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第6話 二人の研究者

係員に案内されて、アレクサスの中心部に向かった。

街の構造は、外から見た印象通り幾何学的に整然としていた。通路は碁盤の目状に区切られ、それぞれの区画に機能の違う建物群が配置されている。

歩きながら、係員が簡潔に説明してくれた。

「中心部のドーム状の建物が統合研究棟です。CDEに関する研究のほぼすべての部門が、あの建物に集約されています。周辺の四方には、居住区、医療棟、実験棟、行政棟が配置されています」

医療棟、と俺は心の中で繰り返した。

医療大学と研究施設の複合体――そういう形態の街、ということになる。地球で言えば、巨大な大学病院に研究施設と居住区が一体化したようなもの。

「あなたの宿舎は東居住区になります。研究員と同じ区画です。本日中にご案内します」

「ありがとうございます。今は、運営責任者と研究主任に会う、ということでしたね」

「はい。お二人とも、現在は統合研究棟内におられます。事前に新規参加者の到着は伝えてあります」

新規参加者。

俺のことだ。俺の到着が、彼らに事前通達されていたということ。

俺は来る前から、待たれていた。当たり前と言えば当たり前だが、その事前感が、少し気になった。


統合研究棟は、間近で見ると圧倒的な存在感があった。

直径百メートル以上はあるだろう、巨大な円形のドーム。透明な素材で覆われた外殻の内側に、複数階建ての構造が透けて見える。内部の研究者たちが行き交う様子も、外から薄く視認できた。

これは意図的な設計だ。透明な建築は、研究内容を隠さないという思想を表現している――かのように見える。同時に、外からも観察されるという二重性もある。観察と被観察が同時に成立する建築物だ。

俺は係員に続いて、研究棟の入口を抜けた。

入口を通った瞬間、ヘアピンが微かに反応した気がした。

身分認証が自動で行われたのだろう。ここからは、俺の動きが記録される領域――そんな感覚があった。

ロビーは広く、人々が普通に往来している。研究員らしき白衣の人々、事務職員らしき職員、何かの機材を運ぶ作業員。機能している大規模研究機関の空気だった。

係員はロビーの奥のエレベーターらしき装置に俺を導いた。装置に乗ると、振動も音もないまま、上階へ移動した。これも誰かのCDEで動いているのだろう。

こちら側の物理法則を、地球の延長で予測することは難しい。全部、誰かのCDE由来である可能性を考慮しなければならない。この世界では、そう考えるのが基本姿勢だ。

到着した階の廊下を進み、ある一室の前で係員は立ち止まった。

「こちらが第一会議室です。お二人がお待ちです」

俺は頷いて、扉に向き直った。

深く息を吸う。

運命の二人との初対面――というほどの大袈裟な気持ちはなかった。だがこの二人との関係が、これからの俺の生活を左右するのは間違いない。

俺はノックして、扉を開けた。


部屋の中は、思ったより広かった。

中央に大きな円形のテーブルがあり、その向こう側に二人の人物が座っていた。

向かって右側に、若い女性。

向かって左側に、老齢の男性。

俺は扉の傍で軽く一礼してから、テーブルに近づいた。

「ようこそアレクサスへ、神野さん!」

最初に声を上げたのは、若い女性の方だった。

声に勢いがあった。礼儀正しいが、抑えていない。研究者として、新しい対象に出会えた興奮が、声の端々に出ていた。

彼女は立ち上がって、俺に向かって右手を差し出した。

「クレハと申します。アレクサス開発計画の発案者で、研究主任を務めています。お会いできて嬉しいです、本当に!」

俺はその手を握り返した。

クレハ、と俺は心の中で復唱した。ヘアピンが翻訳しなかった――つまり、固有名詞だ。音そのままで脳内に保持する。

クレハは年齢二十代後半くらい、髪を肩より少し下まで伸ばしていて、研究着の上から軽い羽織りものを着ている。目元には、わずかに色のついたカラコン――おそらくこれが彼女のCDEだ。

だが、俺が最も注目したのは、彼女の目そのものだった。俺を見つめる視線が、観察的だった。握手の数秒間で、彼女のCDEは俺を分析している。

「神野隆二です。よろしくお願いします」

「こちらこそ! いやあ、来ていただけて本当に良かった」

クレハは口元に笑みを浮かべながら、続けた。

「新規の改変系CDE保有者にお会いするのは、私にとっても本当に久しぶりなんですよ。鑑定書も拝見しましたが、書く系統の改変系は実例がほとんどありません。あなたのペンは、おそらく現状のアレクサスの研究の中で、最も注目されるサンプルになります」

