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冷酷社長の極上笑顔は私が独り占めさせていただきます  作者: 北館由麻


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4/7

冷酷な社長を怒らせてしまった!?

「……えっ!?」

 

「この劇団、好きだって言ってたよね」

 

 私はおずおずと古東さんの手からチケットを受け取った。まず大好きな劇団の名前が目に飛び込んできて、小さく息を呑む。

 

 この劇団を初めて観たのは小学生の頃だった。

 当時、この劇団のミュージカルが全国で大流行し、私の住むこの街にも専用劇場があった。そこへ母に連れられて観に行ったのが最初で、そして最後だ。専用劇場は数年後、周辺地区の開発により閉鎖し取り壊されている。

 

 でもあの素晴らしい体験は十数年経った今も忘れることができない。小学生だった私は、生のミュージカルの迫力に最初は圧倒され、次第に興奮し、最後には感動して涙を流していた。

 その後もいくつかの演劇を観る機会があったけれども、これほどまでに心を突き動かされる舞台はなかった。

 あのとき私の中に巻き起こった大きな感動が一瞬脳裏によみがえる。

 

「大好きです!」

 

 思わず言葉に熱がこもった。それから「あっ」と思う。慌てて言い直した。

 

「この劇団が大好きなんです」

 

 向かい側で古東さんがふき出す。

 

「ホント後藤さんって面白いなぁ。やっぱり君を誘うことにしてよかったよ」

「いえ、でも私、まだ行くとは言ってな……」

 

 言葉の途中で古東さんが私の手からチケットを奪い取った。

 

「嫌ならいいんだ。でもこれさ、特別招待席なんだよね。こんな席で観る機会、なかなかないよ?」

 

 私の喉がゴクリと鳴った。

 古東さんの指の間でひらひらと揺れるチケットに目が釘付けになる。

 

「どうなの? 行きたい? 行きたくない?」

 

 畳み掛けるように返答を迫られた。

 私は一呼吸おいてから口を開く。

 

「行きたいです」

 

 古東さんは「よくできました」というようににっこり笑って、私のデスク上にチケットを置いた。

 

「自分で設計した劇場のこけら落とし公演だからもちろん観に行くけどさ、一人で行くのもちょっと気が引けるな、と思っていたから嬉しいよ。それじゃあ、当日は現地集合で」

 

 待ち合わせなどの面倒なことがないとわかって、私は心の底から嬉しくなった。

 

 古東さんが立ち去った後、思い切り表情を緩めてチケットを眺める。

 実は友達と行きたいと思っていたのに、誘ってみたら「あまり興味ない」とすげなく断られてしまったのだ。一人で行くのは少し勇気がいるな、と諦めかけていたところに、この話が舞い込んできて、こんなラッキーなことがあるだろうかと思う。

 

 しかも招待席だ。

 お金もかからない上に特等席に座れるなんて夢のようで、気分はふわふわと高揚していく。

 

 自分の鞄にチケットを大事にしまい、それから社長宛の封筒を社長のデスクへと運んだ。

 だけど社長のデスクは郵便物や書類などが山になっていたので、結局私のデスクの施錠できる引き出しに預かっておくことにした。


 


 翌日、古東さんから預かった封筒を社長に渡すと、気のせいかもしれないけれども、社長はほんの少しだけ表情を緩めたようだった。

 

「古東はすぐ帰ったか?」

「はい」

 

 社長は私の顔をまじまじと見つめてきた。疑うように顎を引き、少し上目遣いになる。私は思わず目を逸らした。

 

「えっと、古東さんにミュージカルのチケットをいただきました」

 

 これは正確な表現ではないな、と思ったけれども、間違いでもないと自分を励ました。

 しかし、社長にはごまかしが通用しなかったらしい。

 

「後藤さん。君のプライベートにいちいち口出しするつもりはないが、相手が古東となると話は別だ」

 

 私は怒られているような気分になってうつむく。やはりオイシイ話だからとよく考えもせずにチケットを受け取ってしまったのが失敗だったのだろうか。

 でも、と私は思い直した。

 

「古東さんがどういう意図で私を誘ってくださったのかはわかりませんが、社長の幼馴染と知っていて簡単にお断りすることは私にはできません」

 

「君はバカか」

 

 呆れたような声を真正面からぶつけられた。私は社長を無言で睨み返す。

 

「それじゃあ君は、古東がミュージカルの後も強引に付き合えと言ってきたら、のこのこついて行くのか。あの男が()()()()()()()()簡単には断れないんだろう? どうなんだ?」

 

「それは……わかりません」

 

 社長と私はその場で身動きもせず、数秒間睨み合っていた。

 突然視線をフイと外して背中を向けたのは社長のほうだった。社長室のドアが乱暴に閉じられる。

 

 完全に怒らせてしまったようだ。

 私は自分の椅子に腰を下ろすと、ふうと大きく息を吐いた。プライベートに口出しする気はないと言ったくせに、どうして怒られなければならないのかよくわからない。

 

「『バカ』って、ひどい。言い過ぎ」

 

 胸の中に収めておくことができなくて、小さな声で愚痴った。

 チケットをもらっただけのことが、そんなにいけないこと――?

