深い谷底の花 13
「なんだ⋯⋯化け物でも現れたか?」
隊列を組み待機する部隊を確認しながら、アネットは唾を飲み込んだ。
数十人が並ぶ部隊は、アルトたち一行のように弓兵や槍兵、盾兵などの部隊に別れ、これからどこかへ向かうのかと、皆顔を引き締めている。
「まあ、戦争⋯⋯って訳ではなさそうですよね。人数から見ても」
少し離れた位置を歩きながら、横目で軍団を眺めつつ、アルトは首をかしげた。
一団の中に知り合いを見つけたグッベルが、話を聞きに行く。
「ユンカー殿、これはどういう事だ」
「おおグッベルか。お前たちだけでは谷の怪物を討伐できないであろうと、討伐へ向かうことになったのだ」
ユンカーと呼ばれた男は、恵まれた体型からグッベルを見下ろし、肩を叩きながら口角を上げた。
ユンカーや兵士達は既に鎧で身を固め、戦闘態勢を整えている。
首都から谷間ではそれほど遠くない。
とはいえ、軍隊が移動するとなれば2日はかかるだろう。
それだけ戦意が高いという表れか、道中の危険を想定しての防備か。
「まさか怪物とは池の龍のことか?」
「ああそうだ。もしかしてお前たちも見たのか?」
「あ、ああ⋯⋯」
グッベルは顔が引きつったのを見られないよう、俯いて息を呑んだ。
池の龍⋯⋯つまりウォルターにはむしろ世話になった側だ。
たしかに、最初は襲われたようなものだが、その後はアルトがひとりで会いに行ったことにより、協力を得て魔界へのゲートを塞ぐまでに至った。
そのウォルターを討伐に向かうという同僚に向け、なんて止めたらいいのか、ウォルターには言葉が浮かばなかった。
「いくら治癒の神がいるとはいえ、その人数と装備では歯が立たなかったか」
ユンカーはウォルターの変化には気づかず、龍の情報を聞き出そうとしていた。
「あ、ああ」
「実は俺たちもさっき谷で襲われたという商人から話を聞いたのだが、龍は水の弾を吐き出してくると言うらしいじゃないか⋯⋯ん、どうした?」
ようやくグッベルの異変に気づき、身を屈めて顔を覗こうとすると、グッベルは慌てて身を翻した。
「いや、なんてもない。すまない。アルト様の元へ戻らなければ」
「あ、ああ⋯⋯そうか」
戦争を終わらせたアルトの名前を出されれば、引き止めることは出来なかった。
ユンカーの目に、こちらを眺めているアルト達一行の姿が見え、あの戦場でアルトの代弁をしていたエルメナも確認し、自然と背筋が伸びた。
ユンカーに見送られ、グッベルはアルト達の元へと戻っていき、状況を報告しようとアルトへ声をかけた。
「彼らはどこへ向かうのですか? まさかまた戦争ですか?」
先にアルトが口を開き、心配そうに目を細めた。
「いえ、それがどうやらあの青年⋯⋯ウォルターの討伐に行くらしいです」
「な、なんと⋯⋯」
顔から血の気が引くように、元々白かった肌が青白く、透明感を増していく。
「せっかくウォルターが洞窟から出てきたのに⋯⋯ってあ、いや」
「はい?」
アルトの顔色が元に戻り、何事も無かったかのように、いつものように大人しそうな顔つきになったことで、逆にグッベルが困惑した。
「ああいや、ウォルター言ってたんです、あの魔界への扉を塞いだらどこか物見遊山でもしようかと」
「⋯⋯ではつまり、もう既に彼はあの場所にはいない可能性が高いと?」
「恐らくは。いたとしても彼らが到着する前にはいなくなるかと」
「それ⋯⋯どうやって説明しましょう」
困ったことになったと、グッベルは唸った。
龍が討伐対象になっている以上、兵士であるグッベルがあの龍はもういないと言えば、庇っていると疑われる可能性がある。
「アルト様からご説明を⋯⋯は嫌ですか?」
アルトに委ねようと様子を伺う最中に、その人物はあからさまに顔を歪めて首をプルプルと小刻みに横に振った。
(そんなことしたら余計に目立つじゃないですか⋯⋯)
アルトの視線が、ぼんやりと流れる雲を眺めながら、オオカミの肉を齧るエルメナに向けられる。
戦争の時は、エルメナがアルトの代弁者としてある事ないこと語って集結に導いたのだ。
今回も、エルメナなら討伐隊を中止させることなど造作もないだろう。
「あのーエルメナ」
「なんにゃぁ?」
伺いを立てるように身を低くしながら、アルトはエルメナの隣へと立った。
エルメナは肉を咀嚼し、はみ出た部分を手で抑えながら、明らかに下手に出て頼み事をしようとしているアルトを見て笑いそうになった。
「また君が神の代弁者ってことで⋯⋯あの人達にウォルターはもう居ないから討伐を辞めるよう言ってくれませんか」
「えー、面倒だにゃぁ」
「そんなこと言わないでくださいよ⋯⋯頼みますから」
「んー、でもどう言うにゃ? アルトがあいつを追い払ったとでも言うにゃ? それするとアルトがめだつだけだにゃぁ」
「たしかにそれはそうですけど⋯⋯じゃあ討伐したってことで。私じゃなくて⋯⋯他の誰かが」
「おっけぇ。そういうことにしてあげるにゃ。じゃ、行くにゃんよ」
了承したエルメナは、肉を折りたたんで口の中に放り込み、すり潰すように噛み砕き、一挙に飲み込んだ。
(獣みたいだ⋯⋯ていうか顎強い⋯⋯)
干し肉の硬さをものともせず、一気に噛み砕いて飲み込む姿は、野獣が肉を食らう姿と重なった。
エルメナを連れ、グッベルが先程話していたユンカーという男の元へ向かうと、討伐隊の視線は、一斉にアルトへ向けられた。
(やっぱりこうなるんですね⋯⋯早くこの国出よ⋯⋯)
肩身が狭そうにしている所に、ユンカーがやって来て深々と頭を下げる。
「どういたしましたか神様」
(神じゃないんですよねぇ⋯⋯)
ユンカーは口を閉じているアルトから、隣の代弁者へと視線を移す。
代弁者であるエルメナ、わざとらしく咳払いをすると、胸を張って高らかに宣言する準備をするように、大きく息を吐いた。
「あ、あー、あー」
(そんな発声練習前はなかったですよね!?)
