第10話 外に行く
朝、解体現場に着くと、ガルドが既に来ていた。
「おう、神野」と短く挨拶を返した彼は、いつもと違う動作で、現場の脇に置いてある古い木箱の上に腰掛けて、休憩用の水筒を手にしていた。作業開始前に休憩しているというより、何かの待ち時間のような雰囲気だった。
「今日の建物、補強材の調査で午前は始められない」と彼は説明した。「少し時間が空く。座ってろ」
俺は彼の隣に座って、自分も水筒を取り出した。
現場の朝の静かな時間――この感じは、地球の労働現場と大きく変わらない。
「……そういや、神野」とガルドがぽつりと言った。何かを思い出した、というより、話してみるかと決めた口調だった。
「外の方で、変な奴が出てるらしいぜ」
俺の心臓が、わずかに早く動いた。
だが、表情は変えなかった。
「変な奴、というのは?」
「**よく分からん。外見が違うらしい。喋り方も、馴染みのない言葉を使う。この地方じゃない場所から来てるみたいだ」ガルドは肩をすくめた。「**酒場で誰かが言ってた話だ。俺も詳しくは知らん」
外見が違う、馴染みのない言葉――それは派遣者の特徴と一致する。地球の人間が、合衆国の文化様式と違う格好で、地球の言語を話している――そういう存在が、外で目撃されている。
俺は内心で整理した。
派遣者は俺だけじゃない――合衆国側もそれは把握している。ちらほら現れているとクレハも言っていた。他の派遣者は、合衆国の中にも、外にも、存在しているはず。
そして俺自身、他の派遣者の存在を確認したい気持ちがあった。派遣事業の任務として、情報を集めること。生還率を上げるために、他の派遣者と接触すること。孤独な状況で、同じ境遇の人間と話したいこと――これらの動機が、ガルドの一言で具体的な行動への引き金になりそうだった。
「……興味深い話ですね」と俺は短く返した。
ガルドは俺の方を見て、少しだけ笑った。
「お前も外から来た口だろう。会いたいと思ってるんじゃないか」
ガルドは見抜いている――俺の出自について、彼は察している。だがそれを詰めて聞いてはこない。現場の労働者として、必要以上は詮索しない――これが彼の流儀。
「……そうですね」と俺は答えた。「**会いたい、というか――確認したい、です」
「だろうな」とガルドは頷いた。「**休暇でも申請しろ。この現場は俺が回せる。お前のペンがなくても、人手で何とかなる」
俺は彼の言葉に、少しだけ驚いた。ガルドは俺の休暇取得を、ここで提案してくれた。これは意外な厚意だった。
「ご迷惑をかけることになりますが」
「たまには休めよ」とガルドは肩をすくめた。「**お前、毎日働きづめだ。家のない俺らとは違う。休む権利はお前にもある」
家のない俺ら――その一言に、彼の世代の重みが滲んだ。戦争で故郷を失ったガルドにとって、休む権利すら贅沢だった時代があった。今は違う、だからお前も休め――そういう意味の言葉として、俺は受け取った。
「……ありがとうございます。クレハさんに申請してみます」
午後、研究室で実験が終わった後、俺はクレハに休暇の相談を切り出した。
「休暇、ですか」とクレハは少し意外そうに目を瞬いた。「**もちろん、取っていただいて構いませんが――理由をお伺いしてもよろしいですか?」
俺は正直に伝えることを選んだ。
「他の派遣者を、探しに行きたいと思っています」
クレハの表情が、ほんの少しだけ動いた。意外、というより、そう来たかという反応だった。彼女のカラコンが、俺の言葉と表情を分析している――その時間の長さで分かった。重要な情報を記録している。
そして彼女は、穏やかに頷いた。
「……分かりました」と彼女は言った。「**他の派遣者の方の存在は、合衆国側でも把握しています。ちらほら現れている――以前そう申し上げました。神野さんが、同じ境遇の方を探したいというのは、自然なお気持ちです」
「ご許可いただけますか」
「**もちろんです。ただ、二つだけお伝えしておきますね」とクレハは指を二本立てた。
