまあっちが話しかけてきたから、幼馴染と呼べるくらいには交友ができた。そのせいで、先生や周りの奴らからはしょっちゅう比べられた。
そして、みんな言うのだ。
「英愛くんは、柏ちゃんと違ってだめだね」
お父さんも、お母さんも、みんなそう言う。
どうしてぼくと彼女は比較されなければならないのだろうか? たまたま近くにいただけなのに。ぼくから話しかけたわけではないのに。そもそも、人と人を比べるだなんて、ばかげている。
だけれど、ぼくなんかがそう言ったところで、それは天才への嫉妬にしかならない。
「柏ちゃんの幼馴染だなんて…………、幸運だね」
まったくよくない。みんなはそれを恵まれていると言うけれど、ぼくだけは絶対にそう思わない。
彼女が幼馴染であることは、ぼくにとって不幸以外の何物でもなかった。
神様は、不平等だ。
アイツばっかり贔屓して、ぼくにはなにもくれやしない。
ぼくは、完璧を求めているわけではないのに。ただ、普通になりたかっただけなのに。
どんなに嘆いても、才能は変わらない。ぼくはただ、この世界を恨むことしかできなかった。
アイツが不幸になった――という事実を目の当たりにしたとき、ぼくはいったいどんな反応をすればよかっただろうか。
「ひぐっ、あぁ、っあ、っ…………」
アイツの泣き顔を見たのは初めてだった。お前も泣くのか、とびっくりした。
どうやら、悪い男の人にひどいことをされたらしい。なにをされたんだと訊いても、彼女は答えてくれなかった。ただ泣いて、なにも言わなくて、それでもなぜか、ぼくの傍を離れない。
時々、刑事と名乗るお姉さんがアイツを連れて行くけれど、なにをしているのか定かではない。
近くに住んでいる警察に訊いてみても、大した情報をくれない。
大人たちの会話を盗み聞いても、何ひとつピンとくる情報は見つからない。
「かわいそうにねぇ」
「あんなロリコンに…………」
「あんなに若いのに」
彼女はなにも言わずに、ただぼくと一緒にいた。
きっとぼくは、彼女になにかを期待されているのだろう。慰めの言葉か、楽しい遊びか、もしくは存在か、なんなのかは知らないが。少なくとも、ぼくに『かわいそうな子ども』として扱われることを望んじゃいなかった。
だから、いつもどおりにした。
口数が多いほうではないぼくだけれど、彼女が一言も発さないせいで、ぼくが一方的に話しかけているように見えてしまう。実際、そうではあった。ただ、ふたりで一緒にいることを望んでいたのは彼女だけだった。
でも、ぼくはもう、彼女を恨んではいなかった。
ずっと完璧だったアイツが、目を腫らして、暗くなって、ぼくを必要とした。
その事実に、気持ちが大いに昂った。
なんでもできるアイツは、もうぼくなしじゃなにもできなくなった。
ずっと高い場所にいた彼女が、ぼくのところまで落ちてきてくれたことが、妙に嬉しかったのだ。
彼女が不幸になったと同時に、ぼくは幸せを掴んだのだ。神様は、ぼくを見捨てていなかったらしい。
ああ、幸せだ――頭の中で、『幸せ』という言葉を何度も何度も反芻する。
ぼくのハッピーエンドは、紛れもなくこれだった。
それなのに、どうしてぼくは自分に嘘をついているんだろう。
ぼくは、しあわせなのか?
