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失われた歴史の代償 4


「逆に怪しまれるか⋯⋯」


 迂回ルートを切り捨て、通常通り坂をのぼることにしたアルトは、荷車を引っ張りながら、ゆったりとした足取りで集団の横を通り過ぎた。

 額や背中に冷や汗が滲み、物音が気になって振り向いた人々と目が合った時は、心臓が跳ね上がりそうなほど生きた心地がしなかった。


 何事もなく丘を降りた時には、今まで息を止めていたのかと思うほどに大きく息を吸い込み、緩やかになっていく心音を聴きながら、テンダースの街へと入っていった。


 帰りも同じく丘を登った。今度は緊張はなかった。

 誰も自分が治してしまったなんて思うはずがないと、余裕を持って丘を越えようとしたその時、石壁の周囲にいたひとりの男が声を上げた。


「あ、あんた昨日の」


 一斉に全員の目がアルトを指した。

 荷車は空になっているのに、りんごが載せられていた時の何倍もの重さを感じ、その場から動けなくなった。

 恐る恐る首を人々の方へ向けると、ひとりを覗いては何となく声に反応して確認したという表情をしていたが、声をかけた本人だけは興味深そうに、アルトへと歩み寄った。


「あんた昨日、壁に触ってたよな?」


「え、ええ」


 昨日アルトが修復された壁に触れている所を目撃した男は、アルトを探るように顔を近づけた。

 がしかし、男はただ無意識に近づいただけで、アルトが壁を直したなどとは夢にも思っていない。

 ただ、修復された壁に触れていたアルトが直した犯人を知っているのではないかと考えただけだ。


「⋯⋯なにか怪しいヤツとか見なかったか?」


「⋯⋯い、いえ」


 小心者のアルトは、自分が疑われていると思い込んだ。

 周りも別に、アルトがやったなどとは今現在思ってもいない。

 ただ男との会話に耳を傾け、情報が得られないか待っているだけなのだが、その視線が、アルトには自分を突き刺し、吊し上げようとしている懐疑の目に見えて仕方ない。


「あんたが来た時にはもう壁はこうなってたんだな?」


「そ、そうですね⋯⋯」


 汗が額から滴り落ちる。

 故意犯では無いとはいえ、アルトの力が修復してしまったことは事実には変わりない。

 本来であれば自ら名乗り出るべきなのかもしれないが、それをすると、身柄を拘束され裁判にかけられることや、力に目をつけた人間に狙われる恐れがあり、名乗り出ることができない。


 アルトがバツが悪そうに目を伏せると、男は嘆息し、僅かに口角を上げて手で「ごめん」とジェスチャーした。


「悪かったな呼び止めて」


「い、いえいいんですよ⋯⋯」


 ぺこりと頭を下げ、逃げるように荷車を引いて来た道を戻り始める。

 背中に突き刺さる視線は、どうやらアルトを怪しんでいるようだったが、幸い本人はその視線には気がつかなかった。


 それよりも、アルトの脳内はある考えでいっぱいだった。



 ────


 職安に来た人の就労支援に一段落つけ、アネットは裏の休憩室で大きく息を吐いた。

 改装されたばかりで、木の香りが色濃く残る部屋は、大きなテーブルが置かれ、椅子が6つ並べられている。

 朝購入したブレッドを齧りながら、アルトが無事に働いているのかと考えていると、同僚が隣に座った。

 


「ねえ聞いた?」


「ん?」


 パンを飲み込み、脳裏からアルトの気弱そうな姿を消し去り、顔を同僚に向ける。

 

「なんかね、あの丘の壁の件なんだけど」


「オース砦のか」


 またアルトが浮かんだが、顔には出さなかった。


「あれなんか国王がブチギレてるらしくて。今こっち向かってるらしいよ」


「国王が⋯⋯? そもそも国王がどんな人なのか知らないが⋯⋯」


「それは私も。それで今役所の方が王様迎え入れるために奔走してるって、さっき様子見に来た人が言ってたんだよね」


 言いながら同僚は、小豆色の風呂敷を広げた。

 中からアネットが食べているのと同じブレッドと、りんごが出てきた。

 りんごが目に入ると、アネットはまたアルトの事を考えた。


「なるほど⋯⋯」

 

