祝福を前にした人々
二人の旅は順調そのものと言えた。
まず第一に、アルトのそばに居るだけで疲れることがないからいくらでも歩き続けられた。
常人が必死の思いで歩くペース、距離を、ふたりは苦労もなく進んでいく。
ただし空腹はアルトの治癒能力ではどうにもならないので、食事は毎日しっかり摂取する必要があったが、アルトがリュックに詰めていた食料と、お金と食事に困ったら病人や怪我人を見ることで日銭を稼いだ。
ただし、あまり騒ぎになっては困るため、見る患者は軽傷者に限った。
僅かな時間治療と称して仰向けに寝かせ、その上で額や患部に手を当てながら、実家の教会でカーネリアンに唱えていた祝詞を引用するという、怪しさしかない治療法だが、アルトは実際にそれで人々を治しながら多少の褒賞を貰い、旅を続けた。
アネットのほうも何もしなかった訳ではなく、元々身体能力が高く、実家で親から剣術を教わっていたことを活かし、低級の魔物を狩っては売りさばいてお金を稼いでいた。
当然、魔物と戦う時はアルトを離れさせた。
その過程でわかった事だが、アルトの魔法は半径20メートルほどを最大とし、円形ではない歪な形の中で効果を発揮した。
無機物に対しても有効だが、枯れかけた花を若返らせるようなことは出来ず、萎れたり葉が虫に食われたりしているものは治癒出来ることがわかった。
ただそれだけでは原理自体はなにひとつわからず、砦のような事がないように気にかけるしか無かった。
しばらく南に進んだふたりは、特に宛もなくただひたすら進み続けた。
草原、湿原、丘陵、岩山、様々な地形を超え、現在はキルリスという乾燥地の国に来ていた。
キルリスの首都は、乾燥した大草原の中にひときわ目立つ少し土が盛られた場所に作られ、中央には大理石をつかった豪奢な白亜の城が建てられていた。
尖塔を左右に置き、その中央には左右対称の建物が建てられ、正面の壁周りを鳥や花などを模様した彫刻が埋めつくしている。建物よりも大きいドーム型の白い球体が、建物の中央部に絶妙なバランスで乗っていて、まるで大きな滴がそのまま鎮座しているように感じ取れる。
城の周辺の建造物は、白亜の城を映えさせるためなのか、朱色のレンガや黒いレンガで作られたものが多く、どれもが貴族の屋敷らしく、広い庭と家を携えていた。
その貴族の住まいの周りに、堀をつくり、各地に掛けた橋の向こう側に庶民の住居らしきものが集まっていた。
レンガ造りの建物は、ほとんどが大きなひとつの建造物として繋がり、その中に部屋を分け、多くの人々が生活している様子だった。
「立派な城ですねぇ⋯⋯あの球体は何を表しているのでしょう」
アルトは丘を遠目から眺めながら、感嘆の声を漏らした。
グンネルの南の街で購入した革の鞘と柄の剣を腰に差したアネットは、どこか不満そうに、腕を組みながら首をかしげた。
「あのような建物。作るのに人々が使役させられるだけの無用な箱だ」
「そうとも限りませんよ。大きい建物というのはそれだけで権威になりますから」
「やはり神に仕える者は権威を欲するのか」
「なんですかその棘のある言い方⋯⋯そもそも昔から人間は信仰心や権威を箱物であらわしてきたんですよ。多分ですけど、私達の故郷の王宮も豪華だと思います」
「見たことないからな⋯⋯結局王の姿も見なかったし」
アネットは権力者が作った物が気に入らないようだが、アルトに諭されると少し態度を軟化させた。
肩紐に括り付けた瓢箪の水を少し口に含み、ふたりはまっすぐキルリスの首都まで、轍がくっきり残る道を進んだ。
「ところでアネット」
歩きながら、アネットが腰に帯びた剣に目を向けた。
「随分剣術に磨きがかかってきたみたいですけど、本格的に冒険者になってみてはどうですか」
向けられたアネットの横目が僅かにぶれる。