首を勢いよく回しそうになるのを堪えながら、眉をピクピクと痙攣させ、アルトは代弁者が事情を説明するのを待った。
「君達が谷の怪物を討伐しようとしていることはお仲間から聞いたにゃ。けど残念ながら、谷にはもうその怪物はいないのにゃ。魔物はちょっといるけどにゃぁ」
ユンカー達討伐隊は、静かに起立し、神の言葉を聞いている。
その姿は、存在しない偶像を信じるようで滑稽でもあり、しかしながら、実際に戦争を終わらせた人間に対する敬意の現れでもあり、笑っていいものではなかった。
「まあだからにゃ。龍はもう谷にいない。他に危険な魔物はまだ一部残ってるからそれを討伐したいなら勝手にしたらいいけど、池で待っててもなにも出ないにゃぁ」
「⋯⋯なるほど。龍は討伐されたということでしょうか」
「う、うーん。まあそうにゃぁ。討伐したんだにゃぁ」
(あ⋯⋯しまった!?)
今ようやく、エルメナはウォルターがあの池を離れたことを知らないということを思い出した。
ウォルターが旅に出ると言ったのは、ゲートを塞ぐ作業中の出来事であり、先程の会話も、エルメナは離れてぼんやりとしていたので聞いているはずが無かった。
(討伐なんてしてませんよ⋯⋯彼はただ出ていくだけですあの場所から)
否定することもできず、もうなるようになれと、エルメナのアドリブ力に賭けることにした。
「ま、まさか⋯⋯神様達が?」
「あー、えっとぉ⋯⋯あそこの人がやっつけたにゃぁ」
デタラメに後ろに控えた一行を指さすと、その示す先は偶然、一団のリーダーでもあった。
「なんと⋯⋯グッベルが!?」
よく知る同僚だったが、グッベルがそれほどまでに強いと、ユンカーは思ったこともなかった。
なら何故さっきグッベルはその事を言わなかったのかと、ユンカーは顎に手を当てて思考した。
「ふむ⋯⋯もしかしたら神様の手前、自らが倒したとは恐れ多くて言えなかったのか⋯⋯あの、グッベルがどのように戦ったか教えていただけませんか?」
ブツブツと呟いていたユンカーが、言葉をエルメナに向けると、代弁者は焦りを滲ませながら、口元を引き攣らせた。
「んー、えっとねぇ。それはもう凄かったんだにゃぁ。龍の弾を避けて、水面を走るくらいの勢いで飛びかかって槍でグサリ⋯⋯いやぁ見事だったにゃぁ」
もちろん嘘であるが、ユンカーや、周りの兵士達は、まさか神の代弁者が嘘を言うとは思っていない。
彼らにとって、エルメナの言葉は、神の言葉そのものなのだ。
完全に信じ込んでしまい、エルメナの話が周りに伝わっていく。
「なるほど⋯⋯よく分かりました。国王にすぐさま伝え、この討伐隊は解散しましょう」
「いや、まあ解散する必要はないんだにゃぁ。龍がいないだけで他の奴はいるからそいつらやっつけて来るのはありだと思うにゃぁ」
「は、はぁ⋯⋯ですがまずお伺いを立てねばなりませぬので。失礼いたします」
ユンカーはわざわざエルメナとアルトそれぞれに頭を下げ、軍勢を集結させて首都へと引き返していった。
「どうするんですか。グッベルさんが倒したなんて嘘ついて」
軍勢が居なくなった地には、砂埃だけが残った。
集団の背中が遠のき、後ろにいた皆はすぐ背中の側へとやって来ている。
皆なぜ軍勢が引き返したのかと、質問が止まらない。
「話の流れでああなったんだにゃ! まあどうせ数揃えても龍には勝てないしよかったのにゃ!」
「いや、実はウォルターは」
ここに来てようやく、アルトは全員にウォルターとの会話内容を話した。
「じゃあ、あの男が谷にもういないのは本当なのか」
アネットが尋ねた。
「ええ。まあ具体的な出発時刻は分かりませんが、多分いないと思います」
「ならまあいいじゃないか」
「まあそうですけど」
アルトはグッベルに横目を向けた。
「グッベルさん⋯⋯とりあえずすみません。貴方が龍を倒したことになったので、誰かに聞かれたら話を合わせてください」
「え、えええぇ⋯⋯」
砂埃もやみ、一行の息遣いと、小さな声だけが聞こえるこの場に、ひとりの男の戸惑いの音が響き渡った。