「でさぁ。これは本当かわからないんだけど、修復した犯人を見つけたらその身内も罰するとか言ってるらしいよ。流石に死刑とかにはしないみたいだけど」


「⋯⋯今どき縁坐か」


 ブレッドを食べ進める手が止まる。

 要するに、アルトが犯人だと分かれば、小さな教会を営んでいるアルトの両親と姉と弟も罪に問われるということだ。

 アルトの家族のことを、幼なじみであるアネットはよく知っている。

 昔は何度も世話になり、アネットの両親は常日頃から忙しくしていたので、食事の世話をしてもらったことも数え切れない。


 アルトが犯人だと知られる可能性は限りなく低い。

 アルトの秘密を知っているのは、アネットの知るところ自分と、先日パーティーを組んだ双子だけだ。

 情報が漏れるとすれば双子か自分だが、アネットは誰かにその事を話す気はさらさらない。


 だが双子は、世間話の一環でころっと口走ってしまうかもしれない。

 そうなると、疑惑の目は間違いなくアルトに向けられる。

 ブレッドを嚥下しながら、アルトにこの情報を話すべきかどうか迷っていた。

 あるとは昔から、隠し事ができない人種だった。

 本人が決して悪くなくても、なにか間違いを犯せばすぐに謝り、罰を受けようとした。

 今は一応本人も壁のことは隠そうとしているが、小心者のアルトがいつまで隠し通せるか気掛かりだった。

 もしかしたら、罪の意識に耐えかねて自ら出頭するかもしれない。

 そうなれば、アルトの一家はどんな憂き目に会うか想像もつかない。


(いっその事私がその壁を破壊してやるか⋯⋯?)


 大胆な思考が過ぎったが、それは無茶だとすぐにその残像を消し去った。


 昼からの仕事は身が入らなかった。

 そもそも昼を過ぎると仕事を探しに来る人間は減少する。

 大体が書類整理などの仕事になるのだが、誰から見てもアネットはどこか上の空でいた。


 夕方、上空をカラスが飛び交い、あちこちから夕餉の煙が上がっている中、アネットはぼんやりと足元を見ながら住まいに向かって歩いていた。

 アルトに伝えるべきかどうか。

 どの道、王が来ればアルトの耳にも入ることは必須。

 そうなれば、あの男は自らを罰する方向へと舵を切るかもしれない。

 そう思うと、頭がズキズキと痛むような、締め付けられるような気がした。


「アネットじゃないですか」


 声に釣られるように顔をあげると、目の前には大きな革のリュックを背負ったアルトが立っていた。

 頼りない肩に、太く薄い肩掛け紐が掛けられ、大きく膨れ上がった本体部分が重力に従うまま低い位置へと下がっている。

 元パーティーのルベルクから貰ったローブを身に着け、弱々しい双眸を震わせながら、アネットを真っ直ぐ見据えていた。


「どうしたんだその格好は」


 アルトの頭の先からつま先まで視線を下ろしながら、何度も瞬きをした。

 アルトの格好は、どう見ても仕事帰りであったり、夕食を食べに行こうとしている人間のものではない。


 どこか遠くへ行こうとしている。それが風貌から明らかだった。


「この街を出てどこかへ行こうと思いまして」


 人混みが前後へ過ぎ去る中、アルトとアネットだけが流れに取り残され、その場で佇んでいる。

 アネットは瞠目した。まさか、自分が考えていたことを目の前の幼なじみも考えていたとは思わなかった。

 自分達の思考が似通っていることがどこか面白く、嬉しく思え、アネットの口元が緩んだ。


「私と同じことを考えていたみたいだな」


「え?」


「多方、ここで隠れているのも心苦しいし、出頭する度胸もないからだろう?」


「あの⋯⋯こんな外で出頭とか言わないでください」


「あ、ああすまん」


 アネットは口元を抑えながら、笑いを堪えていた。


「すぐに発つわけじゃないなら家に寄らないか?」


「ええ⋯⋯」


 二つ返事で了承を貰い、2日続けてアルトを家に招いた。

 もうこれ以上部屋に修復されるものはないと、鼻で笑いながら綺麗になったテーブルを撫でて椅子に座った。

 向かい側に座ったアルトは、背負っていた荷物を床に下ろした。

 床に鈍重な音が響く。


「よくそんな荷物持てたな。力無いのに」


「重いんですけど⋯⋯どんなに持ってても疲れないんだよ⋯⋯そのお陰で果樹園の荷物運びも物凄い捗ったし」


「それは便利だな。羨ましい」


 視線をアルトの背後の何の変哲もない壁へと向けながら、アネットは唾を飲み込み、喉仏を上から下へと隆起させた。


「実はな、砦の壁の件で国王が憤慨しているらしい。犯人を見つけたらその家族も罪に問うそうだ」


「家族まで⋯⋯」


 アルトの視線が下がり、その瞳と顔に恐怖の色が現れた。


「だからこの街を離れるという選択は間違っていない。言っておくが、お前が自ら名乗り出たら国王はお前をどうするか分からないぞ。一生自分の侍医として使うか、それともお前を使ってよからぬ事でも企むか」