「もう今でも冒険者だぞ私は」
「それはそうですけど。アネットならもっと魔物と戦って人々の平和に寄与できるんじゃないかと」
「つまり⋯⋯私に離れろと言いたいわけか?」
「いや、むしろ逆です」
アネットは足を止めて体ごと振り向いた。
それを見てアルトも足を止め、アネットの藤色の瞳を捉えた。
「高い志を持つ皆と共に戦い、私が傷を癒せばいいパーティーになるのではないかと」
「お断りだな」
「⋯⋯え」
「私の旅の目的はお前を見守ることだ。そんな人数揃えて旅をするなんて面倒くさいったらありゃしない」
あっさり提案を断られて落胆するかと思いきや、自分を見守るために旅をしていると言われて胸が高鳴ったのか、アルトは俯くと恥ずかしそうに小さく頷いた。
夕方近くになって街に入ると、ふたりは街の異変に気づいた。
「男が少ない」
「そうですね⋯⋯子供と老人ばかりです」
街を物色していたところ、成人男性の数が妙に少ないことに気がついた。
畑仕事をしているのかと思ったが、小麦畑らしき畑は少し早いが既に刈り取られていたようで、今はただの土へと戻っていたことを思い出した。
「それになんだか、街の様子も⋯⋯」
言われてみて確かにとアルトは頷いた。
街ゆく人々の顔がどうも暗いというか、皆自然に下を向いて歩いている。
「そうですね⋯⋯何かあったんでしょうか」
「これはもしや⋯⋯そこの御仁」
アネット腕を組んで首を捻り、たまたま目の前を通りかかった老人に声をかけた。
その隣で、アルトは軽い会釈をした。
「どうされましたかな?」
老人はふたりをキョロキョロと確認すると、顎を撫でながらアネットを見据えた。
その老人の顔色もどこか憂いを感じさせるように、薄暗いものだった。
「なんだか男が少ないように見えるのだが、なにか事情があるのですか」
「ああ⋯⋯その事か⋯⋯」
露骨に老人の声音が低くなり、瞼が下がる。
「実は今この国は隣国のタジストと戦争中でな」
ふたりは戦争中という言葉を頭の中で反芻しながら顔を見合せた。
「それで男が駆り出されてるんだ⋯⋯全くたまったもんじゃない⋯⋯」
ぶつぶつと小声で呟きながら、老人は過ぎ去って行った。
そこからふたりは話すことも無く、夕食にパンと羊肉を独特のスパイスで焼いたものを食べ、宿屋へと向かった。
部屋はふたつ取ってあるが、どちらから言い出すでもなく、アルトの部屋のベッドに並んで座っていた。
「まさか戦争中の国に来ていたとはな」
溜息をつきながら、アネットはゆっくりと薄茶色の天井を見上げた。
「明日にでもここをたちますか⋯⋯」
アルトの声は随分と暗い。
元々平和を望んで魔物と戦っていた彼にとって、戦争という血で血を洗う闘争は到底受け入れられるものではなかった。
それどころか、人と人が刃を交える光景を想像するだけで、胃の中の物が上がってくるようだった。
「⋯⋯それでいいのか?」
諭すように、試すように、アネットは吐息混じりに呟いた。
アルトの瞳が揺れ動く。このまま見過ごすのは良心に反するが、自分にできることなんてない。
自分はただの旅人だ。なんの権威も名声も持たない。
そもそも、戦争を行わせている立場の人間に会う権利すらない。
「良くないですけど⋯⋯私がいても人を治すことしかできません⋯⋯」
「それはそうだが⋯⋯」
アネットは首を捻りながら唸った。
どうすればこの幼馴染のこころが晴れる行動を取れるかと。
どうすればこの幼なじみの夢が近づくかと。
「⋯⋯まあ確かに、私たちにできることなんてないな。明日ここを離れるか」
「⋯⋯そうしましょう」
アネットは立ち上がると、重い足取りで扉へと向かい、自分の部屋へと向かった。
ひとりになったアルトは、両手を胸の前で固く組み合わせながら祈った。