最も注目されるサンプル。

サンプル――その言葉に、俺は内心で苦笑した。

でも、彼女は隠さなかった。俺をサンプルとして見ている、と最初の数十秒で開示した。裏のないタイプだ、たぶん。あるいは、あえて表に出しているだけかもしれない。

どちらにせよ、俺はそういうものとしてここにいる。それは事実だ。

「光栄です」と俺は答えた。

皮肉ではなく、取引の言葉として。俺はサンプルとしての価値を認められている、その認識を共有しよう――そういう意味の言葉。

クレハは俺の答えを聞いて、わずかに目を細めた。面白いものを見つけた――そんな反応だった。


「初対面で随分と賑やかだな、クレハ君」

声は、左側から来た。

落ち着いた、静かな低音。騒がしさを咎めるわけではなく、自分のペースを保っているような口調だった。

俺はその声の方に視線を向けた。

老齢の男性――ゼノスは、座ったまま、俺をゆっくりと見つめた。

急がない視線だった。クレハが握手の数秒間で全部観察しようとしていたのに対して、ゼノスは何時間でも見ていられるような、ゆるやかな観察。

服装は重厚なローブ風の上着で、頭には深い色の帽子を被っていた。シルクハットほどではないが、形のしっかりした帽子――おそらくこれが彼のCDEだ。

「運営責任者のゼノスだ。よく来たな、神野隆二くん」

ゼノスは軽く目礼した。立ち上がりはしなかった。長年積み上げた立場の余裕が、その静止に滲んでいた。

「お会いできて光栄です」と俺は再び答えた。

「改変系のサンプル……か」

ゼノスは、クレハが先に発した言葉を反復した。

だが、彼の口から出ると、同じ言葉でも意味が違って聞こえた。

クレハが研究対象としての興奮でサンプルと言ったのに対して、ゼノスのサンプルは、実験素材のニュアンスがあった。

俺は思わず、身構えた。

理屈ではない、直感だった。この人物は、慎重に対応すべき相手だ。

ゼノスは俺の反応を見て、ふっと、ごく薄く笑った。

「緊張しなくていい。我々はあくまで研究機関だ。倫理的に許される範囲で、対象に協力をお願いするだけだ」

「現時点では、ですね、ゼノスさん」

クレハがすかさず、穏やかな声で割って入った。

だが穏やかな声の中身は、鋭いものだった。

「現時点では、当アレクサスの研究方針は、観察と非侵襲的なデータ収集を主軸にしています。神野さんに対しても、その方針に従って接することになります」

「もちろん、その方針が現時点のものだ、というのは私も承知している」

ゼノスは穏やかに頷いた。

だが承知している、という言葉が、いつか変わる可能性を示唆していた。

今は、現時点では、現状では――こういう言葉を彼は丁寧に挟む。いつかその枠が外れる時を、彼は待っている。

俺は二人の間の温度を、肌で感じた。

これは研究方針の対立だ。

そして俺は、その対立の中心に立たされる存在になる。


「まあ、難しい話は後だ」とゼノスはゆっくり立ち上がった。

立ち上がると、彼は思ったより長身だった。年齢の割に背筋が伸びていて、老齢ではあるが弱者ではない――そんな立ち姿。

帽子の鍔の下から、彼の目が俺を見下ろした。

「神野隆二くん。一年後のゲートまで、君はここで暮らすことになる。」

「?」

俺は反射的に聞き返した。

「……一年後のゲート、というのは」

「派遣事業の規約だな」とゼノスは続けた。「君は派遣事業一期生だろう。我々合衆国も、派遣事業の存在は把握している」

俺の心臓が、少し早く打ち始めた。

派遣事業の存在を把握している。

合衆国側が。

これは、俺の事前情報になかった事実だった。日本側の運営は、合衆国に派遣事業の存在を伝えていたのか? あるいは合衆国が独自に把握していたのか?