 私にはどうしてもそう思えなかったのだ。

 

 この一件からほぼ一週間、社長は頑として私とは口を利かず、私は仕事上どうしても必要な連絡事項のみを伝えるだけで、お互いピリピリとした雰囲気の中で過ごすことになった。



 

 ついにミュージカル初演の日がやって来た。

 その日も朝から社長は最高のご機嫌斜めぶりを発揮し、私もデスクの前を素通りする社長を、形式的には頭を下げつつ白い目で見送った。

 

 朝は社長が出社するとコーヒーを入れるのが日課だ。いくら険悪なムードでも日課は欠かさない。

 それにしても、なぜこうも嫌な空気の中で仕事をしなくてはいけなくなったのか。コーヒーの粉をセットしながら、私は口を尖らせた。

 

 こういう場合、私があやまるべきなのだろうか。

 

(でも、何に対してあやまるというの――?)

 

 ふう、とため息をつく。最近はため息ばかりついている。

 仕事だから仕方ない。多少の理不尽なできごとは給料日が来ればすべて解決。それまでの我慢だ、と自分に言い聞かせる。

 私は気を取り直し、いつもと同じように社長室へコーヒーを運んだ。


「濃いな」

 

 久しぶりに聞いた社長の声がそれだった。

 

「入れ直しますか?」

 

 私は慌ててコーヒーカップに手を伸ばした。社長が私の顔をじろりと見る。

 

「メイクが濃い」

 

 そこで私は彫像になったかのように固まった。

 確かに今朝は普段より少し気合の入ったメイクの仕上がりになっていると思う。

 ワクワクしていたせいなのか、やけに早起きしてしまったので、下地もきれいに塗れたし、普段は省略することの多いマスカラを念入りにつけ、アイメイクは通常の三倍くらい丁寧に重ねてグラデーションにした。小顔に見えるようにシェーディングもほんの少し入れた。フェイスパウダーはとっておきの高価なものを使った。


 だけど私のよそいきメイクより、澤田さんの通常メイクのほうが断然濃いと思う。

 どうして彼女は許されて、私は苦情を言われなくてはならないのか、ちっとも納得できない。

 

 わざとらしい嘆息を漏らしてから「失礼します」ときっぱり告げる。それから苛立ちをなんとかこらえて退室した。

 せっかくの楽しい日の始まりが最悪だ、と社長室のドアを閉めた後でもう一度ため息をつく。

 

 自分のデスクに戻って仕事を始めた私は、急に気になって自分のポーチからこっそり鏡を取り出した。

 いつもとそんなに変わらないと思う。

 だけど、いても立ってもいられない気分になり、トイレに立った。

 

 メイク直しを終えてデスクに戻ると、社長が外出の準備をして出てきた。

 

「今日はもう戻らない」

 

 ぶっきらぼうにそう言い残して足早に去った。

 エレベーターが社長を乗せて動き出すと、ようやくホッとして気持ちが落ち着いてくる。

 その後は夜の公演への期待に胸を弾ませながら、意欲的に仕事をこなした。



 

 定時に仕事が終わり、休憩室の前を通ると、経理の同僚が「ちょっとしたニュースなんだけど」と特ダネを暴露するように瞳を輝かせて私たちを招集した。


「今朝、社長が急に領収証を持ってきたの。それが……大迫さんのご両親のお通夜に行ったみたいでね」

「えっ!?」


 思ったより大きな声が出てしまい、私は慌てて口に手を当てた。

 他の人たちも口々に「ご両親の介護って本当だったんだ」と驚きの声を上げる。


「領収証を受け取った私がびっくりした顔をしたせいか、社長が『大迫さんのご両親は事故に遭った』と教えてくれたの。事故はもう何年も前だったみたい。お母様は事故で意識不明になって何年も意識が戻らず、介護されていたお父様も事故の後遺症で半年前に入院されたそうよ」


「それで大迫さんは仕事を辞めたのね」

「うん。お父様のほうが先にお亡くなりになって、その翌日、後を追うようにお母様もお亡くなりになったそうです。それが先週のことだって」


 私は口を半開きにしたまま、何も言えずに固まってしまった。


「後藤さん、社長から何も聞いていなかったの?」


 経理の同僚が不思議そうな目で私を見る。


唯子(ゆいこ)は社長の予定を全部把握しているよね」


 他の同僚たちの視線も私に集まった。それは当然だと思う。秘書の私が知らないというのは不自然だ。

 でも私はここ一週間、社長とほとんど会話していない。そのせいか何も知らなかった。

 

「社長のプライベートを知るような仲ではないよ」

 

 私は、さも知らないのが当然だという顔をして言った。

 同僚たちは「それもそうか」と納得する。

 ホッと胸をなで下ろしたところに、背後から声がした。


「じゃあ、社長は大迫さんとプライベートで会うような仲、ということ?」


 振り返ると、澤田さんが私の後ろに立っていた。もちろん取り巻きも一緒だ。

 

「えっ?」

「半年前に辞めた社員のご両親のお葬式に行くなんて……ねぇ。秘書の後藤さんに話していないなら、社長と大迫さんはプライベートで会う仲――つまり付き合っている――と考えるのが妥当じゃない?」

 

 澤田さんはみんなに同意を求めるように小首をかしげた。

 急に同僚たちは「そうかも」と澤田さんに同調し始める。


「美男美女で、シゴデキカップル。めちゃくちゃお似合いだ」

「そういえば大迫さんは創業メンバーなのに、ふたりとも社内ではよそよそしかったよね。もしかして付き合っているのがバレないようにわざと……?」

「確かにビジネスライクすぎる感じはあったね」


 みんなが社長と大迫さんを恋人同士だと断定してうわさするのを、私はまるで遠い国の話のように聞き流す。頭がボーッとして何も考えられなかった。


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