(この国と隣国に安寧を)
祈りの先は、当然ながらアルトが信仰する情愛の神、カーネリアンである。
────
そのカーネリアンはと言うと、自らの神域でひとり、優雅にティータイムを楽しんでいた。
草原が広がる神域の一角に、真っ白な大理石によく似た物質のテーブルとイスを設置し、桃色のティーカップとティーポットを置いて、静かな時を楽しんでいた。
地上を覗く神鏡は乱雑に放り投げられ、裏側の装飾部分で白い蝶が1羽、翅を休めている。
空になったティーカップに、赤褐色の液体が注がれ、レモンの香りが緩やかに広がった。
カップを近づけて香りを嗅ぎながら、2杯目を口に含んだ。
正直なところ、別に紅茶は好きではなく、むしろ甘いもの以外は嫌いなのがカーネリアンの実態なのだが、誰も見ていない神域で、見栄を張るように時折ティーブレイクを楽しんでいる。
「そういえば、アルトさんはどうなったのでしょうか」
頬に指を当てながら、首をかしげて黄金色の右目と蒼色の左目を曇りなき空へと向けた。
「まあ大丈夫ですよね! アルトさんに送った祝福があれば」
うんうんとひとり満足そうに頷きながら、残った紅茶を少しずつ飲んだ。
「⋯⋯ちゃんと今度からお砂糖用意しときましょう⋯⋯あ、そうだ⋯⋯こんどアルトさんをお連れしましょ」
パンッと手を打ち、勝手にアルトを神域へと連れて来ることを決め、鼻歌交じりにティータイムを続けていた。
────
「完全にやらかしたな⋯⋯」
翌日、早朝から宿を出て国を離れようとしたふたりは、特に何も考えず西に向かって進んでいた。
草の生い茂るステップ草原がどこまでも続き、今日は野宿かもしれないなとふたりとも考えていた頃、眼前に赤い布を金色で縁どった大きな旗が見え、その旗の下に何百人もの黒い鎧で身を固めた集団がいることに気がついた。
「軍と鉢合わせしてしまいましたね⋯⋯」
まだ小粒程度にしか見えない旗を眺めながら、アルトは周りを見渡した。
北も南も、どこを向いても同じような景色が続く。
うっすらと南に険峻な山脈が見えるが、随分と遠く、自分達の足でどれだけかかるか分からない。
考えもなくそのまま歩き続け、軍との距離が縮まらないことに気がついた。
「今移動しているのか」
「そう見たいですね。ここからだとほとんど分かりませんけど」
しばらく歩くと、焚き火の跡や食べカスが地面に転がっていた。
今朝まで野営を張っていたのだと察するには十分すぎる痕跡だった。
「とりあえず軍を追うか。軍のいる先に隣国かこの国の別の街があるはずだ」
「⋯⋯そうですね。敵と鉢合わせしたらどうしましょう」
「その時はそのときだ⋯⋯巻き込まれないように離れる逃げるしかない」
「そうですね⋯⋯」
慎重に軍と距離を取りながら進む。
別の道を進むべきだと言う考えもありながらも、早く別の街へ行きたいという気持ちが勝ち、危険な橋を渡ることにしたふたりは、進むにつれ額に汗を滲ませた。
「そういえば、アルトの祝福は当然自分にも適用されるんだよな?」
「ええ、疲れないので間違いないかと」
「まあ要するに、私達が切りかかられたりしても離れなければ大丈夫という訳か」
「⋯⋯理論的には離れなければそうですけど⋯⋯痛いですし何より怖いですよ」
「それはそうだ⋯⋯だからこれ以上近づかない。もし軍が引き返すようなことがあったら急いで北に走ろう」
「⋯⋯今すぐにでもそうすべきかもしれませんが⋯⋯軍について行けば人のいるところに着くのは確実ですからね」
「ああ⋯⋯それに、もしかしたらお前の祝福が人を救うかもしれないぞ」
「⋯⋯傷病手当とかそんな話ですか?」
アネットは答えず、ふっと微笑むだけで前方を見ていた。
既にアネットの脳内には、アルトの祝福を最大限活かす方法がはっきりと構築されていた。




