冷酷な社長の意外な幼馴染
社長は思わず見とれるような容姿を持ち、若くして会社を大きく育てた有能な男性だ。
実際その仕事ぶりを近くで見ていると、私の心の中にはいつしか彼を深く尊敬する気持ちが宿っていた。
だけど私は社長室秘書係で、それ以上でもそれ以下でもない。どんなときもそれを忘れてはいけないと思う。
なのに昼休み以降、私は社長のことを変に意識してしまっている。
そんな自分自身に困惑していたら、私用で外出していた社長が戻ってきた。
「コーヒー、入れて」
それだけ言い残して足早に社長室に姿を消す。いつものぶっきらぼうな言い方だ。
私は手際よくコーヒーを入れて社長室のドアをノックした。
「どうぞ」
ドアを開けると、社長は応接用のソファに長い足を投げ出して横になっていた。
いつもなら私が入室すると座り直すのに、今日は横たわったままだ。
恐縮しながらテーブルの上にコーヒーを置いてソファから離れようとしたとき、不意に声を掛けられた。
「後藤さんは兄弟いるの?」
私はトレーを持ったまま立ち止まる。
「はい。弟が一人います」
「そうか。いや、そうだな。君はしっかりした姉さんという感じがする」
社長は頭の後ろで腕を組んで伸びをした。
彼が私をそんなふうに見ていたことに意表をつかれて、その場から動けない。
どうしようか、と思ったところで社長は身を起こしてコーヒーを口にした。
「俺には今年二十歳になる妹がいるんだ。俺とは一回りも離れているから、仲がいいとか悪いとかいうレベルじゃないんだけど、部屋を借りたいから一緒について来てくれと頼まれて、仕方なく行ってきた」
「そうだったのですね」
私はその光景を思い浮かべてみた。
この冷たい目をした美貌の男性が、歳の離れた妹に振り回される図がおもしろく、微笑ましい。
「でも、あれは男だな」
愉快な想像を打ち消すように社長は言った。
「えっ?」
「まだ大学生で、実家から通うほうがいろいろと都合がいいはずなのに、わざわざ部屋を借りるなんて、理由は男に決まっている。その部屋の品定めを俺に頼む妹の神経がわからない」
「社長は妹さんから慕われているんですね」
私はほとんど確信に近い思いで言った。
そんな秘密を含んだわがままを言っても、聞いてくれる兄がいたらどんなに心強いだろう。
学生時代に何度か私にも兄か姉がいたら、と思ったことがあるから、社長の妹という身分は純粋に羨ましくもある。
「それはどうだかわからないけど、妹がもうそんな年齢になったのかと複雑な気分だよ」
社長は大きくため息をついた。そしてふと私を見る。
「後藤さんはいくつ?」
「二十四です」
なぜそんなことを聞くのだろう、と思いながら答えると、社長はコーヒーを一口飲み、「うん、知っていた」と言って笑った。
一瞬何が起こったのかわからず茫然とする。
気がつけば、トレーをものすごい力で握り締めている自分がいて、今は目を開けたまま夢でも見たような気分だった。
「少し寝る。何かあったら起こして。電話は急ぎじゃなければ折り返しで」
社長はコーヒーカップをテーブルの上に戻すと、またソファに横たわった。
足が長いのでソファからはみ出している。靴下が水玉模様でかわいい。彼の冷たい印象とかけ離れた模様だ。
たぶん昨晩は遅くまで仕事をしていたのだろう。
日中に私用を入れたので、その分の仕事を事前に終わらせてあったようだし、昨日のうちにお願いしてあった確認書類やメールは、今朝すべてチェック済みで私のデスクに戻されていた。
社員が帰った後のオフィスのほうが仕事がはかどる――と社長は言っているけど、社員の仕事ぶりを当日のうちに確認してくれるおかげで、翌朝出社した社員たちは円滑に業務を進めることができる。
このスピード感でこの会社は成長してきたのだ、と社長の仕事ぶりを見てつくづく思う。
それなのに、これが当たり前の日常になっているから、社長に感謝する社員はほとんどいない。
むしろプレッシャーだと明言する人もいるくらいだ。
社長の仕事が早くてほぼ完璧だから、社員にも同レベルを求められたらたまったものじゃない、と。