「それは困ります⋯⋯まあ、でも行くあてもないので不安ではあるんですけどね」


「ああ。なら私が同行しよう」


「⋯⋯はい?」


 思いがけない提案に唖然としながら、アルトは目の前の幼なじみが決して冗談で言ってる訳では無いと、その神妙な面持ちから感じ取った。


「今なんて?」


 アネットは腕を組みながら顎を上げた。


「同行すると言ったんだ。ひとりにするのは心配だからな」 


「いやいやいや、何突拍子もないこと⋯⋯」 


「いいだろ。もう決めたんだ。拒否はさせない」


 有無を言わさず腕を組み、威圧するように睨まれ、アルトは肩を竦めた。


「どうなっても知りませんからね」


 アルトも満更でもないらしい。

 普段の彼ならばもっと辞めるよう説得したり拒んだりするはずだが、今は心が憔悴していることや、考案者が幼馴染のアネットということもあり、どこかそれを喜んでいる自分がいた。


「なら明日⋯⋯私は退職届を出してくるから、街の南入口のところで待っていてくれ」


「南ですか。東に行こうと思ってたのですが」


「何か目的があるならいいが、ないならオススメはしない」


「ああそうか⋯⋯国王は東の王都から来るのか⋯⋯」


「国王が来たら平伏する必要があるし、自分を躍起になって探してる相手には会いたくないだろ」


「それもそうですね⋯⋯」


 どこか目的地があるわけでもなく、ただ突発的にこの街を離れようと思っただけなので、それでなんの問題もなかった。


「じゃあ、明日待っててくれ。昼頃には行くから」


「ええ」


 大荷物を持って、アルトはアネットの部屋を後にした。

 夕方ひとりで買い物をと街を歩いていた時には、頭の中は霧がかっていて、鼠色のどんよりとした雲が覆っていたのに、今は僅かながらに陽光が差している。

 今日まで過ごしていた宿は引き払ってしまったので、急遽また別の宿を探した。

 今までの宿と今夜泊まった宿が新築同然に変わっていたのは言うまでもない。



「待たせたな」


 薄い雲が太陽を覆う昼、職員全員に引き止められながらも確固たる意思で辞職を決意したアネットが、街の入口で待っていたアルトの元を訪れた。

 昨日持っていたリュックがさらに膨らんでいて、アルトの背中の倍近い幅を成していた。


 街は国王が夕方頃到着すると分かり、街は厳戒態勢になっている。

 憲兵があちこちを見張り、王が到着するであろう東の入口と道には既に兵士達が配備され、人が近づける雰囲気ではない。

 だが南は比較的緩やかで、見張りの憲兵と、普段から入口の櫓で周辺を見張る警備はいるが、それ以外は普段と変わらない、いつもの街の様相をしている。


「待ってないよ」


 アネットもリュックを背負っているが、荷物はアルトの半分もない。

 軽装のスカートと上着に、くるぶしまで覆った革の紐靴といういつもと変わらない服装だ。

 アルトの方も、いつもの革靴に、ルベルクからもらったローブという簡素な格好だ。


「退職したし、家族にも手紙は書いた。もう心残りはない」


「アネットもちゃんと書いたんですね⋯⋯」


 アルトの方も、昨日のうちに家族への手紙は書き残していた。

 ただ簡潔に『夢のために旅に出ます。しばらく帰りません』とだけ書き記して。


「まあしばらく帰れないだろうからな」


「そうですね。後悔しないでくださいよ」


「するもんか。ちょっと私も楽しみなんだ。この街の外を見るのは」


「私も楽しみですよ。アネットが一緒ですし」


「⋯⋯変な事言うな」


 アネットの頬が僅かに桃色に染まったのに、残念ながらアルトは気がつかなかった。 




 





 







 


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