クレハが、俺の表情を見てわずかに微笑んだ。

「驚かれましたか? でも、私たちにとっては当然の情報なんです。あなたのような方が、最近、合衆国にはちらほら現れています」

ちらほら。

何人いるのか、彼女は具体的には言わなかった。だが他にも来ていることは確かだ。

「お二人とも――」と俺は静かに言った。

情報の手札は、どこまで明かすかを計算して切るべきだった。今は俺が把握していることを試す段階だ。

「俺の出身については、どこまで把握していますか」

「派遣事業の一期生抽選当選者、としてですね」とクレハは即答した。「それ以上のことは、合衆国側にも詳細は届いていません。日本側からは『人間が生存可能な環境であることのみ確認済』と伝えられたと聞いています」

それは、俺自身が日本側で受けた説明と一致していた。

合衆国側が把握しているのは、派遣事業の枠組みまでで、俺の世界の詳細ではない。

俺は心の中で、情報を整理した。

合衆国は派遣事業を知っている。だが派遣元の世界の詳細は知らない。

そして俺がその詳細を握っている。

情報の格差は、まだ俺の手元にある。

「分かりました」と俺は頷いた。

「さて、固い話はここまでにしよう」とゼノスは静かに言った。「今日は到着初日だ。クレハ君、後の案内は任せるよ」

「はい、お任せください」

ゼノスは部屋を出ていった。

最後まで、急がない歩調だった。

扉が閉まった瞬間、クレハが深く息を吐いた。

「ふう……」

そして俺の方を向いて、口元に苦笑を浮かべた。

「**ゼノスさんは、ああいう方なんです。穏やかで、丁寧で、でも――研究方針について、私とは違う意見をお持ちです」

クレハは率直だった。初対面の相手に、組織の内部対立を口にする――これは戦略的な開示だろう。

最初から、自分の側に立つことを期待している。

俺は彼女の意図を、そのまま受け取ることにした。

「ゼノスさんが、人体実験に近い手法を支持されていることは、なんとなく感じました」と俺は静かに言った。

クレハは目を見開いた。

「――ご明察ですね。短時間でそこまでを読まれるのは、研究者向きの観察眼です」

「俺は研究者ではないですよ」と俺は返した。「ただ、自分の身を守るために、状況は素早く把握しておきたいと思っているだけで」

「それで十分です」とクレハは微笑んだ。「自分の身を守るために観察する、というのは、研究者の動機としても十分通用します」


クレハは俺を会議室の外に連れ出し、居住区のある方向へ案内し始めた。

歩きながら、彼女は研究都市の構成、研究方針の概要、隆二が今後関わる業務――解体作業と研究参加――について、整然と説明してくれた。説明は的確で、無駄がなかった。彼女が有能な管理職でもあることが、その語り口から伝わってきた。

そして説明の合間に、彼女はふと俺を見つめる瞬間が何度かあった。

カラコンが分析している。俺の表情、姿勢、反応の速度、すべてがデータ化されている。

俺はそれに気づかないフリをした。

気づいていることを彼女に悟られない方が、互いにとって都合がいい。少なくとも、今は。

居住区の入口で、クレハは立ち止まった。

「今日はゆっくり休んでください。明日の朝、改めて業務開始のご説明にお伺いします」

「分かりました。今日はありがとうございました」

「こちらこそ。それと、神野さん――」

クレハは俺を真正面から見て、ほんの少し、声を落とした。

「知らないことなんて、いくらでもあるんですから。何でも、聞いてくださいね」

その口癖は、俺に向けられた言葉だった。

外から来た人間のあなたが、ここで知らないことに直面したとき、いつでも私に頼っていい――そういう意味として、俺は受け取った。

俺は彼女の言葉に頷きを返した。

クレハは満足そうに微笑んで、踵を返していった。


宿舎の部屋に通されて、俺は一人になった。

部屋はワンルームで、清潔で、必要最低限の家具が揃っていた。ベッド、机、椅子、簡易な収納、小さな浴室。研究員用の標準的な宿舎らしい。

俺は窓辺に立って、アレクサスの夜景を眺めた。

白と透明の建物の中に、点々と明かりが灯っている。この街の中で、誰かがCDEを使い、誰かが研究をし、誰かが生活している。

俺はポケットからペンを取り出して、机の上に置いた。

真っ白なペン。今日、岩を消したペン。明日からはおそらく、建物を消すペンになる。

そして俺は、頭の中で、二人の研究者を整理した。

クレハ――観察重視、率直、有能な管理職、俺の側に立つことを期待している。

ゼノス――穏やかな権威者、人体実験に傾いている、今は静かだが、いつか動く。

俺の目下の課題は、クレハと協力関係を築くこと。そしてゼノスを警戒し続けること。

そして――情報の手札を、いつ、どこまで切るかを、慎重に判断すること。

俺は窓の外をもう一度眺めた。

アレクサスの夜は静かだった。

明日から、俺はこの街の住人になる。

俺はペンをポケットに戻して、ベッドに身を沈めた。

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