「**一つ目。合衆国の外には、敗戦国の難民の方々が暮らしています。戦時から十年、彼らは合衆国に対して複雑な感情を持っています。**そして、多くの方はCDEに嫌悪感を持っています。敵側の象徴ですから。**そういう方々と接する時は、ご配慮いただいた方がよろしいかと思います」
俺は頷いた。重要な情報だった。外には合衆国に対する敵意がある。それを心得て動く必要がある。
「**二つ目。**もし他の派遣者の方を発見されて、こちらに来たいというご意思があれば、アレクサスにご案内ください。ただし――」とクレハは続けた。「無理に連れてきていただく必要はありません。外の方々は、CDEに嫌悪感を持ち、合衆国に来たくない方が多い。派遣者の方も、彼らに紛れて生きていらっしゃるなら、それは彼ら自身の選択です。無理にこちらに――は、求めません」
これはクレハらしい、節度のある提案だった。研究のためなら誰でも欲しいわけではない、当人の意思を尊重する――彼女の倫理感が、ここに表れていた。ゼノスなら、こんな配慮はしないだろう――俺は内心で対比した。
「**理解しました。もし来たい派遣者の方がいたら、ご案内します」
「ありがとうございます」とクレハは微笑んだ。「何日くらいの休暇をご希望ですか?」
「五日いただければと」
「**了解しました。**移動手段については、国境近くまでの便を手配します。そこから先は徒歩か、現地の交通手段で。ご無事のお戻りをお待ちしています」
クレハは手元の端末で何かを操作し、休暇手続きを記録した。淡々と、効率的に――彼女らしい仕事の処理。
「それと、神野さん――」と最後に彼女は付け加えた。「**何か困ったことがあれば、ヘアピン経由で連絡してください。地理的に離れても、緊急通信は可能です。研究都市のチームが、できる範囲で対応します」
これは安全網の提示だった。外で何かあれば、合衆国側が助けに来る――この保証が、俺の動きを一段安心させた。
俺は彼女に礼を言って、研究室を出た。
翌朝、俺はアレクサスを出発した。
サバイバルキットと食料と、ペン――それと、ヘアピンと入国登録証。最低限の装備で、国境近くまでの移動便に乗った。
合衆国の浮上型乗り物は、首都とアレクサスを結ぶ便と、地方間を結ぶ便に分かれていた。俺が乗ったのは、アレクサスから国境近くの中継地点までの便。所要時間は約三時間。
乗り物の窓の外を、合衆国の地方の景色が流れていく。首都の白と透明の街並みは、ここではもう見えない。石造りの古い集落、農地、放置された廃墟、戦時の遺物らしき建物群――時代の層が重なる景色。
俺は窓に額をつけて、観察を続けた。
合衆国の中の地方ですら、こういう景色――では、国境の外はどうなっているのか。敗戦国の旧領土、十年経っても完全には統治が浸透していない土地――俺はそこに踏み込む。
中継地点で乗り換えて、国境近くの最終目的地まで、別の小型の乗り物に乗った。こちらは合衆国民が日常的に使うものではなく、商用または公的な移動用のようだった。乗客は俺だけだった。
国境近くの街は、アレクサスとは全く違う雰囲気だった。
石造りや木造の建物が中心で、白と透明の建材は使われていない。人通りはそれなりにあるが、明らかにアレクサスや首都より少ない。そして人々の服装も違っていた――色味が抑えられた、より実用的な衣服。質素という言葉が、的確だった。
そして俺は気づいた。ここに住む人々のCDEは、目立たない。身につけているとしても、装飾を抑えた、隠れた形のCDE。外に向けてCDE保有を誇示しない――そういう街の空気だった。
国境地帯では、CDEを目立たせない方が安全――これは外の難民との接触を考えれば、当然の文化様式だった。自分がCDE保有者であることを、外には見せない。
俺はその街で昼食を取りながら、噂を集めた。
酒場、宿屋、商店――短い時間で、いくつかの場所を回った。俺は外来者として目立つから、直接的に派遣者を探していると言わない方が良かった。地理を尋ね、地元の事情を聞き、その中に派遣者の話題が出るのを待つ――これは情報収集の慎重なやり方。
そして昼過ぎ、ある宿屋で、老齢の主人が雑談で漏らした一言――。