(その上、みんな、あの冷たい表情しか見てないからね……)
だから私は、冷酷な表情のせいで社員たちから怖がられているのがもったいない、と感じてしまう。
仕事に適度な緊張感は必要だけど、恐怖政治のような構図を社長自ら作り出しているのは、会社にとってよいこととは思えない。
もちろん社長自身も得することなど一つもないのだから。
(もどかしいな。社長の心配りを私以外、誰も気がついていないなんて)
飲み終えたコーヒーカップをトレーにのせて退室しようとしたとき、目を閉じた社長の姿が視界に入る。綺麗にそろった睫毛と穏やかな表情に胸がドキッとした。
だけど私は何もなかったように、静かに社長室を出た。
社長の笑顔を見るという稀な体験はこの日以来しばらくなくて、あれはやっぱり夢だったのかもしれないと思い始めていた。
それなのに私の心の中には社長の笑った顔が焼きついていて、また見ることができないかな、なんて毎日密かに期待していたりする。
社長と、秘書である私の間には、仕事上の関係しかない。だから私にだけ特別笑いかけてくれることを期待するのはおかしなことだ。
じゃあ、一社員の私ができることはなんだろう、と考えてみる。
少しでも社長のことをわかってもらえたら……と思って、私は同僚との雑談で社長の意外なエピソードを披露してみることにした。
しかし、なかなか伝わらない。
だって「社長が水玉模様のちょっとオシャレな靴下を履いていた」と言っても、同僚たちはまったく信じてくれないのだ。
それどころか逆に私が社長に変な関係を強要されているのではないかと心配されてしまう。
「社長はそんな人じゃないよ」とむきになったら、同僚たちは一斉に怪訝な顔をして、私の反応に引いたようだった。
でもみんなも社長のそばにいたら、きっと少しは今までの認識を改めると思う。
彼は何の理由もなく冷酷な判断を下すわけじゃない。
両者がもう一歩ずつでも歩み寄ってくれたら、きっと会社の雰囲気は変わるのに――。
何かいい方法がないかと考えてみるけど、やはり私一人の力ではどうにもならないことだった。
それから数日後、社長と同年代の男性が社長室を訪れた。
私はこの珍しい来客に度肝を抜かれ、つい凝視してしまう。
というのも、スーツ以外の服装で社長室へ来る人はほとんどいない。なのに、この来客男性はインディゴのデニムシャツにベージュの太いチノパンを合わせたカジュアルなスタイルでやって来たからだ。
「おっ! かーわいい子じゃん!」
そんな挨拶をされたのもはじめてだった。
私は内心では困惑していたが、他の来客と同じように応対するよう心がける。
社長は普段よりさらに険しい顔つきでその男性の背中を押し、社長室のドアを素早く閉めた。
コーヒーを運んでいくと、珍客の男性は私の顔を興味津々で見つめてきた。
「ねぇねぇ、彼女に俺を紹介してよ」
社長の目が普段より一層鋭くなった気がする。
だけど、向かい側の男性はまったく気にする様子はない。大きなため息の後、社長の投げやりな声がした。
「この男は俺の同い年の幼馴染。小学校から大学まで一緒だった。今は建築士をしているらしい」
建築士と聞いて、一瞬頭の中に「?」が浮かんだ。この男性の軟派な感じから、どんな仕事をしているのか少しも想像できなかったから……。
ただ社長の幼馴染という点には納得したので「そうですか」とにこやかに答えた。
「いや、幼稚園から一緒だよ。コイツの初恋の女の子も知ってる。確か……」
「お前、そういうどうでもいいことは言うな」
「ま、そうだな。それより彼女に俺がどんな仕事をしてるか説明してあげてよ」
「説明したいなら自分でしろ」
私は二人のやり取りを笑顔で聞いていた。
社長が誰かと打ち解けて話している姿は珍しい。本当に幼馴染なんだ、と思った。
「自分で自分の仕事を説明するのはなんだか照れるだろ。お前だって自分で『私が社長です』なんて言いたくないだろうが」
幼馴染の言葉に、社長は腕組みをし、上目遣いで凄んで見せた。
私の背筋にひやりとしたものが滑り込む。
息を潜めて成り行きを見守っていると、意外なことに突然社長が私の顔を見た。