中学生になっても、ぼくと彼女は一緒にいた。
「ねぇねぇ、あれなぁんだ!」
「えー、なんだろ? カフェテリアかな?」
「せーいかい!」
彼女の精神年齢は、小学五年生から完全に止まっていた。
それでも、彼女が言葉を発せられるようになって、ぼくは嬉しかった。
知識を自慢したいのか、中学生なら誰もが知っているような建物を指差して、『これなぁんだ』というクイズを出してくる小学生みたいな彼女。心は実際に小五で止まっているのに、身体はもう大人みたいだった。
それなのに、まるでカップルのように躊躇なく抱きついてくるのだから、さすがのぼくもうろたえることはある。でも、最近はもう、なにも思わなくなってきた。
一緒にいるだけで、十分に幸せだと思う。
小学生時代のちゃちな嫉妬や憎悪は、中学校に入学する前にはもう綺麗さっぱりなくなっていた。
あるのは、ただの罪悪感だ。
色んな情報を組み立てて、中学生になったぼくの脳みそは、すでに彼女の身に起こったことをすべて理解していた。だからこそ、ぼくは彼女をそういう目で見ることができなかった。
恋愛や性欲とはかけ離れた、ぼくたちの関係。小学生のまま時計の針が故障して、動かなくなってしまって、彼女はもう二度と戻らないのかもしれなかった。
「えいあくん! あれ、なぁんだ!」
「んー、難しいね。もしかして、ゲームセンターかな?」
「せいかぁい! えーあくん、頭いい!」
永遠に続く茶番劇を永遠に見れないのと同じように、ぼくたちの関係も永遠には続かない。
きっと、どこかで別れるときがくるだろう。
それが惜しいなと思えるくらいには、ぼくは彼女を好きになった。
「ねぇねぇ、ええあくんえいあくん!」
「どうしたの?」
彼女が、無邪気な笑みを浮かべた。悪意なんて欠片もなさそうな、純粋な顔。
「わたしたち、ずうっといっしょにいようね!」
「うん」
少しくらいは、自分に嘘をつくのも悪くない。
高校一年生になった彼女は、中学二年生になった。
というのも、彼女は成長したのだ。永遠に小学五年生の心ではなくなって、反抗期にも突入した。ぼくらが中学二年生に進級したころに、彼女の停滞していた時間は突如として動き出したのだ。
嬉しくないわけがない。あのままだと、彼女は苦労することになっていただろう。いくら能力が高くても、心の発達が身体に追い付いていないのであれば、就職は難しい。学力と姿勢さえよければ卒業できる学校とは違い、『大人』を求められるのが社会なのだ。
でも、針は動いた。
彼女は、これからひとりでも生きていけるようになるのだ。
「英愛って、彼女とか作んないの?」
「うん。だって、モテないからね」
「ふうん………………」
彼女は、恋愛も覚えた。
今の彼女がぼくに恋愛感情を抱いていることは、あまりにも見え透いていた。ぼくはそれに対して自覚的だったし、特段悪い気はしていなかった。
でも、彼女と添い遂げる人物として、ぼくではあまりにも力不足だ。
昔も今も関係なく、純粋に釣り合わないのだ。『天才』のまま停滞した彼女は、あれからもずっと『天才』でいた。そして、止まっていた時計の針が再び稼働し始めても、それは何ひとつ変わらなかった。
たとえ彼女がぼくを求めていようとも――ぼくが、彼女を受け入れようとも。
あまりにも愚鈍なぼくが、完璧ではなくとも優秀な彼女と、一緒にいられるわけがなかった。
彼女の心は壊れているけれど、壊れただけで彼女は壊れなかった。たった、それだけの話だった。
一応、彼女と一緒にいるための努力を欠かせてはいない。
一緒の大学に通えるよう、最近は塾に通っているのだ。
「疲れたなあ………………」
この日は少しだけ、疲労が溜まっていた。
塾終わりの、真っ暗な帰り道――彼女が横にいないと、酷く不安になる。
もしかしたらぼくも、彼女に依存しているのかもしれない。もしそうだとしたらどうしようと考えて不安を誤魔化しながら、ぼくは段々と早足になる。早く、早く帰りたい。
彼女はぼくの家に入り浸っている。早く帰れば、早く彼女に会える。
早く会って、安心したい。
早く。
早く――
そんな想いが、ぼくを家への近道である路地裏へと走らせた。