「**……東の方の山際に、女性ばかりの集団が暮らしてるらしい。最近、見慣れない若い娘さんが加わったとかで、酒場の連中が話してたな」
見慣れない若い娘さん――。
俺は内心で確信した。派遣者の可能性が極めて高い。
「東の山際――具体的にはどこですか」
「国境を越えて、東に半日くらい歩いた場所だ」と主人は答えた。「**まあ、難民の集落だ。普通の合衆国民は近づかん。俺もそこまでは行ったことがない」
国境を越える――俺は合衆国の境界を越えることになる。
俺は主人に礼を言って、宿屋を出た。
国境は、明確な境界線として整備されているわけではなかった。ゆるやかに、合衆国の影響が薄れていく地帯――そこを、俺は徒歩で越えた。
地形は緩やかな丘陵地帯で、草原と林が混在していた。人の手が入っていない自然の中を、俺はゆっくり歩いた。
東に半日――半日歩く間に、俺は何度か立ち止まって、自分の判断を確認した。
派遣者を探すのは、リスクがある。外の難民たちが、外から来た者に好意的とは限らない。俺がCDEを持つ合衆国の研究員と知られれば、敵視される可能性もある。ペンを直接的に使う場面が来るかもしれない。
それでも俺は進んだ。ここまで来て引き返すのは、選択肢になかった。
夕方近く、遠くに煙が見えた。
火を起こしている――誰かが、そこで生活している。
俺は煙の方向に、慎重に近づいた。
草原の中の、低い丘の陰に、簡素な野営地が広がっていた。布で組まれた簡易な天幕、火を囲む岩、そして数人の女性たち――。
全員が女性だった。年齢は様々、十代後半から五十代くらいまで、七、八人ほどが、火の周りで何かを食べている様子。
俺は林の縁に身を隠して、観察した。
装備は最低限――武器のようなものはない。衣服も実用的で、装飾はない。全員がリラックスして食事を取っている。昼間の労働の後の、休息の時間。
そして俺は気づいた。
彼女たちは、警戒していない。
外を歩く動物にも、人間の接近にも、特に注意を払っていない――それはこの土地に長く住み、危険を熟知している人々の佇まいだった。安全だと判断している場所では、彼女たちは緊張しない。
だが、その中で一人だけ――。
少し離れた場所に座って、周囲に注意を向けている女性がいた。
俺の心臓が、一気に早く打ち始めた。
その横顔は――。
雫だった。
北沢雫――俺の大学時代の後輩――プログラミングだけ苦手で、それ以外は天才的だった、社交的な合理主義者――。
間違いない、雫だ。
俺は動かなかった。
**反射的に駆け寄りそうになった足を、強引に止めた。
心の中で、強烈な混乱が起きていた。
雫だ――この顔、この立ち姿、この警戒の仕方――全部、雫だ。
**でも――ここに雫がいるわけがない。俺は派遣事業の一期生で、雫は知らないはずだ。**俺が中途半端に話したことはあったが、眉唾だと俺自身が思っていた話だ。雫が応募するわけがない。
他人の空似だ――俺は、雫に似た難民の女性を見ているだけだ。そう思いたかった。
**でも――間違いなく、雫だ。
俺は自分の判断を確かめるために、林の縁から一度引き返した。
もう少し離れた場所で、もう一度確認しよう――そう思った。
俺の足音は、できる限り静かにしたつもりだった。
数歩、林の中を引き返した時――。
背後で、何かが動いた音がした。
俺は振り返らなかった。まだ、確信が持てない。雫だったとしても、この場面で出会って、何をどう伝えるか――俺の頭はまとまっていなかった。
数歩、また進んだ。
そして、背後から、声が――。
「……神野先輩?」
俺の足が、完全に止まった。
その声――完全に、雫の声だった。地球時代、何度も「神野先輩、教えてください」と俺に話しかけた、あの声――。
俺はゆっくり振り返った。
林の縁に、雫が立っていた。
俺を見ている。驚きと、混乱と、確信が、彼女の顔に同時に浮かんでいた。
「……雫」と俺は短く答えた。
雫の表情が、一気に崩れた。
「――神野先輩……」
彼女の声が、わずかに震えた。
会いたかった人と、本当に会えた――その感情が、俺にも伝わった。
俺は彼女に向かって、ゆっくり歩いた。
**地球から、平行世界まで――俺たちは、ここで再会した。




